私の'事実'を私が伝える。
ずっと書こうか迷っていたことを書いてみようと思います。
先に言っておきます。
その時の教え子にとっては、知らない私を知ることになるかと思います。現役の先生にとっては、
そんなこと書くなよってなると思います。
でも、私しか知らない"事実"を私の言葉で伝えたい。
私の経験を誰かに話すことで、どこかで一人でも救われる人がいることを信じています。
ただ、これはあくまで私の経験であり、価値観です。
先生という仕事は、私にとって天職だと思っていました。本当にいろんな子がいましたが、子どもたちにも恵まれ、時に大喧嘩をしたり時に痛いとこ突かれて涙したり、時に一緒に喜んだり、悲しんだり。
「自分が頑張れば、子どもたちが変わっていく。」
だから子どもたちの成長のために自分がとにかく頑張らないといけない!と、自分と向き合ったつもりでいました。
でもその一方で、
「なんで自分ばかり頑張っているのか」
「どんどん色んな仕事が増えるのが、いくつまで続くのか?」
「先生という範囲はどこまでなのか?」
「引き受けやすい人ばかりが仕事をしている傾向にあるのではないか?」
と年数を重ねるごとにずっとモヤモヤしながら考えていました。
ひたすら愚痴を言い続けながら、自分が我慢しているのだからと言う理由で、周りにも我慢や条件をたくさん出している時期でした。
せっかく努力してなった先生を手放す勇気は全くなかった。
本当の意味で自分と向き合えてなかった。
日々の文字通りの「忙しさ」に追われまくって、だんだんモヤモヤも溢れていって、子どもたちにも見透かされているような気持ちになっていって。
これから先どうしようと悩んでいた時、ついにある日糸が切れたように何に対しても頑張れなくなり、涙が勝手に出て止まらなくなり、同じ教員の友だちに全力で止められて次の日、1日学校を休みました。
そこからはもしんどいことを周りに気づかれないようにとにかく隠すのに必死で、
「休むということは、ダメなこと。」
「みんなに迷惑かける。ただでさえ、大変なのに。」
「長期で休むのはもっと心がしんどい人がすること。私はその人たちのレベルじゃないから休んではいけない。」
でも、、、
このまま車で事故ったら休めるかもしれない。
自分のせいではなく、何かのせいにしたら罪悪感が薄れると思いました。
その時点で、まだ4月頭。これから新学期って時に、子どもたちを不安にさせたくなかったので休めないと思うと同時に、正直、7月末(夏休み前)まで続けている自分が全く想像できませんでした。
それでもなお、自分に大丈夫と自己暗示をかけまくっていました。
結局、
寝付きが悪く、寝た気がしない。
ネガティブなことがずっと頭から離れない。
誰かにこの話をする時、どこから話せばいいのかわからなくなる。
自分にとっての新しい壁やうまくいかないことが出てくると、思考が停止する。
周りの言葉が入ってこない。
勝手に涙が出てくる。
そんな症状が出て、身体ももたなくなってきて、カウンセラーさんや他の先生の助言もあり、3ヶ月お休みを取ることにしました。
それから暫くはこの話を誰かにする度に何故だか涙が溢れてきてうまく話せないこともありました。
その時は人生最大に苦しいと思っていたし、これからもきっと、あの時のことは一生覚えてると思います。
でも、それも今思えば、
「あの苦しい経験があったから、私はいまここにいる。」と心から思います。
あれがあったからこそ、私は先生を辞める決断をし、新たな道を歩むことができました。
子どもたちにたくさん救われていたなと改めて気づくことができました。
休んだ時に沢山声をかけてくれる人がいて、私はたくさんの人に支えられていると実感しました。
学校現場で続々と休職してしまう先生の気持ちが分かりました。
顔は笑っていても、心は泣いている人に寄り添えるようになりました。
逃げるということは、本当に大切なことなんだと学ぶことができるようになりました。
だから、嫌なことばかりではなかったです。
いま、同じように苦しんでいる人。
その中にいるときは、苦しいです。辛いです。
絶対に大丈夫。必ずそこから抜け出す時がきます。
じゃあ、私は、その休んでいた3ヶ月はどんな風に過ごしていたのか。
ここが私にとってターニングポイントになった期間だったので、次回お話しします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
chihiro