前髪と再生
約4,5年振りくらいに前髪ができた。数年ほどショートカット前髪なし、前髪作ってもちょろ毛程度であった自分にとっては、中々の冒険心である。幼い頃はクラシックバレエを習っていたため、そもそも前髪なしのロングヘアがデフォルトであった。だが、ジェンダー論について関心を得るようになった15歳を皮切りに、日本の家父長制にファイティング・ ポーズを決めるかのごとくショートカットへと移行した。成人式では振袖を着るべく腰椎L1辺まで髪を伸ばしたが、それは幻である。
前髪を作りたくなったのはなぜなのだろう。そのヒントは、日々ノートに書き溜めている自分の言葉の中にあった。
「誰にも頼らず(頼ってはいけない、頼る人はいない)生きていかねばならないと思っていたけれど、もうそろそろ人を頼っても良い気がしてきた ので、もう誰か、になろうとせず、自分の持ちモノで人に頼れるようになりたい。ということで前髪を作って幼くなってみる!「あ、ムリ、すみませーん、誰か助けてくださーい」と言ってみよう」
発達障害(ADHD,ASD)を持っていることが分かった6月上旬から、私の中で「無理なものはムリ。それでよろしい」という物事を明らかにする態度が浮かび上がってきた。できなくてもいいんだよ、できてもいいんだよ、難しかったら人に頼っても、いいんだよ。私の中で、私の障害を認めた度量の大きな私が、そう何度も呟く。
思えばずっと、私は赤ちゃんになりたかった。できなかったら助けてもらう、できなくても自分を肯定してもらえる、そんな存在が憧れだったのだろう。飼い猫のあいちゃんは、いつもポテポテしていてあまり猫らしくない。でも、そんな彼女はいつだって家族の中心にいて何やかんやと世話を焼いてもらっている。これでいいのだ、これで良かったのだと思う。本当の教育は「一人で生きていく力を養うこと」ではなく、「困った時に「助けて」と言えること」だったのだと、四半世紀を終えて気付く。
前髪を切る、髪を切る。その行為はきっと、reborn(再生)を意味するだろう。何度だって、人は生まれ変わる。私はそう信じる。
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