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活動限界【休職日記#1】

大学を卒業した時の私は、やりたいことが定まらなくて、ちょっと留学したり、バイトしたり、モラトリアムを謳歌していて、社会人のスタートは人より四歩ぐらい遅かったかもしれない。でも、「キミに決めた☆」と資格を取って、少し遅れた新卒として今の業界に入職してからは、自分の中でMG3(マジで頑張る3カ年計画)と定めて、それはそれはもう、マジで頑張った。生活保護費と同じくらいのお給料で、死ぬほど理不尽なことが毎日、いや、2時間半おきぐらいに勃発して、日々呼び出されすぎて鳴ってないPHSが胸ポケで鳴っている体感幻覚にいつも悩まされていた。停電が起きていろいろオジャンにならんかな、とか、会いたくなさすぎて人様の輪廻転生を心からお祈り申し上げたり、今考えるとちょっとアレなんですが、当時はもうがむしゃらBLUESだった。そんな生活も2年を超えると、一周回ってこの理不尽さ、シュールじゃね、と思えてきて、自分の中で理不尽リンピックを開いたりして、メダル取るために理不尽を発掘する立派なインディアナジョーンズに。それでも、本格的に病むことはなく、仲間と励まし合いながら4年間勤めて退職した(feat.離婚)。
この時の経験や感情が、今の私の仕事の土台となっていて、当時の無茶な仕事量が大リーグボール養成ギプスよろしく、仕事のキャパシティを広げてくれたし、理不尽に迫害された経験が適度なスルー力を育ててくれた。令和の時代には通用しなさげなトレーニング法ですが。
そんな初めての職場から、同じ業界で別の職場へ転職して経験を積んでから、その後現職へ。大した職場ではないものの、安定しており業界内では狭き門、自分自身は以前から関わりがあり業務内容に興味があったところ、奇跡的に合格。面接で言った自分の長所、今でも覚えている。「私、メンタル、ゲキツヨなんで。」だ、だいもん?

基本的には全国転勤のある古めかしい職場なため、そのルールがその年に移民してきた管理職で逐一変わる。同じ組織でありながら、小さな国家が乱立しまくってるのだ。しかも、基本的には他国の内政干渉NG、NGワードは「去年はこうだったんですけど」である。全員思ってんのに。デコに皆書いとるわ。ワシには見える。
Z世代なら間違いなく「それってそんなに重要なんですかぁ。タイパ悪くね。」って言われちゃうようなことも多々。ていうかほとんど。私はバッキバキの昭和生まれですが、小室世代のこの私でさえも、そう思う気持ちを止められない。Can't stop fallin'  in去年はこれでイケてたんですけど。
そして、悲しいことに、私が最年少なんですよね。この昭和生まれのイエベ秋骨格ウェーブ(自分調べ)が。

休職に至る経過は、あんまり細かいことは書けないのだが、迫りくるどうでも良さと理不尽さの桶狭間で、自分なりにやりがいと誇りを持って仕事はしていた。現職の悪いところばかり前述したが、もちろんいいところもたくさんあって、それもたっぷり享受していた。
だけど、ある日、何かがぽきっと折れた。
きっかけはあったのだが、これまで「自称」メンタルゲキツヨ、イエベ秋骨格ウェーブ(しつこい)の呪文で織田無道ばりに結界を張っていたのに、その日から少しずつこれまで許せていたものが許せなくなり、怒りに支配されて、視界がどんどん狭くなっていくのを感じた。自分がやらないとと頑張っていたことも、どうでもよくなって、全て投げ出したくなった。逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ。でも初号機は活動限界、ここでひとつ選択を間違えると人類の未来はない(エヴァです)。
休職に至る一連の流れの中で、いろいろな人と話をした。仕事を休むことに罪悪感を感じて、なかなか決断できずにいる私が、ある人に言われてブッ刺さった言葉がある。
「こんなこと」で傷付いて、苦しむあなただからこそ、一緒に仕事をしたいと思う人がいる。
あぁそうだ。ほんとにそうだ。
傷付くことができる私をだいじにしてあげよう。
今のところ、仕事を辞める気はない。だって、夫が役員になれば各種社会保障の恩恵はほぼ受けられなくなるし、ローンも組めないもの。貯金もねえし。自分たちと、子の生活を守るためにも、私は働き続けるのだ。だって仕事好きやし。
以下、私が復職するにあたり、達しているべき理想の自分を掲げる。
①誰か〜と言われたら食い気味に率先して手をあげる。
②顧客や同僚に「忙しそう」「大変そう」と言わせない。
③理不尽を乗りこなし、楽しげインディアナジョーンズでいる。
④些末なことで立つ目くじらは海洋放出する。シーシェパードは基本スルー。
こんな感じ。こんなイメージが具体的にできるようになれば、ぬるっと戻ってまたシュールで大好きな仕事をしたい。

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