民主主義をDouすればいいか 1
本当の民主主義とは「多数決」ではない、
と博士は言った。
博士「ある意味それは正しいが、それがすべてではない」
学生「ではなにが本当の民主主義なのですか?」
博士「民主主義は西洋文明から来ている。そして民主主義を選挙に代表されるように多数決であるとしたのはその西洋なんだよ。
人々が長い歴史の中で気づいてか気づかずにか、その強力な即決力と決定権をもつ多数決というものに民主主義の席を明け渡してしまったんだよ。
学生「・・・」
博士「民主主義の発祥である西洋の考え方をみんながそのまま鵜呑みにして しまっている。人間は難しく複雑な物事を単純な意味にした方がすんなり理解しやすいんだ」
学生「とういうことは私たちは知らずに民主主義を誤解して理解しているということですか?」
博士「いや、そういうことでもないと思う。多数決も立派な民主主義の考え方の一つだからね」
学生「ふむ?」
博士「ただ、民主主義=多数決ではないということだよ。
つまり多数決の民主主義は、私たち日本人にとっては他者が決めたルールであり、私たち日本人が私たちなりの新しい民主主義の解釈をつくり出しても問題はないのではないかということだ。
新しい民主主義をむしろつくり出した方が、みんなにとって良いことなんじゃないかと思うんだ」
学生「なるほど、新しい民主主義を考え出す。それが社会でうまく働くならなんら問題はないですよね。私たちは日本人だから日本で考えているけれど、たとえば他の国から新しい民主主義の考え方が出てきてもいいわけだ」
博士「そうだね」
博士「たとえば西洋から来た製品を見て、自分たちがもっと機能的で美しく新しい製品をつくり出したとしてもなんら問題がないのと同じようにね。
日本人は海外から来た製品や考え方に刺激を受けて、その手の器用さと応用力によってさらに発展した製品をつくり出すことに長けていたはず。
かえって外来の製品をそのまま真似をしてつくってしまうことの方が問題になるのではないだろうか?」
学生「本来それは日本人が得意とするところですね」
博士「民主主義はもう過去のものだというのではなく、さらに発展させる可能性を秘めているものなのなのだと考えた方が、なにも無いところから雲をつかむようなことを考えるよりも有効だと思う」
学生「いままでも各国で、たとえば日本もそうですが資本主義一辺倒でなく伝統的な日本の考え方や生き方をミックスしてやってきた歴史の事実もありますね。それが今まではうまく行っていたけど、不況や格差などで停滞して、また考え直す必要が出て来たのではないかということですね?」
博士「まだまだ民主主義は捨てたものじゃないということだよ。みんなが嫌がっている多数決ばかりで考えるのではなく、その他も容認していく考え方で新たな民主主義を考えたらどうかなということなんだ。
ではひとまずおおまかに民主主義の未来に希望を持った後は、具体的にどうしていけば民主主義が平和な社会をつくるために復活することができるかを考えたい」
学生「それは難しいですね」
博士「確かに今まで誰もが考えてたどり着かない領域だからね。
でも考えてみなさいよ、本当に真剣にこのことに気がついて取り組んだ人はいるのだろうか?だからこそみんなまだこの問題で悩んでいるんじゃないだろうか」
学生「・・・」
博士「民主主義、つまり多数決だと言われる民主主義でよくないのは少数派の意見を排除、あるいは無視してしまうことだ。
それは真の民主主義とは言えない」
学生「その通りですね」
博士「さらにいえば、じっくりみんなの意見を聞いて議論すべきところを多数決に持っていって強行採決してしまうこと。
結局一つの意見が他に無理強いするようではそれは民主主義とは言えなかったのだ。
ではどうすればいいか」
学生「はい」
博士「先ず民主主義の基本は選挙であり、選挙に立候補するものは国民に訴えるマニフェストが必要になる。しかし政治家は選挙に勝ちたいがためにマニフェストで耳障りの良いことばかりワザと言うかも知れない。そしていざ当選すると実行されなかったり、現実を知ってやっぱり無理でしたと言うこともしばしばあるんじゃないかね?」
学生「そうですね。仕方ないところもありますが…」
博士「問題は、国民の意見がまとまっていれば現実に移すことが無理でなければそのまま実行されればいいことなんだが、多数決で割り切れない意見があっちにもこっちにもあり、しかも様々な事情によって細分化されているということが民主主義が実現しない結果にもなっている」
学生「うーん」
と、学生は博士の話を聞いてしばらく考え込んだ。
次回に続く