我々を振り回す成功や承認欲求について

始めに言っておきます、個人的な気持ちの整理のため書いた記事です。
成功主義者は読まないでください
読んで気に食わなくても文句は受け付けません

人に認められなくていいから好きなことしたい、でも何か納得いかない

我々を振り回す成功や承認欲求について二つのベクトルから考えてみる

「であること」 と 「すること」の違い

成功者は「であること」より先に「すること」を重視している
つまり上にのし上がるという「すること」を重視している
故に成功しヌルゲーになりやりがいを失うと「すること」の意味が失われ失望する

「すること」よりも「であること」を重視すると停滞が起こり、現状維持の状態になる
現状満足できる場合は良いが、不満がある場合我慢を強いられる

「であること」は保守的であり「すること」は革新的であるが、双方ともに利点・欠点がある

「大衆受け」 か 「自分好み」か

「大衆受け」イコール「自分好み」とは限らない
大衆受けを意識し続け疲弊してしまうか、自分好みにつくり支持を得られないか
承認欲求と自己表現を天秤にかける

「すること」と「大衆受け」は結びつきやすく、「であること」と「自分好み」は結びつきやすい
前者は行動により外部から評価を得、後者は自己評価により自己承認を得る
社会においてよく前者が評価され後者が良策とされないのは後者が社会に利益をもたらさないためであり、また、他者の評価に触れることで自己評価の信憑性が揺らぐためである。後者が特に有効なのは承認欲求を持たず他者の評価に晒されない状態、つまり完全なる世間知らずの状態である。
そのため前者が推し進められるが、前者は心身両方の面でエネルギーを必要とし、また素直な自己表現が不足しやすくなるため、大量のエネルギーを消費しながら自らを偽る状態である。エネルギッシュな世渡り上手でないと難しい。

「すること」と「自分好み」、「であること」と「大衆受け」が結びついた状態はやりがいの喪失を招きやすい。
前者は行動しても評価が得られにくく、後者は行動すれば必ず評価される成功者の状態。双方ともにやりがいを失いやすい状態である。

いずれにしても、完全に両極のどちらかにつくことは難しい。

「であること」と「自分好み」が結びつくが、比重が「自分好み」に寄っていてなおかつ承認欲求を捨てきれない人間はどうすれば幸福になれるのか
それはありのままを受け入れる価値観の合った人間に出逢うことだと思う
仕事人や肩書をもつ者としての姿ではなく、ありのままの自分が認められる価値観をもつ人を見つけ関係を築くことだと思う。評価の対象が変化し制作者としての呪縛から解き放たれた上で、承認欲求が満たされるのである。
成功者以外結婚した方がいいと言われるのはこのためであろう。

しかし、それでも納得がいかないなら「すること」と「自分好み」が結びついた状態が良いだろう。評価は得られにくいが「自分好み」であるからといって自分以外は好まないとは限らない。少数ではあるが支持者が現れる可能性はある。「すること」と「大衆向け」が結びついた人間には馴れ合いに見えるだろうが無視していい。
とにかく「自分好み」の比重が大きい人は「大衆受け」など気にしなくていい

ここまで読んでくださった方に感謝します。
気持ちの整理がつきました。

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