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1年B組―『ピチピチのギャル』殺人事件(1)

あらすじ

高校1年B組では、日直日誌にリレー小説を書く欄があり、クラスメイト全員で、1つの創作小説を作っています。
初めは平和な学園ラブコメストーリーでしたが、ふざけるのが大好きな男子達が『ピチピチのギャル』という新しいキャラクターを誕生させてから、いつの間にか際どいエロラブストーリーへと発展していきます。
そんな中、リレー小説の中で、誰かが『ピチピチのギャル』が殺されるシーンを書き込みます。
男子生徒達のアイドル的なキャラクターだった『ピチピチのギャル』は、誰が殺したのか…、殺人シーンを書いた犯人捜しが、クラス内で始まります。


バギュンッ! ガッシャ―ンッ!
ガラスが割れる音と共に、一発の銃声が鳴り響き、ピチピチのギャルは、その場に倒れた。
胸からは、血が噴き出し、彼女は息を引き取った。

1年B組 日直日誌

日直日誌

 佐藤悠真(さとう ゆうま)が通う高校の1年B組は、クラス仲が良い。と、よく言われる。
確かに、そうかもしれない。と、悠真は思う。
だって、日直日誌を使って、クラス中でリレー小説を書いているのだ。
1学期に数人の女子生徒達が日直日誌の備考欄に、ふざけて数行の文章を書いたことがはじまりだった。そこから、日直の生徒が続けて物語を書き足していき、学期の終わりごろは、一つの創作小説が出来上がっていた。学校に迷い込んだ子猫が主人公の、ほのぼのとした冒険ストーリーだった。
 現代文を教えている担任と、校長先生が「クラスの結束が深まる」「生徒たちの表現力が育つ」と息巻き、今学期からは1年B組のクラスメイト全員で、一つの創作ストーリーを書き紡ぐことになった。
 2学期初めのホームルームで、どんなストーリーにするか、メインのキャラクターの名前などを真剣に話し合った。
 全員強制参加で創作するためのルールも設けられた。日直は、必ず3行以上15行以内の文章を日誌に書いて、次の担当者に渡さなければならない。必ず、前のストーリーと正誤性がとれる内容でなければならない。夢オチは禁止…等々。
 物語のジャンルは、学園ラブコメで、メインの登場人物は、自分達と同じ高校一年生の男女という事になった。

カラアゲとベーグルのラブコメ

 女主人公は、カラアゲ・アゲハ、16歳。天真爛漫でドジっ子なクラスの人気者。男主人公は、ベーグル・ケン、16歳。英語が堪能なハーフの転校生だ。一応、オムライス・デミオ、25歳という、先生キャラまで作られた。穏やかで優しい、生徒に人気の数学講師。
 明らかに、女子の意見しか反映されていない設定だったが、そもそも1学期で日誌の創作小説に参加していたのは大半が女生徒達だったし、今学期のホームルームでも、この件に関して積極的に意見を言っていたのは一部の女子達だった。
 佐藤悠真はため息をついた。
 そもそも、作文や、創作文など、文章力を試されるような宿題は大嫌いだった。課題でもないのになぜ、こんな事で頭を悩ませなければならないのか…。日直にまつわる雑務は嫌いではないが、この学級創作小説が始まってからは、日直になるのが憂鬱で仕方がなかった。
 カラアゲとベーグルの学園ラブストーリーは、大人の余裕を見せつけるオムライスの魅力に時折ふらつきながらも、最初の2週間は順調だった。
 2週目からは、男子が日直になる日が続いた。そこから、物語はおかしな方向に進む。
まず、「ピチピチのギャル」という謎の巨乳女子キャラが爆誕し、ベーグルとオムライスを誘惑し始めた。ピチピチのギャルは、ベーグルと濃厚なキスと手つなぎデートを楽しみ、今度はオムライスとディナーデートをすることになる。
 そして、悠真の前の日直である、天野(あまの)が、とんでもないシーンを残しやがったのだ。

『オムライス・デミオさん。私、もうまてないの…。』と、
ピチピチのギャルは、ブラジャーをぬいで大きなおっぱいを、デミオの胸におしつけた。
2人は服をぬぎながらベッドに入った。

 書き順を無視した、天野の乱暴な筆跡は、読みづらい。
 今朝、天野がニヤニヤしながら悠真に日誌を手渡したことを思い出す。
嫌だなあ…。あいつ、きっとオレが困っているのを楽しんでいるんだろうな…。
 悠真は天野が苦手だ。
 もともと、他人とのコミュニケーションが苦手で、ノリや会話のテンポに付いていけない事が多い悠真を、天野は一方的にからかうように話しかけて来る。しかも座席が悠真の真後ろなので、授業中にもちょっかいを出してくることもあり、結構ウザい。しかし、友達が少ない悠真にとっては、クラスで唯一会話らしい会話をする人間だ。天野にも話しかけられなくなったら、悠真は学校に居る時間は、言葉を発する機会をほぼ失うだろう。
 今日一日、日誌の創作欄に、何を書けばいいのかで頭がいっぱいになった。授業中も先生の声など耳に入らなかった。白紙で出したいけれど、ホームルームで、白紙での提出はNGとされていたし、前の文章と正誤性が取れないとダメだと決められている。
 ピチピチのギャルが物語に登場してから、クラスの男子達は、書かれた文章がエロいかエロくないかで、書いた本人達を値踏みするようになった。
 「あいつ、やるな~。これ、実体験じゃね?」とか、「いいじゃん、将来AV監督になれよ!」「もっと、興奮する文章書けよ。」とか言って、教室内でゲラゲラ笑う。エロいシーンを書くことを回避した男子に対しては「あいつは童貞確定だな。」と、馬鹿にしていた。
 女子達も、「やば!これ、妄想全開じゃん。キモッ!」と、言いつつも、物語の続きが気になるようで、誰も止めようとしない。むしろ、誰よりも早く物語の続きを読もうと、朝早くに登校して来る生徒は女子の方が多いくらいだ。
ピチピチのギャルは、ベーグルとオムライスの両方を順調に食い物にしつつあった。女主人公だったはずの天真爛漫なカラアゲ・アゲハは、すでに物語から存在を消していた。
  どうしよう…。ベッドシーンなんて、書ける気がしない。きっと、何を書いたって、他のクラスメイト達から、からかわれるに決まっている…。

  悠真は重い足取りで教室に向かう。先ほど、7時間目の地理講師を手伝って、資料本を職員室に運びに行った。あとは、日誌を書いて担任に渡せば、悠真の仕事は終わりだ。既に午後4時になり、教室には誰も残っていなかった。悠真の机には大きなバインダーに綴じられた日誌が置かれている。
  ため息を付きながら、ページをめくり、自分が今日担当している日誌を、見た。
  天からの助けだ! と、悠真は思った。

バギュンッ! ガッシャ―ンッ!
ガラスが割れる音と共に、一発の銃声が鳴り響き、ピチピチのギャルは、その場に倒れた。
胸からは、血が噴き出し、彼女は息を引き取った。

  誰だろう…。誰かが、悠真の代わりに日誌のリレー小説欄に物語の続きを書いてくれている。しかも、悠真の癖のある丸っこい文字にわざと似せて書かれている。悠真の手書き文字は、よく男子から「女子みたいな字」と、からかわれている。
  助かった!! もう、これで提出しよう!
 悠真は、日誌のバインダーを胸に抱えて、職員室へと向かった。

佐藤 悠真(さとう ゆうま)

 昔はこんなんじゃなかった。
小学生の頃は、もう少し学校も楽しい場所だったし、勉強もスポーツも学校生活もこんなに苦しくなかった。友達もそれなりに居たし、からかわれることがあっても、悠真だって友達をからかい返したりしていたはずだ。
 いつからか…、いや。明確に覚えている。中学2年生の頃からだ。
悠真は、身長が伸びなかった。男子も女子も同級生たちが1か月の間に数センチ伸び続ける間、悠真だけは置いてけぼりを食らい、焦っていた。寝る前と朝に足を伸ばす為のストレッチをしたり、カルシウムの多い食事を母親に作ってもらうなど、努力は続けているが、その努力が実を結ぶ気配が感じられなかった。
 悠真の身長は小学5年生の時から変わらず、150センチだった。
目線が同じだったはずの友達は、見下ろしながら悠真の身長をからかうようになり、もはや男子達からは対等な扱いをしてもらえなくなっていた。
 そうなると、やさしかった女友達も、悠真のことをからかっていい、馬鹿にしていい存在と見なし始めて、悠真がしゃべったり、何かをする度に教室のあちらこちらから、クスクス笑いが起こるようになった。
小柄なりに活発だった少年は、いつしか口数の少ない、存在感を出来るだけ薄くしようとする陰気な高校生になっていた。一番小さい男子用の制服すら体格に合わず、常にぶかぶかな服を着ているのも陰気さに拍車をかけていた。
 講師や保護者たちの間では、悠真のクラスである1年B組は、とてもクラス仲が良い、居心地の良い学級と言われているらしい。
 悠真はそんなクラスでさえ、自分の居場所と感じられない事に、焦りを感じていた。

混沌の教室

翌日、教室に入ると、すぐに男子達に囲まれた。
「おい!佐藤!」
バスケ部に所属する、長身の大田原(おおたわら)が大きな声で悠真を呼ぶ。それを合図に、次々と男子達が、ニヤニヤとした嫌らしい顔で悠真を取り囲む。
「酷いじゃん!」「どうしてくれんの?」「勝手に殺してんじゃねえよ!」「ふざけんな!」
楽しそうにゲラゲラ笑いながら、悠真を小突いてくる。
何か言わないと、馬鹿にされる!
悠真はたじろぎながら、「えっと…、何のこと…?」と、とぼけてみることにした。
「はあ?!」「自覚無いのか!?」「ヤバい!」「お前、馬鹿なの?」「裏切者じゃん」と、次々に悠真を非難する言葉が、頭の上から降って来る。心臓がざわつき、耳鳴りがするような気がした。
天野が、悠真の肩に腕をまわし、身動きが取れないようにする。
「佐藤、がっかりさせんなよ!」と、ため息を付きながらわざとクラス中に響くような大声で言う。しかし、顔は相変わらずニヤけたままだ。
「せっかく、俺が良いシーンで話を終わらせておいてやったんだからさ、ここは、男を見せる場面だろ?」
天野が、悠真の頭にグリグリと拳をねじ込んでくる。軽くやっているつもりかもしれないが、かなり痛い。
「そうだ!みんな、期待していたんだぞ!」「がっかりさせんなよ。」「ピチピチのギャルは俺たちのアイドルだろうが!」「俺たちの楽しみを奪いやがって!」
みんな、本気で怒っているわけではない。それはわかる。しかし、大勢に囲まれて身動きが取れないように肩まで抱えられてしまうと、悲鳴を上げて逃げたくなるほど怖い。
悠真が何も言えないでいると、「裏切者」「殺人者」「卑怯者」「本物の童貞」という言葉まで降って来た。クラスのどこかから、女子達のクスクスという、薄っすらとした笑い声が聞こえてきて、悠真は腹が立った。言われっぱなしでいるわけにはいかない。
声が震えないように、深呼吸をしてから、
「ムキになるなよ。」と、言った。
悠真は笑顔を作るのに必死だった。
もう、正直に言ってしまおう。
「あれ、オレが書いたんじゃない。」

一瞬の沈黙の後、「はあ!?」という怒りを含んだ声が、悠真を取り囲んだ。
「嘘つくんじゃねえよ」「お前、見苦しいぞ」「責任逃れかよ」「お前じゃねえなら、誰だよ」「みっともねえ」「この嘘つき!」
さっきまでは、ニヤニヤを含んでいた声が、一気にさげずみの色を含む。
キーンと、頭の奥で高い音がする。耳鳴りだ。こめかみが疼く。
悠真はもう、笑顔を作ることすらできない。本気で怖い。

「ねえ! ちょっと!」
突然、男子の人垣をかき分けて、高山 愛良(たかやま あいら)が堂々と割り込んできた。
「あれ、書いたの、私なんだけど!」
高山の声は良く通る。男子達が、再び「はあ?」と発するよりも先に、
「って言うか、『ピチピチのギャル』って、なんなんだよ!!」と、声を張り上げた。
高山の声が合図になったかのように、今まで教室の隅で遠巻きにしていた女子達が一斉に声を上げる。
「男子達、必死過ぎてヤバい!」「ね。あんなにムキにならなくて良くない?」「『俺たちのアイドル』だって。キモい!」「変態ばっかりじゃん」「『ピチピチのギャル』って、名前も無いんかい!」「最低」「『ピチピチのギャル』、マジ、ウザかった」
 悠真を取り囲んでいた男子達が、女子達に包囲され始めた時、始業のチャイムが鳴った。講師が教室に入ってくる音がして、再び教室は秩序を取り戻した。

犯人捜し

 一日の授業が終わった後、帰り支度をしていると、高山愛良が話しかけてきた。
「ちょっと、話したいことがあるんだけど、時間ある?」
 悠真は意外に思って驚きつつ、頷いた。
高山が手で廊下に出るように促すので、それに従う。
教室のあちらこちらから、好奇心に満ちた目線と女子達のヒソヒソ声が聞こえて、悠真は小さい背をさらに小さくするようにして歩いた。
廊下を出て、人気が少ない視聴覚室前まで来ると、高山は「今朝の件なんだけど」と切り出した。
「佐藤が『オレが書いたんじゃない』って、言っていたじゃない? あれは、本当?」
変な質問をするな…。 と、悠真は思った。
だって、高山は確か、自分があの文章を書いたと言っていなかったか?
 悠真が驚いた顔をして、何を言おうか考えていると、高山が慌てて、
「実は、私も『ピチピチのギャル』が撃たれるシーンは書いていない。」と、きっぱりと言った。
「え?そうなの?」
てっきり、高山が書いてくれたものだと信じていた。
文武両道でまじめな高山は、リレー小説の行く末が、男子達が喜ぶだけのエロストーリーに成り下がることを嫌って、ふしだらなピチピチのギャルをいかにも成敗してくれそうな性格なのだ。
高山は、腕組みをしながら「女子の私が書いたことにしておいた方が良いかと思って、嘘をついた。」と、言った。
そうか、オレがからかわれているのを見かねたんだ…。
高山は、悠真がいじめられて困っていると思ったから、助けたのだ。いかにも、高山愛良らしい正義感に満ちた行動だった。
悠真は、お礼を言わなくちゃと思ったが、惨めな気持ちになるのを抑えきれず、言葉が出てこない。
高山は気にする様子もなく、「でもさ、もし佐藤も書いていないのだとしたら、誰があの文章を書いたのか、わからないってことだよね。」と続けた。
悠真は首を振りながら、「オレじゃない。オレは書いてない。」と、慌てて言った。
「そうなんだ…。」と、高山は考え込むようなしぐさをした後、急にニヤっと笑った。
「ねえ、気にならない? 誰が書いたのか。」
高山は悠真の顔を覗き込むように言う。
 高山はクラスの女子の中で一番背が高い。175センチある。25センチの身長差は、穏やかな会話をしていても、逆らえないような圧迫感を感じる。
あの文章は確かに悠真を助けてくれたけれど、悠真はそれほど関心を持てなかった。誰かが「リレー小説なんて、やめない?」と、言ってくれた方がよっぽど助かると思うのだ。
「誰が書いたのか、私達で調べてみない?」と、高山は好奇心に満ちた顔を輝かせる。
キャラクターを殺した犯人捜しか…。面倒臭いな…。
と、内心で感じながらも、悠真は「あ、はい。」と、うなずいていた。
 
「手始めに、佐藤があの文章を書いたことで、助かる人から疑おうと思う。」と、高山は楽しそうに言う。
「助かる人…?」と、悠真が聞き返すと、高山は急に真面目な顔になった。
「うん。実はさ。男子達が『ピチピチのギャル』を中心に話を書き始めたころから、一部の女子達の間では反感が高まっていたんだ。」
「え?そうなの?」
 意外だった。女子も含めクラス中の皆がピチピチのギャルと男性キャラクターとのエロラブストーリーを期待しているかのように、悠真には見えていたからだ。
 高山は大きく頷くと、「だからさ、濃厚な大人のコミュニケーションに突入する前に、何とか話の方向性を変えたいと思っていた女子達は結構いっぱいいたと思う。」と、自信に満ちた声で言う。
 濃厚な大人のコミュニケーション…? いや…、エロいシーンって、言えよ!
 悠真は、高山の言葉の意味を脳内変換するのに、少し戸惑い、苛立った。
「そうなんだ…。知らなかった。」と、悠真が適当に答えると、
「そうだよ!佐藤が書いた文章で、救われたと感じた女の子達がいるんだよ。」と興奮気味に高山は言い、慌てて「あ。佐藤はあの文章を書いていないんだったね…。」と付け加えた。
「でさ、具体的に誰が一番救われたかと言うと、多分、佐藤の次に日直になった、今日の日直当番だと、私は思うんだ!」
なるほど。もし、仮に、…そんなことは絶対にできないので、無いのだが、でも、仮に、天野の書いた文章の後で、悠真が濃厚なラブシーンを書きだした場合、悠真の次の日直は、シーンの収拾をしないといけなくなる。悠真が昨日一日悩んだように、きっと大いに悩むことになるだろう。
「今日の日直は、確か、本田さんだよね。」と、悠真は言った。
高山は大きく頷く。
 「彼女は図書委員だから、今の時間は、多分図書室に居ると思う。」

本田 美恵(ほんだ みえ)

 図書室に入ると、本田美恵は、貸出受付の席に座って本を読んでいた。
勉強している生徒数もまばらで、図書室内は静まり返っている。
「美恵~。」と、高山が手をヒラヒラと振りながら、受付に近づくと、本田は読んでいた本から目線を上げ、眼鏡の位置を正してから「愛良か。予約している本はまだ返却されてないわ。」とそっけなく言った。
 仲が良い二人の様子を見ながら、悠真は図書室という馴染みのない空間に、落ち着かない気持ちになっていた。
「催促しに来たんじゃないよ。ちょっと、聞きたいことがあってさ。」と、小声でしゃべろうと努力をしながら高山はしゃべった。しかし、高山の声は良く通るので、その努力はあまり実を結んでいない。
「日誌のリレー小説についてなんだけど…、」と、高山が切り出すと、急に本田はキッと、高山を睨みつけて言った。
「愛良。あんた、よくもピチピチのギャルを殺してくれたわね!」と、凄む。
 本田の怒りの迫力に、高山はたじろぐように「え? いや。私は殺してないけど…。」と、言った。すると、本田は「ふ~ん。じゃあ、やっぱり、佐藤君が殺したんだ。」と今度は悠真を睨む。
「いや。オレも殺してない!」と、悠真は慌てて弁解した。
 どうやら本田は、ピチピチのギャルが、物語の中で殺されて怒っているようだ。
「えっと…、美恵はピチピチのギャルに生きていて欲しかった…?」と、遠慮がちに高山が問うと、「当たり前じゃない。」と、本田が即答する。
「そうなの?」と、悠真が困惑して聞くと、
「そうよ! 天野君がどうしょうもないベッドシーンを書いてきたから、私はその後の展開までちゃんと考えて、今日の日直を楽しみにしていたんだから!」と、本田は言い、一つ深呼吸をしてから一気にまくし立てた。
「あの流れだと、きっと佐藤君は性行為のシーンを書くだろうと、私は予測していたの。まあ、佐藤君はいつも3~4行しか文章を書かないから、ピチピチのギャルとオムライスがセックスの前戯を始めるあたりで話は終わるかなあ、とも思ってたわ。そうしたら、私は、ピチピチのギャルが実は、警察に雇われた囮の捜査官で、オムライス・デミオを未成年者に対する性的暴行の罪でしょっぴいてやる展開を用意していたのにい!!」
 本田は、眼鏡の奥から鋭い目線を悠真に投げながら「何で、殺しちゃったのよ!!」と言った。
 「いや。だから、オレは殺してないって!」と、悠真も慌てる。
 性行為、セックス、前戯…。
 悠真が恥ずかしくて公の場では口にできそうにない言葉を、本田美恵はいとも簡単に静まり返る図書室内で機関銃のように言い放った。
 案の定、勉強をしているはずの生徒達が、何事かと、聞き耳を立てている気配が伝わってくる。
 「え?  オムライス・デミオを逮捕できるの? どっちかと言うと、ピチピチのギャルが積極的にデミオを誘っていたと思うけど?」と、高山がとぼけた質問をする。
 「ピチピチのギャルが16歳未満だった場合、5歳以上年上のデミオは捕まる可能性があるには、あるのよ。まあ、実際のところはわからないけど。」と、本田は言った。
 確かに、ピチピチのギャルの年齢は特に誰も決めて書いていなかったから、この展開はリレー小説のルールの範囲内かもしれない。
 本田は、「はあ~。」と、大げさにため息を付いて、「せっかく、派手に逮捕劇を書くつもりだったのに、誰かさんが殺しちゃうから、今日はつまらない葬式のシーンを書くしかなくなっちゃったじゃない。」と、本田は悠真を睨む。
 だから、オレは、書いてないし!
 「だいたい、『ピチピチのギャル』って、何なのよ! 私も鬼じゃないからね。銃殺された後、デミオの腕の中で名前を呼ばれながら、天に召されるシーンを華々しく書いてあげようかとも思ったんだけど、まさか、デミオに『ピチピチのギャル~!!』って、叫ばせるわけにもいかないじゃない。キャラに名前くらい付けときなさいよ!」と、本田はまた悠真を睨む。
 ああ、なんか、もう、どうでもいい…。早く、この場から立ち去りたい…。
 悠真が、何かを諦めた時、15時を知らせるチャイムが校内放送から流れた。
 「あ。私、部活に行かなきゃ。」と、高山が急に慌てだす。
 「どうやら、美恵がピチピチのギャルを殺したわけじゃなさそうだ。疑ってごめん。じゃ!」と、高山が手を振って図書室を出ようとする。
 「ん?どういう事?」と怪訝な顔をした本田は、「まあいいや、剣道がんばってね。」と高山に手を振って見送った。そして、
 「今の、どういう意味?」と、本田は眼鏡のレンズを光らせながら悠真の顔を覗き込んだ。
 その圧力に、悠真は逆らえなかった。

図書委員の推理

 図書室中に蔓延する好奇心の目を無視しながら、悠真は自分も高山愛良もピチピチのギャルが銃殺されるシーンを書いていない事を話した。昨日、悠真が職員室に行っている間に、誰かがあの文章を、わざわざ悠真の筆跡を真似してまで書いたのだ。だから、誰があの文章を書いた犯人なのかを探していて、悠真の次に日直である本田に話を聞こうという事になった…、という事を言い訳がましく説明する。
 「なるほどね…。」と、本田美恵は受付カウンターに頬杖をつきながら言った。
「もし、二人とも書いていないなら、誰があの文章を書いたのかが気になるわよね。」
 高山が部活動に行ってしまったから、緊張しながら悠真は本田と二人で話をしていた。
クラスの女子と二人で話をするなんて、今学期に入ってからは初めてなのではないか…。
悠真は、眼鏡越しに見える、本田のまつ毛が思いのほか濃くて長い事に気が付き、少しドキリとした。本田は、切れ長の目をした、色白の美人だ。
 ふいに、本田は「ねえ、佐藤君は、あの筆跡は自分の字に似ていると思った?」と、言いながらまっすぐに悠真を見る。悠真は恥ずかしくて目線をそらした。
「うん…。オレの字は真似しやすいだろうけど…、そっくりだと思った。」
「それよ!」と、本田はビシッと指を悠真の顔に突きつける。
「佐藤君の字は、確かに特徴があるよね。読みやすくてかわいい字だと思うわ。」
 その言葉に、一瞬、悠真は、褒められた!と、気持ちが舞い上がった。顔が赤くなるのを感じて思わず、顔に手をやる。
 「でもね。」と、本田は冷静に話を続け、「普通は、そこまで他人の筆跡を覚えていないし、再現するのは難しいと思うの…。ましてや、佐藤君が教室に日誌を置きっぱなしにしていたのは数分間でしょう? 私は、中学生の時に佐藤君と同じクラスになったことがあったから、筆跡もなんとなく知っているけど、高校生になってから知り合った人には、お互いの筆跡を知る機会はあまりないんじゃないかしら…。」
 そうだろうか…?
 悠真は高校生になってから、友人と呼べそうな仲になれた同級生はほぼ居なかったが、授業を比較的真面目に受けていることもあって、テスト前にノートを貸してほしいと、不真面目な男子達に言われることもある。天野などは、悠真のノートを自分のものだと考えているようで、貸しても礼すら言わない。ノートを見た男子達ならば、悠真の筆跡を知ることは簡単だ。
 どう伝えようかと、「オレのノートを見ている奴らなら…。」と、つぶやくと、「字は性格が出るのよ。」と、本田は言った。
 「普段から不真面目で乱暴な字しか書かない奴らが、誰かの字を真似しようとしても、すぐには読みやすい字は書けないものなの。佐藤君が教室を離れて職員室に行っていた時間は5分ほどでしょう? そんなに短い時間で、佐藤君の字を真似して書けるという事は、普段から几帳面に文字を書くことができる人で、尚且つ、佐藤君の癖のある字を知っている人物だと思うわ。」
 確かに、そうかもしれない。と、悠真は思った。
 高校生になってから、他の人の筆跡を知る機会がある課題はあまり出ない。小中学生の頃は作文の宿題がしょっちゅう出て、それらが学期末ごとに文集のような形でクラス中に配布されることもあるのだから、文章を書くのが苦手な悠真にとっては公開処刑にあったかのような恥ずかしさで、死ぬほど嫌だったのだ。
 「中学生の頃、同じクラスだった人は、今のクラスにどれくらい居るの?」と、美恵が聞いてきた。
 そうだ。背が伸びない事がきっかけで、卑屈な性格になる前までは、悠真はクラスの中でも活発な少年だったと思う。今は話をすることがほとんどなくなってしまったが、1年B組の中にも、中学校で同じクラスだった奴は居る。「友達」ではない、「顔見知り」程度の付き合いだが…。
 「宍戸(ししど)君と、森さん、それから桃木さんは、中学で同じクラスになったことがある。」と、悠真は言った。
 そして、「あと、高山も…、同じクラスになったことは無かったけど、部活が一緒だった…。」
 「ふ~ん。」と、本田は指を折りながら、「その中だと宍戸が怪しいと思うわ。」と、突然言った。
 「え?何で?」と、思わず聞き返す。すると、本田は、図書室で勉強している他の生徒達から聞こえないように声を潜めて話し出した。
 「私、小学生の頃からずっと図書委員ばかりをやってきたから、誰がどんな本を借りているか、大体把握できてしまうの。」
 小声でも聞こえるように、悠真の顔に本田は自分の顔を寄せる。
 シャンプーの香りがわかる程、本田が近づくので、悠真はたじろいだ。
 「宍戸はね、昔からミステリーが大好きなのよ。」と、ささやくように本田は言う。
 確かに、宍戸隆介(ししど りゅうすけ)は、休み時間によく推理小説を読んでいる。
 でも、だから宍戸が怪しいとはどういう事だろうか…。
 悠真の困惑を察したように、本田が話を続ける。
 「クラスのリレー小説を、どうしてもラブストーリーからミステリーに変えたいと思ったとしたら?『殺人』が起きなくちゃ、ミステリーは始まらないでしょう?」
  目から鱗が落ちる思いがした。
 今まで、悠真は日誌のリレー小説が嫌で嫌で仕方が無かったから、あの『ピチピチのギャル銃殺シーン』は、自分と同じようにリレー小説の内容に頭を悩ませている人が書いたものだと思い込んでいた。
 本田のように、むしろ自分が書きたい内容が決まっている生徒にとっては、日誌は楽しみの一つのようだ。そして、どうせなら自分が好きなジャンルの物語に変えていこうと、わざわざ自分の当番でもないのに、積極的に文章を書き加えたい人は居るのかもしれない…。
 悠真は、本田の考え方に感心したが、なぜ本田がこんなに顔を近づけて喋るのかがわからず、赤面する。
 「あの…。本田さん、顔が近い…、と思います。」後ずさりをしながら言うと、本田は相変わらず小声で、「ごめんね」と言った。
 「だって、誰がどの本を読んでいたか、図書委員が把握しているなんて当たり前だけれど、本来はみんなそれほど意識していない事のはずなのよ。ましてや、図書委員が第三者にその事を喋っていたら、みんな気持ちよく本を借りてくれなくなっちゃうでしょ?」と、本田は図書館内を見渡した。今は本田と悠真の声が耳に届かないせいか、みんな机に向かって黙々と勉強をしたり、本を読んだりしている。
 本田が言っていることが、よく理解できなかった。
 小さい声を出せるなら、性行為とか、セックスとかの話こそ、小声でしゃべって欲しい。
 「どんな本を読んでいるかを知るという事は、その人の頭の中を覗くような行為だからね。最もプライバシーに関わる領域だと私は思うの。」と本田は、図書委員としての誇りだろうか、自信に満ちた微笑みを悠真に見せた。美人に拍車がかかる、まぶしい笑顔だった。
 
 リレー小説が嫌で仕方がなかったし、ピチピチのギャルが殺されるシーンを誰が書いたのかなど、あまり興味が持てなかった悠真だが、今日一日で二人の女子と「犯人捜し」を目的に話をすることができたのだ。
 オレが、犯人を見つけたい!見つけて、本田さんに「すごい!」って、言われたい!
と、悠真は、煩悩まみれの欲が沸々と湧いてくるのを感じた。

宍戸隆介(ししど りゅうすけ)

 翌日、悠真が登校すると、既に宍戸隆介(ししど りゅうすけ)は、自分の席で文庫本を
手に持ち、静かに読みふけっていた。
  昨日、本田美恵に「宍戸が怪しい」と言われたことを思い出す。中学3年生の時にクラスが一緒だったが、悠真は宍戸と話をしたことがほとんどない。
  宍戸は、成績優秀で先生からの信頼も厚く、中学生の時は生徒会にも属していた。高校生である現在は、1年B組のクラス委員長をやっているなど、リーダーシップのある男子だ。その為か、静かに本を読んでいることが多い割に、友達が多い。おまけに、宍戸は、背が高い、色白のイケメンだ。
  悠真は、自分から宍戸に話しかけて良いものかどうかわからず、様子をうかがっていたところ、宍戸が本から顔を上げ、悠真と目があった。
  「おはよう」と、笑顔で宍戸が悠真に話しかける。悠真は咄嗟に反応ができず、
 「あ、お、おはよ」と、挙動不審な挨拶を返してしまった。
 どうしよう…。あの文章を書いたのかどうかを聞きたいけど、クラスメイトが大勢いる中で聞くのは、まずいよな…。
 悠真がためらっているうちに、宍戸はまた文庫本に目線を落としてしまった。
 同性のクラスメイトと個人的な話がしたいだけなのに、普段から接点が無いために、とても難しい事のように感じる。
 悠真が、チラチラと宍戸の様子を見ながらしどろもどろしていると、後ろから急に羽交い絞めにされた。
 「佐藤。おは!」
 天野だ。
 「なに?なに? お前、宍戸に告白でもするつもりか?」と、早速、ニヤけた顔で聞いてくる。
 「違うよ!」と、悠真は天野の羽交い絞めから逃れようともがく。
 宍戸が悠真の方を向いて、「何か、僕に話があるの?」と、おだやかな表情で聞いた。
 「あ、ちょっと、聞きたいことがあって…。」と、悠真は遠慮がちに言う。
 そこで、始業のチャイムが鳴り、担任の講師が入って来たので、「そう。じゃあ、後でね。」と、宍戸はさわやかに言った。
 
 昼休みに、悠真は宍戸と、視聴覚室前まで移動する。
教室を出るところを本田美恵に見つかり、彼女も一緒について来た。
人気が無い所まで来ると、昨日一日の顛末を、悠真は説明した。
 自分がピチピチのギャル銃殺シーンを書いた犯人かと疑われていることを知ると、宍戸の大きな瞳がキラキラと輝く。
 「そうか! 僕は疑われているのか! すごい! すごく良い着眼点だよ、佐藤君!」と、宍戸は、少し興奮気味にしゃべる。
「確かに、僕はミステリーが好きだから、クラスのリレー小説のジャンルをミステリーに変えるために、ピチピチのギャルを犠牲にすることぐらい、簡単にやりそうだよな!」と、早口で言う。
「まあ、宍戸が怪しいって、言い始めたのは私だけどね。」と、本田も会話に入り、昨日、悠真に説明したのと同様の理屈を宍戸に話す。
 宍戸は本田の説明を聞きながら、「本田さんも相当なミステリー好きだと僕は思うけど?」と笑って言った。本田も「ミステリーも好きだけど、どちらかと言うと、私は社会派サスペンスの方が好きよ。」と笑顔になる。
 悠真はミステリーとサスペンスの違いがわからず、楽しそうに笑いあう二人に自分の存在を忘れられているような寂しさを感じた。
 本田さんは、宍戸君の前では、あんなに楽しそうに笑うんだな…、
と思うと、自分には向けられることのない眩しいものを見るような気がして、余計に寂しさを感じた。

クラスミーティング

 金曜日の7限目は、クラス全員で話し合う「クラスミーティング」を隔週で行うことになっている。今日のテーマは、文化祭でのクラスの出し物についてだ。
 クラス仲が良いと言われているこの1年B組だが、クラスミーティングで、積極的に意見を言う者達は限られている。一部の自信にあふれた積極的な生徒達だけだ。楽しい事が大好きな桃木瞳子(ももき とうこ)を中心に、クラスのキラキラ女子達が、ノリと勢いで出した案に決まってしまう。
「…という事で、多数決の結果、僕たちのクラスの出し物は『男装女装カフェ』に決まりました…。」と言い、クラス委員長の宍戸は、「信じたくない」というような表情で、自分の背後の黒板を見つめていた。
 
・ボードゲームカフェ:4
・謎解きカフェ:2
・巨大迷路:5
・麻雀カフェ:1
・お化け屋敷:6
・男装女装カフェ:12
 
 これだけ、文化祭にありがちの企画が並んでいたのに、なぜよりによって男装女装カフェなのか…。宍戸は、謎解きカフェがやりたかった。男装女装カフェに票を入れたのは、ほとんどが女子達だった。こういう時の女子達の結束力は強い。
 おそらく女装をしたくない男子達は、何とか回避しようと様々な案を出した。結果的に意見が分散し、男装女装カフェに決まってしまった。
 宍戸は深く息を吐く。ため息だった。
 桃木瞳子(ももき とうこ)と、仲良しの森雪音(もり ゆきね)は、「どんな服装にする?かっこいいのが着たいよね~。」「どこで、服を買おうかな~。」と早速、盛り上がり始めている。
 「え~!? 文化祭の出し物の為に、服を買わなきゃいけないのかよ?」と、男子の不満げな声が教室に響いた。
 「そんな金ねえよ。」「もったいないじゃねえか。」「どうせ文化祭終わったら着られないだろ。」と、教室のあちらこちらから不服な声が届く。
 「確かに、普段着られない服を買うのはもったいないよな。」と、黒板前に立っていた宍戸はクラス中に届く声で言った。
「え? 私は、ズボンも履くし、別にもったいなくないけど?」と、桃木はきょとんとした顔で言った。その発言に、
「そりゃあ、女子はそうだろうよ!」と、男子の低い不満の声が複数重なる。
バスケ部の大田原(おおたわら)が「俺たちに、スカートを普段着として着ろ、って言うのかよ。」と声を張り上げた。
「別に、そんなことは言っていないでしょ!」と、桃木も強気に言い返す。
その時、「提案があります。」と、本田美恵(ほんだ みえ)が手を挙げた。
「これは、クラスの出し物だから、皆で協力し合うのが良いと思うの。できるだけ新しい服を買わずに済むように、女子と男子で私服を交換し合えば良いんじゃないかしら?」
 クラス中がざわざわと活気づいた。席の近い生徒同士でお互いの意見を小声で吐露し合っている。
 一部の生徒は「まあ、妥当だよね。」「その方がムダが無くていいか。」と、納得した様子であり、一部は「俺サイズのスカートなんて、あるのかよ?!」「え? 男子に私服を貸すの、嫌なんだけど。」と、納得がいかない様子だ。
 宍戸は、ふう~と、また息を深く吐いてから、「本田さん、提案してくれて、ありがとう。」と、言った。
「サイズの問題もあるし、嫌な人も居るかもしれないから、そこは身長や体形が似ている男女で、個別に交渉すればいいんじゃないかな。」と、投げやりな口調で宍戸は言った。後は、休み時間や放課後に個人で話し合ってもらいたい。
「おいおい、背がデカい男子はみんな、高山しか服を貸してくれる女子が居ねえだろうがよ。」と、長身の大田原が言う。
「私、普段着はズボンを履くことが多いから、スカートはあまり持ってないよ。」と、高山愛良(たかやま あいら)は、素っ気なく言った。
 教室中は、誰の服だったら着られそうか、誰の私服ならセンスが良さそうか、などをつぶやき合い、熱気が増してきた。席を立って、めぼしいクラスメイトに直に交渉を試みる者も居る。1年B組のクラスミーティングは、いつも自由でカオスな状態になる。宍戸は、もうどうにでもなってくれ!と、しばらく、この状況を放置することにした。
 
「ねえ、佐藤君。」と、悠真の席近くまで、森雪音がやって来た。隣に桃木瞳子も連れ添っている。
「佐藤君なら、私の服が着られるんじゃないかな…?」と、遠慮がちに小柄な森は言った。確かに、森の身長は悠真と同じくらいだ。
「え? い、いいの?」思いがけない申し出に悠真は、声が上ずってしまった。
「うん。もちろん!」と、微笑みをたたえながら「でも、その代わりに、服選びは私に任せてね。」と、楽しそうに言った。
 その笑顔に、一瞬だけ嫌な予感がよぎったが、森雪音の笑顔があまりにも可憐だったので、「あ、ありがとう! お任せします。」と、声をどもらせながらも前のめりに言った。
 悠真の返事を聞くと、森は桃木と顔を見合わせて、にんまりとほほ笑む。
「メイクは私がやってあげる!」と、桃木が、任せろ!とばかり自分の胸を叩く。桃木の大きな胸が揺れるのを見て、悠真はドギマギして目をそらす。
 その時、天野が「はあ~。」と、わざとらしくため息をつきながら、「低身長な奴は得だな。」と、悠真に聞こえるように呟いた。
「なあ、桃木。俺にもお前の服を貸してくれよ。」ニヤニヤといやらしい笑みをしながら天野は桃木に向かって言う。
桃木は嫌そうな表情を隠さない。天野は気にすることなく、
「桃木って普段、どんな服、着てんの?」と聞いた。
「はあ? 別に普通だよ。カジュアルなTシャツにデニムスカートとか、プリーツスカートが多いけど…?」と、桃木は怪訝な顔をしながらも、質問に答える。
「へえ。案外つまんねえな。もっとエロい恰好しているんだと思ってたぜ。」
「はあ~!?」呆れた声を桃木は張り上げた。「何、言ってんの?!」
「せっかく、おっぱいデカいんだからさ、もっと胸を見せる服を着ればいいじゃねえか。」と、天野はニヤニヤ笑いながら言った。
「最低! あんたなんかに貸す服なんて持って無いから!」と、桃木は冷ややかに天野に言い捨て、森雪音と一緒に自分の席に戻って行った。

中間テスト結果

 悠真はテスト勉強期間中や、テストの本番日より、テスト返却の瞬間が一番嫌いだった。
過去の自分の努力の結果が全て可視化され、数字になって表れるのだ。
 現代文、古典、地理、歴史はなんとか平均点にやっと届くくらいの点数を取れた。しかし、数学や物理、英語、化学については、赤点を取らずに済むことが、目標だ。悠真は勉強が得意ではない。特に理数系と語学は、何をどう勉強し、努力すれば点数が伸びるのか、皆目見当がつかなかった。やみくもにしか、努力せざるをえないのは、体力も精神力も削られる。
 テスト返却日は、同じクラスメイト達の間で、優秀な生徒と、そうでない生徒がはっきりとわかってしまう。
「宍戸君、すごい!また、満点取ったの?!」と、宍戸隆介を囲む女子達の甲高い声が教室に響く。英語のテスト返却がされたばかりだ。宍戸はニコニコと、謙虚な笑顔だ。
 宍戸のような例外も多いが、大体において、テストの平均点を上げるのは、女子生徒達が多く、男子生徒達は下げることに貢献していた。
 本田美恵は、どの教科においても成績上位で、宍戸と高得点を争う。部活動に忙しいはずの高山愛良も、歴史に関しては常にトップの座を譲らないし、森雪音は理数系の科目が強い。チャラチャラしているように見える桃木瞳子も、現代文と古典では宍戸より高い点数をたたき出すことがある。
 宍戸や本田のように全教科で優秀な成績を収める者が居る一方で、一点突破で得意分野がある者も居る。
 悠真は特に得意だと感じる教科がない。暗記をすれば何とかなる教科はまだ頑張りようがあるが、必死に勉強してもようやく平均点前後であることがほとんどだ。数学と化学に関しては、既に手の施しようが無い程に理解できず、苦手だった。
 
「だりい。」と、後ろの席の天野が立ち上がって腕を伸ばし、「お前、どうだった?」と、悠真の返事を待たずに、裏返しにしてあった英語の答案用紙を勝手にめくった。そして、「チッ!」と舌打ちして、悠真に答案用紙を乱暴に返した。
 今回、英語はなんとか赤点を免れた。悠真は補修を受けずに済む。しかし、既に色々な箇所が分からなくなっている。なんだかよくわからないまま、授業が進んでいくことに不安も感じていた。
 天野は、机に突っ伏して寝始めた。きっと、ほとんどの教科で赤点なのだろう。
テスト返却日は特に機嫌が悪い。
天野はいつも授業中に寝ているか、ノートに落書きをしている。テスト前になると、一応、悠真のノートのコピーを取るが、悠真は天野が熱心に勉強をしている姿を見たことが無かった。
 テストの点数が悪いのは、勉強をしない自分が悪いのに、オレに不機嫌をぶつけられても困る。と、悠真は思い、できるだけ天野には近寄らないように気をつけた。

不穏なラブレター

 生徒達の大半が長袖のシャツとカーディガンを制服にはおり始めた。昼間は暖かいのだが、朝の登校時にはマフラーを巻きたくなる気温だ。文化祭準備も大詰めに入り、クラスを装飾する備品などの作成の為、早めに投稿する学生も多くいる。教室は朝から活気づいていた。
 朝、桃木瞳子(ももき とうこ)は登校し、カバンをロッカーに入れようとしたところで、1通の封書がロッカーの扉部分に挟まっていることに気が付いた。何の飾りも無い、ただの白い封筒だった。不思議に思って中身を確認する。便箋も白く、二つ折りにされている。これは、もしかして、ラブレターだろうか。
桃木は特別モテるわけではないと思っているが、それでも小学生の頃から何回かは男の子からラブレターをもらったことはあった。なので、異様に清潔感のある封筒と便箋を見て、これは普段、手紙などを書かない男子が、ネットで調べて一夜漬けで好感度を演出するために選んだ便箋なのだろうなと直感した。
桃木はおもむろに便箋を広げてみて、固まった。

君の冷たい瞳が俺の心をつらぬく
声をかけても氷の言葉、恋の名をかりたこのくるしみ
俺の心ぞうが血をふき出す、痛みの銃声

君が彼女にならないなら、いっそ消えてくれ
この胸の中で君は たおれるべき存在
俺が悪いのか、君が悪いのか
このくるしみが恋なら、もうたえられない

脅迫状だろうか…?
桃木はゾッとした。
誰がこんな手紙を書いたのだろう…。
便箋と封筒をひっくり返してみるが、差出人の名前はどこにも書かれていなかった。
「瞳子ちゃん、おはよう!」と、森雪音が明るく声を掛けて来たが、桃木の怯えるような表情に気が付いて、すぐに「どうしたの?」と、聞く。
桃木は黙って便箋を森に渡した。
手紙を黙読した森は、すぐに「何これ!」と、声を上げ、「歌詞の様にも見えるけど…、なんか、怖い文章だね。」と言った。
「最初、ラブレターかと思ったのだけど、差出人が書かれていなくて…。」と、桃木が困った顔で言う。
「うん。不気味だよね。先生に相談した方が良いのかも…。」と、考えながら森は言った。
そこへ、「お。桃木。それ、ラブレターか?」と、長身の大田原(おおたわら)が背後から覗き込むようにして手紙に手を伸ばした。
「なんだ、これ…? ポエムか?」
桃木は咄嗟に便箋をしまおうとしたが、間に合わず、俊敏な大田原に奪われてしまった。
「すげえ、笑いが止まらねえ! 『君の冷たいひとみが俺の心をつらぬく』だってよ!」と、ゲラゲラと大田原は笑いながら、大声で朗読をはじめた。
教室中の生徒が何事かと興味津々に集まって来る。
「ちょっと!」「やめてよ!」と、桃木と森は抗議の声を上げたが、ふと、投げやりな気持ちになった。
誰が何の目的でこの手紙を桃木のロッカーに入れたのかはわからないが、自分の名前を書かなかったのだ。この、ポエムのような脅迫状(もしかしたらラブレター?)が、大田原によって公開朗読されても、桃木の心は痛まなかった。
桃木は教室内の生徒達の顔をじっくりと見る事にした。
女子達は皆、「なに? キモいんだけど!」「こわ!」「ストーカーの手紙みたい」と、ヒソヒソと話し合っている。
男子達の多くは、大田原の朗読にびっくりした様子だったが、すぐに「ポエム?」「詩人か?」「センスねえな」「だせえ」「誰だよ!」と、笑い転げながら、手紙の文章を馬鹿にし始めた。
便箋を手に持っていた大田原がふと、「なあ、これ、佐藤の字じゃね?」と、言った。
佐藤悠真は、はしゃぐ男子達を遠巻きにして見つめていたが、急に自分の名前が出て「え?」と、固まった。
「ほら、丸い特徴のある字じゃね?」と、大田原は悠真に近寄り、白い手紙を広げて見せた。
確かに、悠真が書く、丸くてコロコロとした筆跡によく似ているように見えた。が…、
「いや。オレの字じゃない!」と、悠真は叫んだ。
悠真の隣に居た天野が「そうか? 俺にもお前の字に見えるぞ。」と、ニヤニヤ顔で言う。
一瞬、耳鳴りがしたような気がして、悠真はこめかみを押さえる。
 しかし、言われっぱなしは嫌だ。 
何か…、何か反論できる手がかりがないだろうか…。
悠真は少し考えてから、大田原が広げている手紙を手にすると、
「オレ、こんな変なポエム、書きたくても書けないよ!」と言い、
「でも、『心ぞう』は、漢字で書ける!」と言って、黒板に歩み寄り、『心臓』と、少し乱暴に書いた。
「おお~!」と、一部の男子が、納得したかのように感嘆した。
「ちょっと、その手紙を見せてくれる?」と、宍戸が大田原に歩み寄り、手紙を横から眺めながら、「佐藤君、『ふき出す』と『つらぬく』も、漢字で書いてくれる?」と問うと、悠真は大きく『噴き出す』『貫く』と、チョークで書いた。
再び、「おお~!」と、男子達の声が盛り上がった。
 
え? なにこれ? 漢字テスト…? 
中学生までに習う漢字を佐藤に書かせて、宍戸君はいったい何がしたいの…?
と、男子達の様子を見ていた桃木は呆れていた。
「僕は、この手紙は佐藤君が書いたんじゃないと思うよ。」と、宍戸は冷静な声で言った。
大田原は、「いや…。漢字が書けただけで、そう言い切れるかよ。」と、反論する。
「これは、多分、桃木さんに対する脅迫状だよね。」と、宍戸が言うと、大田原は、
「いや。ラブレターじゃねえの?」と言う。
 桃木もそれがわからなくて、怖いと思った。
宍戸は少し考えてから
「いずれにせよ、この手紙を書いた人物が、漢字を知っているのであれば、漢字で書く方が自然だと思うよ。」と言う。
「そうか?」と、大田原は納得がいかない様子だ。
「だって、脅迫状の場合は、ひらがなで書くと何だか間が抜けてしまうから怖さが無くなってしまうし、ラブレターならなおのこと、好きな相手に知識があることを文面でアピールする方がいい。漢字で書かない理由が無い。」
 淡々と、宍戸が説明すると、大田原も「確かにな…。」と納得した様子で、「疑って悪かったな。」と、悠真に詫びた。悠真は、安堵のため息をつく。
天野は「そうか? これって、歌詞みたいな文だし、アートみたいなもんだろ。漢字を知っていても、わざとひらがなで書いて何かを表現したかったのかもしれねえじゃん。」と、食い下がる。
「へえ、お前、アートに興味あるんだ?」と、大田原がからかうような口調で言うと、天野は「別に、ねえよ!」と言い、乱暴に席に着いた。
それを聞いた宍戸は、「なるほど、わざとひらがなで表現する場合も考えられるのか…。」と、あごに手を置いて考えながら、白い便箋を手に取ると、
「まさか!これは、謎解きの暗号かもしれない!」と、突然大声で叫んだ。
男子達の様子を遠巻きに見ていた本田美恵が歩み寄り、
「そんなわけ、ないでしょ!」と呆れた声で言うと、宍戸の手から白い手紙を素早く奪い取って、桃木に返そうとする。
桃木は、「いや…。私、その手紙、いらない…。持っていたくない。」と、身を震わせて断った。その時、「じゃあ、それ、ちょっと俺に貸してくれねえか?」と、大田原が桃木と本田の間に割り込む。
「別にいいけど。」と、桃木は気味の悪い物をつかむような手で、手紙を本田の手から大田原の手に渡した。
 チャイムが鳴り、教室中に散っていた生徒達が席に戻り始めた。今朝は文化祭準備が全く進まなかった。
 
 結局、桃木は先生に手紙の事を相談しなかった。
先生達が何かをしてくれるとは思えないし、手紙の内容は、すでにクラス中が知っている。
心優しい女友達は、みな桃木を心配してくれる。
「怖いよね…。」「嫌な気持ちになるよね。」「私だったら、怖くて学校に来られなくなるかも…。」と、桃木の不安な気持ちを的確に表現して共感してくれる。それだけで、少しだけ安心する事ができた。
 白い便箋に書かれたあの手紙は、攻撃的な内容と、かわいらしい丸文字がちぐはぐな印象があり、余計に気味悪く感じた。大田原から、あの手紙を貸して欲しいと言われて、良かったと思った。そうでなければ、気味が悪くてすぐに捨てたくなるだろうが、そうしてしまうと、もう誰があの手紙を書いたのかを知る手がかりが無くなってしまう。
 宍戸は佐藤悠真が書いた手紙ではないと言っていたが、漢字が書けたからと言って、身の潔白の証明になるとは思えない。そんなに単純な事だとは思えない。何しろ、あの手紙は全てがかみ合わないのだ。清潔そうな白い便箋、不穏な文面、丸くかわいらしい文字、高校生が書いた様には見えないひらがなだらけの文章…。
 桃木は佐藤が中学生1年生の頃から知っている。今でこそ大人しくて目立たないが、中1の時は、やんちゃな性格だった。そして、よく嘘をつく男の子だった。
「嘘をつく」と言っても、誰かをからかったり、冗談を言って笑いを取るための、他愛もないものだったが、桃木はその面白さが分からず、ただただ困惑する事が多かった。
佐藤なら、男子達の笑いを取りたいが為のジョークとして、桃木にあんな気味の悪い手紙を送るくらい、心を痛めることなくやりそうだと思った。
 もうすぐ文化祭だ。本来であれば、もっともウキウキワクワクと気持ちが高揚する時期のはずなのに、そうなれない状況に、桃木は歯がゆさを感じていた。

2話目

3話目

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門 #ジェンダー #学校 #リレー小説 #女装


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