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1年B組―『ピチピチのギャル』殺人事件(3)


【ご注意ください】
物語の中に、学校内でのいじめの具体的な描写が含まれます。見出しに「昔の事」と入っている箇所が、該当します。

昔の事 ― 2年前

 悠真が剣道を始めたのは小学4年生の時だった。
 家から徒歩で15分の小さな道場で、子どもの剣道教室が開かれており、そこに週3回通った。そこでは、幼稚園児から中学生が一緒になって稽古をしていた。多くの子ども達が、4~5歳のうちから剣道を始めていたせいか、道場で会う同級生はみな既に剣道が上手くて、悠真は幼稚園児や小学校低学年の子ども達に混じって、初心者向けの稽古をこなしたが、それは苦にならなかった。おじいちゃん先生も優しかったし、兄弟の居ない悠真にとっては、年齢の違う子ども達と一緒に過ごす時間も楽しかった。既に剣道が上手い同級生も、親切に色々と教えてくれたし、防具を付けて稽古をするようになってからは、一緒に仲間として試合に出る事もあり、悠真が負けても励ましてくれた。
悠真が試合で勝つことはほとんどなかった。小学校高学年で試合に出る子ども達のほとんどは、既に長く剣道を経験している。悠真も道場の友人もそれを理解していたから、悠真が負け続ける事に嫌気がさして稽古を休むことは無かったし、勝てない悠真を攻める人も馬鹿にする人も居なかった。悠真は剣道が好きだった。
 
 だから、中学生になった時、剣道部に入部したのだ。
 1年生の時はまだ良かった。中学から剣道を始める同級生も多く、悠真は初心者に対して教える事も出来ていたし、周りも悠真の事を「経験者」として扱っていた。
 しかし、2年生になる頃には、初心者だったはずの同級生達にも悠真は試合稽古で勝てなくなっていた。同じ目線に立っていたはずの同級生達とは、少し顔を上げて、目線を上げなければ、視線を合わせる事が出来なくなっていた。それでも悠真は部活をサボったりすることは無く、家でも素振りや足さばきの練習などを地道な努力を続けていた。しかし、その頃から、部内での悠真への扱いが徐々に変わっていったように感じていた。試合に出してもらえることはほとんどなく、同級生や顧問の先生から「万年初心者」と不名誉なあだ名を付けられてしまった。
ある日、稽古の中で、「おい、お前ら。もう少し手加減してやれよな。そんなに面をたくさん打たれたら、佐藤の身長が伸びなくなっちまうだろ。」と、顧問の先生が冗談めかして言った。
「だって、腕伸ばしたら打てちゃうんだもん。」「丁度いい位置に面があるしな。」と、悠真と稽古をしていた同級生達は笑って言った。みんな笑っていた。先輩も同級生も、後輩も、女子部員たちも、たぶん、高山愛良も…。だから、悠真もつられるように、大丈夫なふりをして笑った。
すると、顧問の先生は急に怖い顔になって「おい、佐藤。お前はもう少し真剣になれよ。一応『経験者』なんだろ? 去年から始めたばかりの奴らに楽に抜かされて悔しくはないのか? もっと努力しろよ。」と諭した。
悠真は、その日から素振りの数も倍に増やしたり、走り込みの距離を伸ばしたりしてみたが、何をどう「努力」すれば、良いのかがわからずに焦った。見かねた優しい先輩や同級生が、悠真に具体的なアドバイスをしてくれることもあったが、そのアドバイスを生かした動きを悠真が直ぐに再現できないと、あからさまに落胆した顔をされた。
1か月経っても、2か月経っても、悠真の「努力」が、実を結びそうな気配は無く、部内では、顧問の先生だけでなく、先輩や同級生達からも、「もっと頑張れ」「もっと真剣になれよ」「やればできるはずだ」「なぜ出来ないんだ?」「努力してないんじゃないか?」と、言われ続けた。
そのうち、部活の中だけでなく、クラスの中でも悠真の些細な行動に「アドバイス」と称したクレームや注文を言ってくる生徒達が増えた。
「ノートに書く鉛筆の音がうるさいので、静かにしてください」「黒板を消すときはもっと丁寧に消してください」「佐藤君は高い所の掃除ができていないので、掃除当番では床拭きだけを担当してください」「小さすぎて見えないので、廊下を歩く時は手を挙げて歩いてください」
ほとんどが、冗談として、ジョークとして言われた言葉だった。だって、みんな楽しそうに笑っている。本気じゃない。だから、悠真も一生懸命に楽しそうな顔をして、笑い返していたのだ。
「こっちが真剣に話している時にヘラヘラ笑わないでください」「佐藤君の言う冗談は面白くないので、ジョークとか言わないでください」「笑い声が甲高くて変なので、笑わないでください」
 何をどうリアクションしても、注文やクレームが止むことは無かった。もはや、悠真は部活内でもクラス内でも「何を言ってもよい人」として扱われていた。だって、佐藤悠真は努力していないから。ちゃんと、みんなからのアドバイスを真剣に聞いて、生かそうと努力していない怠け者だから…、と。
教室内でも部室でも、静かに大人しく過ごし、誰とも会話せず、笑わないように気を付けるしか、過ごし方が分からなくなっていた。
 秋ごろになると、悠真の左手首は慢性的に腫れて熱を持ち、痛みが治まらなくなっていた。腱鞘炎だった。医者からは「しばらく剣道は休むように」と言われた。
 やっと、心の底から欲しかった、良い「アドバイス」を医者という権威からもらえたことに、安堵した。
 顧問の先生に状況を伝え、剣道は休部し、そのまま誰からも声をかけられなかったので、再開する事も無く、中学を卒業した。
 
「部員たちの佐藤への態度は、酷すぎた。あれは、いじめだったと思う。私もそばで見ていて知っていたのに、『やめなよ』って言わなかったのは、私が卑怯者で、弱かったからで…、ごめんなさい。」と、高山はもう一度、謝った。
悠真にもわかる。当時の高山愛良が、どれだけ正義感が強かったとしても、顧問や先輩達に対して、悠真への態度を改めろと言い切る事は、すごく難しい。高山が「やめなよ」と言ったところで、中学2年の女子部員のうちの一人だ。適当にいなされるか、無視されるだけで終わっていただろう。
『あれは、いじめだった』と高山から言われるのは惨めな気分だった。
だけれど、みんなが悠真の事をからかうのは、自分のせいではなかったと言われたようで少し気持ちが軽くなった。
ずっと、自分のせいなんだと思っていた。
オレが、みんなが期待するとおりに、上手くなれなかった。強くなれなかった。だから、からかわれても、努力をしていないと怒られても仕方がないと思っていた。
それが、ずっと悔しくて、悲しかった…。

「佐藤は、すごい努力家だよね。」と、高山は言った。
「え?」と、悠真は言葉に詰まってしまった。努力家だと、言われたことは無かった。
一応、自分でも努力はしているつもりだったが、まだまだ足りていないのだと思っていたのだ。だって、きっと、みんなはもっと頑張っている、と。
「佐藤が剣道をやめちゃったのは、勿体ないなって、思ってたよ。中1の時は楽しそうだったし。」と高山は言った。
「いや…。オレ、スポーツするのに向いてないよ。こんな身長だし。」
 もう一度、部活動で剣道を再開するつもりは無かった。身体を動かすことが好きで、楽しくて、剣道も好きだと思っていたが、好きだからと言って、向いているとは限らない。
 悠真も、自分に向いているスポーツがあるなら、それをやりたかった。でも、スポーツ全般、何をやっても自分の身体には向いている気がしなかった。スポーツだけではない。勉強でも「向いている」「得意である」と思える教科は皆無だった。新しい事に挑戦する事にすら億劫になっていた。
「私さ、今、町道場の大人の部にも時々通っているんだ。」と突然、高山は言った。この高校の剣道部には、女子部員は高山しか居ない。中学の頃は男女混合で出られるような小さな大会もあったが、高校生となると男女別となってしまう為、普段は男子部員たちに交じって稽古をしていても、高山は一緒に試合に出られる仲間が居ない為、町道場にも通っていると説明した。
「高校生なら、大人の部で練習する事もできるし、みんな事情が違う中でやっているから、真面目に努力している人を笑うような雰囲気は無いよ。」と高山は続けた。
 悠真はあまり乗り気じゃなかった。
どうせ自分は何にも向いてはいないのだ。高校に入っても、男子達からはからかわれ、女子達からは遠巻きにクスクス笑われていたし、きっとどこに行っても同じなのだ。
「無理に誘うつもりは無いから…、もし興味があったら、一度見学しに来て。」と、高山は遠慮がちに言った。
 
 高山と話しながら、悠真は帰り支度をしていたが、天野に貸したはずのノートが見当たらない。
 あの、うっかり野郎…!
と、悠真は心の中で毒づいた。コピーを取った後、きっとそのまま家に悠真のノートを持って帰ってしまったのに違いない。
 今日の夜、歴史と現代文の復習をしようと思っていたのに、ノートが無いとできない。予定が狂ってしまうではないか。
 悠真が机周りをゴソゴソと探し回っているのを見て、高山が、
「何か、探しているの?」と聞いて来たので、悠真は正直に、
「オレのノート。天野に貸したけど、返されてなくて…。」と、言った。
高山は少し考えてから、「天野ね…。」と、つぶやいた。
「佐藤は、なんで天野に優しくしてあげるの?」と聞いてきた。
別に優しくしてやっているつもりは無いので、その質問自体に驚いた。
「私は、天野がちょっと苦手だから、あまり近づかないようにしているけど…?」
そうだろう。きっと、クラスメイトのほとんどは、意識して天野とは距離を置いているのだ。
天野の近くにいると、悠真みたいに利用されてしまうのがわかっているから。
高山は、急に悠真に向けて、母親のような優しい表情を向けた。そして、
「仲良くする人を、佐藤も選んでいいんだよ。」と、優しく諭すように言った。
なんだろう…、無性に腹が立って仕方が無かった。
何も返事を返さずに、机の中を探り続ける悠真に向かって
「何か、困ったことがあったら教えて欲しい。佐藤は何でも自分だけで解決しようとし過ぎている気がするから。」と、高山は少し笑って言った。

消えたノート

 天野はよく午前中は学校を休むことが多い。遅くまでゲームをしているせいか、朝は起きられないらしい。その日も、午後の昼休み中に天野は登校してきた。
悠真は、天野にノートを返して欲しいと詰め寄ると「は? 俺、お前のノートなんて持ってねえし。」と、しらばっくれる。
 今まで天野にノートをかして数日間返ってこない事はあったが、貸したこと自体を否定された事は無かったので、悠真は少し焦った。
「コピー取ったら、もういいだろ? 返してくれないとオレが困る。」と、悠真がきっぱりとした口調で言うと、
「は? お前、たかがノートでキレてんじゃねえぞ!?」と脅すような口調で言われた。
どうやら今日は朝からご機嫌斜めな日のようだ。テスト前はいつも機嫌が悪い。
悠真はため息を大きく吐いて、
「もういい。もう、お前にはノートは貸さない。次からは別の奴から借りろよ。」と言い捨てて、席に着いた。
昨日の高山が言っていた『仲良くする人を、佐藤も選んでいい』という言葉が頭に浮かんだ。
高山から言われた瞬間は、まるで自分が子ども扱いされたみたいで腹が立った。
普段から、自分と天野はクラスメイト達から、爪弾きにされた存在だと感じていたが、それも意識的にそうされていたのだと知って、悲しかった。
しかし、天野と一緒にいるとどんどんと自分が利用され、搾取され、疲れてしまう事にもいい加減、悠真は気が付き始めていた。
しかたがない。高山愛良に状況を話して、ノートを見せてもらおう。『困ったことがあったら教えて』と、本人も言っていたし。
あの忌々しいリレー小説のおかげか、文化祭での女装のおかげか、先学期と違い、今の悠真には少し余裕があった。何か困った事があっても、相談できるクラスメイトが居る。
そう思って、天野の舌打ちと、貧乏ゆすりを無視し続けていたら、
バシッと、強い衝撃を後頭部に受け、机に頭をぶつけそうになった。
何をされたのか、理解するまでに時間がかかったが、頭を手で勢いよくはたかれたのだとわかった。
苛立ちを隠さない天野の顔が目の前にあった。ここは教室内だ。クラスメイト達の目がある中で、まさか暴力を使われるとは思わなかった。
「…痛いんだけど。」と、冷め切った口調で悠真は言った。
「ちょっと!」という牽制の声と共に、高山愛良が飛んできて、悠真を庇うように天野との間に割って入った。
「おい。天野、お前、なにやってんだよ!」と、大田原の低い声も教室中に響く。
 森雪音の「酷い!」という高い非難の声。
「見てたからね! 佐藤君の頭を叩くところ。」と、本田美恵も天野に詰め寄った。
宍戸が「佐藤君と天野君は席を物理的にも離した方が良いと思う。佐藤君、僕の隣の席に来る?」と提案した。
他のクラスメイト達のヒソヒソ声に押されるように天野は、「何なんだよ! ちょっと、ふざけただけだろうが!」と言い訳をしながら、後退する。
悠真は驚いていた。
今学期になって話す機会が増えたとはいえ、大田原や宍戸までもが味方になってくれるとは思っていなかったのだ。
後頭部はまだ痛むが、耳鳴りはしない。
悠真は冷静になれた。天野のこの苛立ちは何なんだろうかと考える余裕まであった。
「天野。聞きたいことがあるんだけど、今日、放課後に時間ある?」と、悠真は聞いた。
クラスメイト達が、驚いている。
「やめとけよ、佐藤。天野と冷静な話し合いをするなんて無理だと思うぜ。」と大田原は言い、「こいつに聞きたい事って、何なんだよ。」と、悠真に聞いた。
悠真は大田原の顔を見ながら、「気になるなら、一緒に来て。」と言った。
結局、午後の授業は宍戸の隣に席を移して受けた。後ろから、ちょっかいや嫌がらせを受けないで平和に授業を受けられるのは久しぶりだと感じた。
良かった。この環境なら落ち着いて放課後の事を考えられる…。
悠真は、ノートを破ってシャープペンシルを走らせた。

対峙

放課後に、人気のない視聴覚室前まで移動すると、天野は「聞きたい事ってなんだよ?」と、挑むように聞いてくる。
悠真は「単刀直入に言うけど、桃木宛の謎の手紙は、天野が書いたと、オレは思っているよ。」と、切り出した。
天野は、「は?!」と、短く返したが、目が泳いでいるのがバレバレだった。
大田原が興味深そうに、「へえ? なぜそう思うんだ?」と、聞いてくる。
「別に証拠があるわけじゃないんだ。半年間、天野と話したりしている中で、あの手紙の文章は、天野が好きそうな文章だなと思っただけなんだ。」
悠真は、天野をストーカー扱いして攻めたいわけではなかった。
ただ、知りたかったし、天野に知ってもらいたかった。
 悠真が直感したように、本当に天野が書いた手紙だったのか、あの手紙を読んだ桃木に何をして欲しかったのかを知りたかった。そして、悠真を含め、きっと桃木や、その他の人達は、天野が望む通りには振舞ってはくれないという事を、天野に知って欲しかった。
「天野は、音楽が好きだよね。」と、悠真は言った。
 一度だけ、天野の家に遊びに行った事がある。部屋にはエレキギターや、電子ピアノが並び、狭い部屋の中にも関わらず、大きなスピーカーがベッドを挟むように設置してあったことを思い出す。スピーカーの性能を自慢するかのように、天野はお気に入りのバンドの曲を悠真に聞かせた。突然、激しいドラム音と、ギターやベースの速い和音と、男性の太い声がスピーカーから重なり合って飛び出し、悠真は吹っ飛ばされるかと思うような、音の圧力を感じたものだ。
「あの手紙の文章が、ちょっと歌詞みたいだったし、天野がよく聞いているバンドの曲に、似たような雰囲気の歌詞があったから、天野が書いたんだろうなって思ったんだ。」
落ち着いた声で、淡々と悠真がしゃべるせいか、天野は特に激昂するわけでもなく、大人しく聞いていた。
「ふ~ん。お前、音楽とか好きなの?」と、大田原が意外そうに天野の顔を覗いた。
「…悪いかよ。」と、不貞腐れるように天野は言い捨てる。
「別に。でも、お前、音楽の授業とかほとんど出席してなかったじゃねえか。」と大田原が聞くと、「授業で聞く、ぬるい音楽は好きじゃねえ。」と返す。
「まあ、確かに。授業で聞く音楽には俺も興味ねえな。」と、大田原は言った。
そして、「で、どうなの? お前があの脅迫状を書いたのか?」と、天野に詰め寄る。
「脅迫状じゃねえよ!」と、天野は反論した。
「たぶん、天野は自分の気持ちを桃木に知ってもらいたかったんだろ。」と、悠真が聞くと、天野は急に赤面してたじろぎ、
「だったら、どうだって言うんだよ!」と、キレてごまかそうとした。
「は!? 待った! あれって、やっぱり、ラブレターだったってことか?!」と、大田原が慌てて聞く。
「ラブレター…、という事になるのかな…?」と、悠真が天野の方を見て問うと、天野が今にも噴火しそうなほどに顔を赤くして立っている。
「お前ら…、面白がってんじゃねえよ…。」怒りを抑えたような低い声で天野はうめく。
「面白がってるわけじゃねえけど、不思議ではあるよな。」と大田原は顎に手を当てて天野を見下ろした。
「天野。お前は、桃木にどうして欲しくて、自分の気持ちを伝えようと思ったんだ?」
「は? そんなの、俺の気持ちを知って欲しくて…。」
「天野の気持ちを知った桃木に、天野はどうして欲しかったんだ?」と大田原は天野に詰め寄った。天野は言葉を探している様子だったが、ふと諦めたように「そんなん、知るかよ!」と、吐き捨てた。
「たぶん、ただ自分の存在を知って欲しかっただけなんじゃないのか?」と悠真が冷めた口調で答えた。
「普通はさ、好きな子と付き合いたいから、関係性を発展させたいから、自分の気持ち知ってもらおうとするものだって、考えると思うけど…。もう、どう頑張っても良い関係を築けない、付き合うなんて無理だってわかっている時は、たとえ相手から嫌われるとわかっていても、無理矢理に自分の存在を相手に印象付けようとするんじゃないかな。」
 好意に対して好意で返してもらえないのであれば、例え嫌悪や恐怖というネガティブな感情であっても、いい。何の反応も返されないで、存在を認知されないまま無視され続けるより、恐怖で相手の心に自分の存在を残せるのであればその方がマシ。そう、考えたのではないだろうか。
 天野は何も言わない。
 大田原は「お前、病んでるな。」と、天野に対してというより、悠真に対して言った。
「想像してみただけだよ。」と悠真は何のことも無いかのように言う。
「だって、文化祭の出し物についてクラスミーティングをした後に、あの手紙が桃木さんの元に届いたんだ。ミーティングのあった日、天野は桃木さんに私服を貸して欲しいと頼んだけど、余計な事を言って怒らせて、断られていたよな。」
「余計な事って?」と、大田原が興味深そうに聞いてくる。
悠真は「えっと…、胸が大きいとか、もっと胸が見える服を着れば…とか、なんかそういうような事。」と、ごにょごにょと言い淀みながら返答する。
「それ、マジ余計な事だな。地雷じゃね?」と大田原が言うと、
「うるせーな! お前に言われたくねえよ。」と、天野が威嚇する。
「とにかく、あの時の会話が原因で、もう桃木さんと仲良くなれないと思ったお前は、せめて自分の存在と気持ちを知って欲しいと思って、手紙を書いた。違う?」
悠真の問いに、天野は「まあ…、そうだ。」と認めた。
直感が当たっていたことに悠真は安堵した。そして、深呼吸をする。
ここからが、肝心だ。
「違っていたら、ごめん。でも、桃木さんの衣装を切り刻んだのも、天野で合ってる?」と、少し遠慮がちに悠真は聞くと、天野の動きが止まった。
「…本当は、後悔しているんじゃないの? あんな事、するつもりは無かったんじゃない?」と、悠真は優しい口調で聞く。
「そっか! そうだよな。桃木の服を切った犯人は、天野以外に考えられねえよな。桃木に振り向いてもらえない、復讐ってやつか? 最低だな。」と、大田原が興奮気味にしゃべりだすと、悠真は、「大田原君は少し黙ってて!」と、強い口調で言った。いつもの自信無くしゃべる悠真からは想像もできない態度に大田原は戸惑う。
「天野は、自分が書いた手紙が、まさかクラス中に公開朗読されるとは思ってなかったと思うけどね。」と、悠真は大田原に向かって静かに言った。
大田原は一瞬、固まった。そして、
「そっか、俺、お前のラブレターをみんなの前で読んで馬鹿にしちまったんだな。悪かった。ごめん。」と、天野に対して謝った。
天野は「なにを今更! お前だけは許さねえからな! 大田原!」と、顔を赤くして怒る。
あの時のクラスメイトからの手紙に対する反応は、ダサい、キモイ、変、怖い、笑える、酷い、など、散々だった。
手紙の内容が内容だっただけに、しょうがない反応だったのだが…。
挙句の果てに、漢字で書かれていない箇所について、知性が無いと言われているのに等しい評価を下されていた。
全て、大田原が桃木から手紙をかすめ取って、ふざけて読み上げたからだった。
悠真は大田原に近づき、下から覗き込むように顔を眺めた。
「大田原君は、天野から恨まれてもしょうがないと思うし、本当は、天野は君に復讐すれば良かったんだと思う。」と、さらりと悠真は怖い事を言う。
「でも、たぶん大田原君に直接復讐してやろうなんていう奴は、なかなか現れないだろうね。だって、君は大きいし、喧嘩も強そうだし、もし直接に復讐したら、逆にやられてしまうだろうから。」
大田原は、悠真が何を言いたいのかがわからなかった。
「大田原君が、手紙をみんなの前で読んだり、日誌に書き込んだりしなかったら、天野は桃木の衣装を切り刻むような馬鹿な真似をしなかったかもしれない、とオレは思った。まあ、たらればの話だけど。」
「なんだよ! それじゃあ、こいつが桃木の衣装を切り刻んだのは、俺のせいだって、言いたいのかよ!」と大田原は悠真に向かって凄む。
「そうだよ。大田原君が馬鹿な事をしたせいで、結果的に桃木の衣装は切られた。違うか?」と、悠真は大田原の怒りを無視して天野に向かってだけ話をしていた。
天野は燃えるような目で大田原を見ながら、「そうだ! こいつのせいだ! 全部、大田原のせいだ!」と怒鳴った。
大田原は「なんだよ! 最低なのは、お前だろ、天野! 俺も子どもっぽい事をしちまったけど、お前は、桃木に対して、どうやって謝るつもりだよ!」と怒鳴り返す。
天野は「知るか!」と突っぱねる。
2人は狭くて暗い廊下で睨み合っている。今にもつかみ合いが始まりそうで、悠真はハラハラしていた。
しばらくして、先に折れたのは大田原だった。
「悪かったよ。オレのふざけた行動が原因でお前を追い詰めたんだな。本当に申し訳ない。」と、頭を下げた。
先に大田原に謝られ、天野は地団太を踏みながら「そうだ! お前が悪い! お前のせいで俺は桃木に復讐しないといけなくなった! 全部お前のせいだ! だから、お前が桃木に謝れ!」と言った。
「俺も桃木に対して失礼な事をしたから、もう一度謝る。」と大田原は天野を見て「だから、お前も一緒に桃木に謝ろうぜ。な?」と優しい口調で言った。
「嫌だ! 俺は悪くないぞ。お前が俺を怒らせたからだ。だから、お前のせいだ。俺は本当は桃木の服なんて切りたくなかった! お前が俺を怒らせたから切らなくちゃならなくなった! 大田原! お前のせいだ!」と天野は口角から泡を飛ばしながらまくし立てる。
 
ガチャリ
と、視聴覚室の扉が開いた。
中から、担任と生活指導の先生、宍戸、本田、高山と森、そして桃木が出てきた。
「先生。」と、悠真は担任講師に近づき、制服の胸ポケットから小型の機器を取り出して渡した。
ボイスレコーダーだ。
天野は突然のことに唖然としている。
「なんだよ、佐藤。お前…。」と、悠真を睨みながら震える声で言った。
悠真は天野の方を見ようとはしなかった。
天野は桃木に今までの会話を全て聞かれていたことを知ったせいか、急に大人しくなり、先生2人に両脇を抱えられて、職員室まで連れられて行った。
 
「はあ~。怖かった…。」と、大田原がヘナヘナと廊下に座り込んだ。
「あいつ、マジで目が逝ってた。正気じゃねえ…。マジで殺されるかと思ったぞ。佐藤、お前、すげえ度胸あるな。」と、悠真を見上げるように言った。
「オレも怖かったけど…。一応、半年間は友達としての付き合いはあったからね…。」
叩かれたり小突かれたりはするかもしれないが、本気の暴力沙汰にはならないだろうと思っていた。天野はああ見えてとても小心者だ。
「佐藤は、俺のことを『喧嘩も強そう』とか言ってたけど、俺、喧嘩なんかしたことねえよ。したくもねえ。図体がデカいから強そうに見えるだけで、俺なんて見かけ倒しなのに…。」と大田原は弱弱しく頭を抱え、
「桃木。手紙の件、本当にごめん。」と、律儀に一度立ち上がって頭を桃木に向かって下げる。
「俺、自分の悪ふざけが元で、こんな事が起きるなんて想像もしていなかった。これからは、もっとちゃんと考えるよ。天野を追い詰めたのは俺だ。申し訳ない。」
桃木は「…別に、いい。」とだけ言って、そっぽを向いた。自分のお気に入りの衣装を無惨にも切り裂いた犯人と、その理由が分かっても、桃木の中では情報と気持ちの整理がついていないようだった。
「それにしても、授業中に佐藤君から手紙が回って来た時は、驚いたな。」と、宍戸が言いながら、胸ポケットから折りたたまれたノートの切れ端を取り出した。
それには、天野が桃木に手紙を出し、衣装を切り裂いた犯人だと悠真は思っているけれど、証拠が無いので本人の口から認めるように仕向けたいという内容が書かれていた。
 宍戸は悠真の計画を実行するために、午後の授業の合間に、先生たちに相談して、視聴覚室の予約から、ボイスレコーダーの手配までを素早く行っていたのだ。
 きっと天野はなかなか自分からは認めないだろうから、天野が口を割りやすいように、大田原には「ちょっと、泥をかぶってもらえないかな」と予め頼んでおいた。
「天野は自分のとった行動の責任を、誰かに擦り付けられると思ったら、きっと認めると思うんだ。」と、さらりと言った悠真に、大田原は「意味わかんねえ。お前は、悪魔かよ!」と返した。

「もし、佐藤君が考えていることが全然違ったら、どうするつもりだったの?」と、森が恐る恐る尋ねる。
「その時は、疑ったことを天野に謝ればいいかなって、思ってた。」と悠真は何でもない事の様に言った。
「でも、衣装を切り刻んだかどうかはわからなかったけど、あの手紙は天野が書いたものだという確信があったんだ。」と悠真は続ける。
「あの手紙、簡単なはずの文字がひらがなで書かれているくせに、『瞳』とか『銃声』とか『痛み』『胸』という比較的難しいはずの字は漢字で書かれていたから、前に天野が好きだって言っていたバンドの曲の歌詞を全部ネットで調べてみたんだ。」
すると、『銃声』も、『痛み』も『胸』も全て歌詞の中に含まれており、漢字で表現されていた。天野は好きなバンドの歌詞なら、難しい漢字でも覚える事が出来るのだ。
「あと、『瞳』と言う字は、桃木さんの下の名前が瞳子(とうこ)でしょ? さすがに、好きな女の子の名前は漢字で書けるだろうなと思って…。」
桃木瞳子は、悠真から目をそらし、床を見つめた。「好きな女の子」と言われても全く嬉しくない。あんな乱暴で身勝手な気持ちをぶつけられて、迷惑なだけだ、と言いたげだ。
「大田原君、あの手紙、まだ持ってる?」と、悠真は突っ立っている大田原に近寄ると、大田原は無言でポケットから定期入れを取り出して、白い手紙を悠真に渡した。
「天野は、漢字の書き順とかは、無視して書く癖があるんだ。」と言った。
「この、『胸』っていう字を見て。」と、全員が見られるように手紙を広げ、『胸』という文字を指さす。
「『胸』の右側の一部分、『勹(つつみがまえ)』って言うのかな、この部分は普通は2角で書くでしょ? でも、あいつは3角で書くから、変に隙間が空いちゃうんだ。確か、日誌のリレー小説にも『胸』っていう字が出てきているはずだから、比べてみて。」
宍戸が急いで教室まで走る。きっと、日誌のバインダーを持ってくるつもりなのだろう。
廊下の先から「廊下は走らない!」という先生の厳しい声が飛び、「は、はい!」と慌てた宍戸の声が聞こえてくる。間もなくして、宍戸がバインダーを小脇に抱えて現れた。
日誌のページをぺらぺらと勢いよくめくり、ある部分を指さして、興奮気味にはしゃぎだす。
「本当だ! 佐藤君の言うとおりだよ!」

ピチピチのギャルは、ブラジャーをぬいで大きなおっぱいを、デミオの胸におしつけた。

 大田原は、「すげえ! これ、ほとんど証拠だって言えるんじゃねえか? このことを突き付けてやったら、天野は言い逃れができなくね?」と言ったが、悠真は
「どうだろう…。手紙の文字はオレの字を真似て書かれているから、リレー小説の文字とは印象がちょっと違うし…、字の特徴だけを見て『証拠』だって言われたら…、オレが一番困る。」と言った。
悠真からしたら今学期は散々だった。自分が書いてもいない文章を「字が似ている」という理由で、周りから「お前が書いたんだろう」と責められた。だから、同じロジックを使って天野を追求する事が出来なかったのだ。
「そう言えば、ピーチ・メルが殺されたシーンを書いた人が誰なのか、まだわかっていないよね。」と、本田美恵がつぶやく。
大田原は「案外、それも天野の奴が書いたんじゃねえか?」と言ったが、宍戸が「それは無いと思うよ。」と反論した。
「桃木さん宛の手紙の丸文字は、確かに佐藤君の字に似ているけど、文字の線が少しあやふやな部分もある。天野君が書いた手紙だとわかってから見てみると、普段は乱暴に文字を書く癖のある人が、お手本を見ながらゆっくりと辛抱強く時間をかけて書いた手紙なんだろうなという印象だ。」
宍戸は日誌のページをめくり、指で文字をなぞりながら、話しを続けた。
「でも、日誌に書かれたピチピチのギャル銃殺シーンは、文字の線がしっかりしていて読みやすい。普段から読みやすい綺麗な文字を書く人が、佐藤君の手書き文字を意識しながら短時間で書いたかのように僕には見える。」
「誰なんだろうね…。」と、本田美恵が宍戸に歩み寄りながらつぶやいた。

その後

 結局、天野は長期の停学処分となった。被害者である生徒と他のクラスメイト達に配慮し、来年からは別クラスに移ることになるという。また、1年B組は、混乱した雰囲気を一掃するために、学期末でありながら、席替えと、日直担当の順番を入れ替えることになった。
 悠真は担任の講師から「佐藤君の字は読みやすくて、可愛くて女子受けが良いから、佐藤君のような字で書いたら好感度が上がると思ったと、天野君が言っていましたよ。」と、告げられて驚いた。無遠慮で、一方的に悠真をからかい、利用してくる天野だが、1点だけ悠真から学ぼうとしていたことがあったのだ。「字がきれいでかわいい」と、確かに悠真はよく言われる。天野も悠真の字を真似しようと思う程に、悠真の字を気に入っていたという事だ。
「それから、佐藤君のノートは捨ててしまったと話していました。天野君は、佐藤君しか友達が居ないし、佐藤君にとっても友達は天野君だけだと思っていたようだけれど、佐藤君には友達がたくさんいる事を知って、嫉妬して逆上してしまったんだそうです。」
 淡々と天野の気持ちを代弁する担任講師の声を聴きながら、悠真は騒動が起きる前日の事を思い出していた。リレー小説のエンディングを考えるミーティングに悠真も誘われて、宍戸やその他のクラスメイト達とも確かに親しく話した。天野から見たら、悠真が天野を置いて、他の生徒と仲良くしていることに焦りと嫉妬を感じたのかもしれない。だからと言って、貸したノートを捨ててしまったのは許しがたいが…。
 
 桃木瞳子は、犯人が分かったことによる安堵の為か、徐々に持ち前の明るさを取り戻しているかの様に見える。まだ、悪ふざけが絶えない男子生徒に対する不信感は消えないようで、教室内で男子の大きな笑い声が響くと、その場を急いで離れる時もある。しかし、桃木の傍らにはいつも森雪音が一緒に居て、常に励ましたり、なぐさめたりしているようだ。悠真は桃木から特に避けられているように感じたが、気のせいだと思う事にした。
オレだけが特別避けられているように感じるなんて自意識過剰だ。きっと、桃木さんは男子生徒全員が怖いんだ…。
 
 天野が居ない今学期のテスト期間は、悠真にとって今までにないくらい、勉強に集中できた期間だった。歴史と現代文については、高山愛良が自分のノートのコピーを取らせてくれた。歴史が得意な高山のノートには、効率よく学ぶヒントがたくさん詰まっていた。そんな環境とサポートのおかげか、どの教科も中間テストより良い結果となった。悠真は相変わらず得意教科は無いけれど、少しずつ勉強に対する自信を取り戻していった。自分に無いものや不得意とすることを嘆いてもしょうがないので、やれる事を少しずつやっていくしかない。覚悟のようなものが決まったのかもしれない。
 
 日誌のリレー小説は、エンディングを決める会議で話した内容を、クラス中で共有し、みんなが一丸となって、解決と大団円に向かって書き綴られた。
名前が無いと不便なので、ムキムキの刑事(デカ)には、ちゃんとプロテイン・ササミという名前が与えられた。
 
ササミのムキムキに厳しい取り調べにより、ベーグル・ケンが口を割り、学校内で敵対していた「黒尽くめのファミリー」と「赤いファミリー」の両組織は「老いない薬」もとい、保存料の利権を巡って対立していたことがわかった。そして、2つの組織のどちらにも属せない、はぐれ者のベーグル・ケンを、オムライス・デミオは巧みに手懐けて子分とし、捜査官として派遣された疑いのあるピーチ・メルを殺害するように命令したのだった…。
そして、敵対していたかのように見えた2つの組織は、実は保存料の利権を独り占めしたいデミオにより操られていたことがわかった。全ての黒幕は、ハンサムな数学講師のオムライス・デミオだった。カラアゲ・アゲハはどうしてもデミオを許せず、夜の職員室に忍び込み、そこに居たデミオに銃を向ける。

バギュンッ!
銃声がなると、オムライス・デミオは腹を押さえて床にうずくまった。
カラアゲ・アゲハは「お前だけは、許さない!」と泣きながら叫ぶ。
床にはケチャップのような赤い血が広がってゆく。
アゲハがとどめを刺そうと、再び銃口を向けた時、
「やめろ!」という声と共に、
グワッシャーンッ!!
という、激しい音を立てて窓ガラスが割れ、プロテイン・ササミ刑事が現れた。
「もう、やめるんだ!アゲハ。君が手を汚すことはない!」
その時、弱弱しくも不敵な笑い声をあげて、オムライス・デミオは話し始めた。
「殺したければ、俺を殺せ…。2つのファミリーは、もともとは俺の生家だったんだ。どちらの利権ももともとは俺の物だったんだ…。」

 この後、オムライス・デミオが、2つのファミリー「ケチャップ家」と「デミグラス家」の末裔であり、両組織とも闇取引により大きくなった組織であることが、宍戸の丁寧な文字により明かされるのだが…。
 
 ん? と、悠真は日誌のページをめくりながら思った。
明日の終業式の日直は悠真の担当だ。その前にどのような展開になっているのかを確認しておきたかったのだ。
銃って本当に「バギュンッ!」って音がするのかな…?
 幸いにも銃声を聞いたことが無い平和な環境に居るのでよくわからない。
 でも「バキュンッ!」って、よく小説とか漫画で出て来る擬音語だよね…。前にも見たことがある気がするし…。
 悠真は、ハッとして日誌を前にめくった。
あった!

バギュンッ! ガッシャ―ンッ!
ガラスが割れる音と共に、一発の銃声が鳴り響き、ピチピチのギャルは、その場に倒れた。
胸からは、血が噴き出し、彼女は息を引き取った。

 もしかしたら、もしかしたら、悠真の日直の日に悠真の手書き文字を真似て、ピーチ・メル銃殺のシーンを書いた人と、カラアゲ・アゲハがオムライス・デミオに復讐するシーンを書いた人は同じ人かもしれない…。
 悠真はページをめくり、日直担当者名を確認した。

屋上にて

 雲一つ無い、空気が澄み渡る冬晴れだ。風は少し寒いが、コートを羽織ってマフラーをすれば問題ない。日影が無い屋上では、遮るものの無い日の光が風が止む合間に心身を温めてくれさえする。
「気持ちいいねえ~。」と、穏やかに森雪音が微笑みながら言った。
「風が吹くと、ちょっと寒いけどね。」と、悠真も笑顔で言う。
悠真と森は、屋上から周りの景色を確かめるように、ゆっくりと一周歩き、校庭が見える側の、安全柵前あたりで歩みを止めた。このあたりが風も、日の光も、空気も、目に見える景色も、一番心地良いような気がしたのだ。
「ごめんね。佐藤君。」と、森はすぐに謝ってきた。
 
 悠真が日誌を持って森雪音の姿を探すと、彼女は丁度帰り支度をしているところだった。
銃声の擬音語について問うと、
「え? 銃声って大体『バギュンッ!』じゃない?」と森。
「そうかな…、『パンッ!』とか…、長距離なら『ズギューン!』なんじゃない?」
森は納得がいっていない様子だったが、教室内にまだクラスメイトが残っている事を気にして、「ちょっと、外の空気が吸いたいから、屋上に行こうか。」と言い出し、悠真もコートとマフラーを身につけて上がって来たのだ。

「私が佐藤君の手書き文字を真似て、ピーチ・メルを銃殺するシーンを書いたから、佐藤君には迷惑をかけちゃったよね。ごめんなさい。」と真剣な顔で森は悠真に謝る。
「別にいいよ。今、クラスでは誰がビーチ・メル銃殺のシーンを書いたのかを気にする人はあまり居ないみたいだし…。」
そうなのだ。期末テストで忙しかったし、テストが終われば冬休みになる。クリスマスにお正月と、たくさんの楽しみなイベントと話題がある。宍戸と本田を除くと、リレー小説に関する謎にいつまでもこだわって探ろうとする生徒は、今は居ない。
 悠真自身は自分の手書き文字に誰が似せて書いたのかは気になるところではあった。
このままわからなくても良いかなと思っていたところだったのだが、一度でも「もしかして…」と思うと、気になってしまう。
 なので、カラアゲ・アゲハが復讐を果たしたシーンが書かれた日の日直担当である森雪音に、直接聞いてみようと思ったのだ。
「正直に言うと、私が書いたって、バレてもよかったというか…、いつかは私が書いたんだって話して、佐藤君には謝らなくちゃいけないなって、ずっと思ってたの。」と、清々しい笑顔をして森は話し続ける。
「でも、『私が、書きました』って言ったら、理由を言わなくちゃいけなくなるでしょ?」
「理由を、聞かれたくないの?」と悠真が控えめに聞くと、
「うん。みんなには知られたくなかった。だけど、佐藤君には正直に話すね。」と言って深呼吸をした。そして、
「私さ、瞳子ちゃんの事が好きなんだ。」と言った。
悠真は驚いたが、それを態度には現さず、深く頷いた。
「ピーチ・メルが最初にリレー小説に登場したころ、天野君や他の男子達が『桃木って、ピチピチのギャルに似てない?』という話をしているのを偶然に聞いちゃって…。」と言って、森は下を向いた。
 確かに、桃木は胸が大きい。男子達から胸についてからかわれることも多く、本人はコンプレックスに思っている様子だったらしい。ピチピチのギャルも胸が大きいキャラとして男子達の妄想を都合よく盛り上げてくれてる存在だった。ピーチ・メル、もといピチピチのギャルは、たかが架空のキャラクターだ。しかし、男子達が桃木とピチピチのギャルを似ていると言って盛り上がっているのを聞いた時、森はピチピチのギャルが、男子達の妄想の中で汚されていくのが、まるで大好きな桃木自身を汚されているように感じて、とても嫌だったと言う。
「だからね、もうピチピチのギャルには、物語から退場してもらおうと思ったの。」と、晴れ晴れとした表情で言う。
「ストーリー展開が早くて、私の日直担当の日まで待てなかったし、佐藤君はギリギリまで日誌のリレー小説欄に何も書いてなかったから、物語の続きに困っているのかもしれないと思って…。 私、佐藤君とは中学2年の頃、同じクラスで課題研究のグループが一緒だったじゃない? だから、佐藤君の字を真似して書いてみたの。でも、まさかピーチ・メルを殺したせいで、佐藤君があそこまで男子達にからかわれるとは思ってなくて…、ごめんね。」と森はもう一度、謝る。
「いや…。謝るような事じゃないよ。」とは言ったものの、少し腑に落ちなかった。
「ピーチ・メルを殺した理由を話したくなかったのは、桃木さんへの気持ちを知られたくなかったから?」と悠真は聞く。
「それもあるけど…。私がピーチ・メルを生かしておけないと思ったのは、ピーチ・メルに瞳子ちゃんを重ねて見ていたからなの…。ピーチ・メルはたかが架空のキャラクターなのにね。だから、男の子達には理解してはもらえないと思ったし、下手をしたら、私や瞳子ちゃんが自意識過剰だって非難されそうで言えなかった。」と、森は話しながら校庭の端の方に視線を向け、悠真の方をわざと見ないようにしているようだった。
 確かに、大田原や天野をはじめ、誰かをからかう材料を常に探し回っているような連中からしてみたら、大好きな親友に似たキャラクターが男子の卑猥な妄想に汚されるのが耐えられなかったから…、という動機は「似てねえよ」「なに悲劇のヒロインぶってるの?」「考えすぎだ」「架空キャラにリアルの友人を重ねて見るなんて頭おかしい」「そっちこそ考え方がキモイ」等々、非難囂囂、罵詈雑言が降りそうだ。
 もし、自分の「嫌だ」「不快だ」「やめて欲しい」という気持ちをどんなに丁寧に説明してもわかってもらえなかったら…きっと、絶望してしまう。
 いや…、森はすでに、男子達にはきっとわかってもらえない…と、諦めているのだ。だから、悠真に迷惑をかけたことに罪悪感を抱きながら、名乗りを上げる事をしなかった。
「あとね、ちょっとだけ、ざまあみろって、思ってた。」と、森は申し訳なさそうな顔をしながら、口元だけ微笑むという複雑な表情を見せながら悠真に言った。
 ざまあみろ…。
 森雪音の妖精の様に可愛い顔から、そんな言葉が出てきたのを、そしてその言葉が悠真に対して吐かれた事を、信じたくなかった。
「佐藤君、中1の時に瞳子ちゃんと同じクラスだったでしょ?」と森が聞くので、悠真は「うん。」と頷く
 3年も前の事だからもうあまり思い出せないけど、あの頃の悠真は、今よりもずっと自信に溢れていて、学校も部活も楽しんでいた。今みたいに卑屈な性格ではなかった。
「瞳子ちゃんは、佐藤君に酷いからかわれ方をした事があったって言ってた。『とても、傷ついた』って。」
 え? そんな、オレが桃木さんをからかった事なんて、あったっけ…?
 悠真は慌てた。クラスメイト達からからかわれた事は鮮明に覚えている。しかし、自分が誰かの事を酷くからかった事など、あっただろうか…。
 思い出せない…。
 悠真が目を泳がせながら、必死に記憶をたどっている様子を見て、森は冷ややかな声で言った。
「『痩せたらかわいいね…って、男子みんなが言ってる…。』」

 思い出した。

昔の事 ― 3年前

 今でこそ、女性らしい理想的な体型の桃木瞳子だが、中学1年生の当時は今より少し背が低く、ぽっちゃりした体系だった。しかし、目鼻立ちはくっきりしており、派手目の美人になりそうな片鱗を感じる顔立ちをしていた。
 当時、クラスのリーダー格の男子達が、女子の外見を品定めをするような会話をしているのを偶然、悠真は聞いていた。その時に、女子に人気があるイケメン男子が「俺的に、桃木は痩せたら『有り』だぜ」と話していたのだ。
 桃木は自身の体形についてはコンプレックスを抱いていたようで、よく「私、太っているから…」と口にしていた。しかし、女友達から「そんなことないよ!」「全然太ってないよ。」「そのままでかわいいよ。」と、言われたがっているのが見え見えで、悠真は女子達の一連のやり取りを苛つきながら見ていた。なので、言ってやったのだ。
「この前、男子が集まっている時に話してたんだけどさ。『桃木さんは、痩せたらかわいいよね。』って、みんなが言ってたよ。」
 「男子みんな」って言うのは嘘だ。話を盛っている。でも、クラスで一番人気者の男子が「俺的に有り」って、言っていたので、男子みんなの総意であると言っても過言ではないと思った。
 桃木はその言葉を真に受けたようで、極端なダイエットに励み始めた。昼食はこんにゃくゼリー2つだけ、炭水化物を取らないように気を付けていると桃木は女友達に自慢げに話していた。桃木の「努力」は、誰の目にも明らかに効果を発揮してきていた。綺麗に痩せているというよりは、段々と頬がコケていく桃木を見て、悠真は少し心配になった。ちょうどその頃に、保健の授業で無理なダイエットによる摂食障害の恐ろしさを学んだところだった。だから、つい心配で、ダイエットをするのを止めて欲しくて言ってしまった。
「桃木さん、もしかしてこの前、オレが言った事、本気にしちゃった? あれ、嘘だよ。」
 本当は、「もし痩せたら…」など、無責任で余計なお世話な事を言ってしまった事を桃木に謝り、無理なダイエットを止めるように言うべきだったのだと思う。しかし、悠真は自分の非を誰かに指摘されるのが怖くて、「冗談」という形にしてごまかそうとしてしまったのだ。
 
 キーンッと、強い耳鳴りが頭の奥で響き、こめかみにその音が突き刺さっているかのような、強烈な痛みを感じた。
 自分は、桃木にとっては紛れもなく、嫌な奴で、加害者だったのだ。
 
「汗、拭いたら?」と言って、森は悠真に清潔な白いフワフワ素材のタオルハンカチを手渡した。
屋上はこんなにも寒いのに、冷や汗が止まらなかった。
悠真は手渡されたタオルハンカチを手に持ちながら、自分の汗を拭う事をためらっていた。
「…ごめんなさい。」と、力なく悠真は謝った。
「それは、瞳子ちゃんに言ってね。」
「うん。明日…、桃木さんに会ったら謝るよ。」と、悠真は鼻をぐずつかせながら言う。
 なんで、忘れていたんだろう…。あんな酷いことを言ったのに…。
 全然、思い出しもしなかった。
 だって、桃木はその後も『普通』に振舞っていたし、特別に傷付いた様には見えなかったではないか…。いや…。でも…。
 でも、悠真も2年前に部活を辞めた時、できるだけ『普通』でいようと振舞ったのだ。みんな冗談として笑っていただけだから、抗議をしたり、怒ったりはできなかった。だって、「冗談だよ」「なに、ムキになってんだ?」って、また笑われるだろうから…。

森は、「そのタオルはあげるから、汗と涙と鼻水を早く吹かないと、顔が凍っちゃうよ。」と、いつもの人懐っこい笑顔に戻って言った。
悠真は慌てて自分の顔を、タオルで拭う。
まさかとは思ったが、額からだけでなく、目からも鼻からも何らかの水分が流れ出てきていて、止まらなかった。
「私は、中2の頃からしか佐藤君の事を知らなかったから、瞳子ちゃんの言っている佐藤君の印象と、私の知っている佐藤君の印象が違い過ぎてびっくりしたんだけど…。」
 そうだろう。
剣道部でのいざこざが起きる前までは、悠真は自信に溢れていたし、学校でも友達は多い方だと思っていた。調子に乗っていたのだ。相手の気持ちも考えずに、からかって笑って楽しんでいた。
「私もきっと気が付いていないだけで、色んな人に余計な事や、傷付く言い方をしてきてしまったのかもしれない…。現に、今こうして佐藤君を泣かしてしまっているしね。」と森は、ばつが悪そうに微笑みながら言った。
「いや…。オレ、忘れていたんだ、桃木に自分が言った事。オレ、ひどい奴じゃん! 嫌な奴だなって、自分で思っちゃって、どうしてあんなこと言っちゃったんだろうって、今なら一瞬で後悔するのに…。」としゃべりながら、また鼻水と涙が出てきた。
「今の佐藤君は優しいね。」と森は微笑む。
「そんなことない。オレは、今でも狡くて、嫌な奴だよ。だから、正直に言って天野の気持ちが理解できる気がする。あいつ、狡くて自分勝手で嫌な奴で、意味不明に見えるけど、単純に自分の狡さに正直なだけなんだ。」
 好きな女の子に振り向いてもらえなかったときの苛立ちや、からかわれたときの悔しさと憎しみ、自分の罪を誰かのせいにできるとわかった時の安堵感…、全て共感できてしまうから、天野が桃木の衣装を切り刻んだ犯人だと気が付くことができた。きっと、宍戸や高山みたいに正しく生きているような奴らには、わからないだろう。
「でも、佐藤君は、そういう狡い気持ちを暴力や乱暴な方法で他人にぶつけちゃいけないって知っているし、ちゃんと自制しているでしょ。私も、狡いところはたくさんあるから…。」
少し間をおいて、森はいたずらっぽく笑って言った。
「私は狡いから、ピーチ・メルが殺されるシーンを書いたのは私だって、みんなの前では絶対に認めないからね。今日、私が話したことは、みんなには秘密にしてね。もし、誰かが私に『誰がピーチ・メルを殺したの?』って聞いてきたら、私は『佐藤君だと思う』って、答えるよ。」
 悠真は「うん。構わないよ。」と笑って言った。
「ありがとう!」と、晴れやかに森は笑い、
「ああ~。佐藤君に借りができちゃったな…。黙っててもらうお礼に、なにか私が力になれる事、ある?」と、聞いてきた。
悠真は、少し考えてから、
こんなこと、頼んでいいんだろうか…、と戸惑いながら、
「あの…、今度、メイクの仕方を教えてください。」と小声で頼んだ。
 森が目を見開いて驚いているので、
「え。あ。やっぱり、今のは何でもない。忘れて!変な事を言って、ごめん!」と、慌てて訂正すると、
「もちろん! 任せて!」と、森が張り切って答えた。
「女装するの、楽しかった?」
「うん! 別にオレは、女の子になりたいわけじゃないんだ。でも、普段とは違う自分になった時、自分の見ている世界もちょっと変わったような気がして…。」
「わかるよ。」と、森がうなずく。
「世界が変わって見えたからか、今度は自分の中にある思い込みや価値観もなんかちょっと変わったような気がしたんだ…。ずっと、背が伸びないのが嫌で、背が低い自分が嫌いだったけど、もう、いいや!って、思えて…。」
 あれ? オレ、何一人で語ってるんだ…、と、悠真は急に恥ずかしくなった。が、
「わかる! 私も時々、いつもはしないようなメイクをしたり、コスプレをしたりするよ。違う自分になってみたら、『これも、有りじゃん!』『こんな自分もいいじゃん!』って気がつく事、あるよ~!」と、森ははしゃぐように一気にしゃべった。
 可憐な森の豪快な笑い声と、まだ鼻水交じりの悠真の笑い声が、冬の風に乗って、校庭のすみずみにまで届きそうなくらい、空気は澄んでいた。
 
 明日、終業式が始まる前に、必ず桃木に謝ろう。昔の事だけれど、桃木の中ではきっと今でも大きな心の傷になってるはずだ。悠真にとっての2年前の出来事のように。許してはもらえないかもしれないけど。でも、それでも謝ろうと決めた。
 そして、冬休みになったら、高山愛良が教えてくれた町道場に見学に行ってみよう。悠真は、高山みたいに強くはなれないかもしれないけど、運動は好きだ。剣道も好きだ。今の悠真の身体で、どんな動きが出来るかは、きっと悠真自身にしかわからないから、自分の身体の限界を試してみるためにも挑戦し続けたいと、そう前向きに思えた。

エンディング

『勇気ある捜査官 ピーチ・メル』と書かれた墓石の前でカラアゲ・アゲハは手を合わせた。プロテイン・ササミも一緒に静かに祈りをささげている。
今日はピーチ・メルの一周忌だ。
あれから、たくさんのゴタゴタがあって、学園は崩壊した。
オムライス・デミオは一命をとりとめ、アゲハは殺人犯にならずには済んだ。
ササミとその他のムキムキの警察官たちは、オムライスの余罪がたくさんあることを知った。オムライスはもう、刑務所から出られない。
ピーチ・メルへの祈りが終わると、
「さあ、次の仕事に行こう!」と、アゲハは立ち上がった。
ササミは「次の潜入先にはこれを着て行け。」と、カラアゲ・アゲハに新しい衣装を手渡した。
白のフリルがたっぷりついた、黒のメイド服だった。
                              ―完―

1年B組 日直日誌


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