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世界で16しかない「ラビの館」を訪れる
先日、とあるイベントで、長らく狙っていた「ラビの館=Casa 770」が公開されることを知った。開かずの間と言っても過言ではないこの建物は、私が時折食材を奮発したい時に訪れる食品店の近くにあるため、その界隈を通るたびに眺めるのだが、一度たりとも門扉が開いているのを見たことはなかった。
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そもそも、シマ子がユダヤに、とりわけその建築や装飾に強い関心を抱いたのは、3年前の夏にポーランドを縦断し、クラクフのKazimierz地区にあるシナゴーグを全て訪れたことがきっかけで、その前は戦争映画や、小中学時代に弾いていたChopinのピアノ曲くらいでしかPolandにも馴染みがなかったのが現状だ。
今でこそ、ユダヤユダヤと連呼している怪しい中年のようだが、「多少の知識がある」と公言できるようになったのは3年前の夏からで、興味の芽生えも、コロナ禍のLockdownでSweden語のレッスンが続けられなくなって暫くしてからのことだと思う。
しかし一度ハマると、シマ子は大いにハマる女なのだ。シマ子の妄想の凄さをご存知の方なら、ある程度の想像がつくと思うが、ポーランドの後はプラハ、ブダペストと、これまた中心地にあるシナゴーグを全て訪れ、戦争が勃発する前までは、ミラノのシナゴーグにも時々顔を出していた。
下の記事にプラハのシナゴーグの写真を幾つか載せているので、興味のある方はどうぞ。
さて、そんな妄想梯子野郎のシマ子が「ラビの館」の一般公開を逃すはずもなく、1週間前から「この日は見たい映画がありませんように」と何度も祈ったものだった🤫実際には、見たい映画と「ラビの館」の開館時間が一緒で、勿論「ラビの館」を取ったわけだが、なぜそれほどまでにこの館が珍しいのかをお判りいただくために、まずはイタリア語の案内書の意訳を載せたいと思う(説明してくれたユダヤ人男性曰く、Wikipediaに載っている情報は古すぎるので鵜呑みにしないように、とのことだった)。非常に長文なので3部に分けてはみたが、それでも、うまく削れる場所があまりないので、ご了承いただきたい。
770はコードではなく、Brooklynの通りの番号、つまりEastern Parkway770番地を指している。
あなたはそこに(気になる方には探してほしい)、ミラノで周囲の家とはまったく異なる、Brooklynと直結した家を発見するだろう。それは大陸間の精神的なつながり、と言えるかもしれない。あなたはそこに、1940年以来、現代ユダヤ教で最も影響力のある人物の一人、Chabad-Lubavitchグループの7代目Menachem Mendel Schneerson師(ChabadはChochmah、Binah、Da'at、つまり知恵、理解、知識の頭文字で、Lubavitchは発祥の地であるロシアの村の名前)が住んでいた家のレプリカを発見できる。
彼の栄誉を称え、世界中に散らばるLubavitch運動は、世界の様々な場所で770の再建に着手している(現在12の住居があるが更に建設中で計16)。
オランダの家を連想させるとして、ミラノではDutchと呼ばれている。
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次に、ミラノの建築を担当した建築家のStefano Valabrega談へ移ろう。
「1990年のある日曜日の朝、私は家族とP通りの公園にいた。友人のShimon Fargionが私に近づいてきて、『ステファノ、mitzvah(ユダヤ教の考えで、他人のために行う行為)をしたいかい?』と聞く。そして彼は、Garelik師が聖典を保管する部屋を設える手助けを必要としていることを教えてくれた。私はその場所に着いたが、まずは屋根を修理しなければならなかった。」
この建物はMerkosというユダヤ教教育センターの一部で、ディレクターはAvraham Hazan師だ。1958年、Garelik師はRebbeからここに派遣され、妻と一緒に協会を作り、学校を開いた。数年後、彼は元祖の770校を再現することに決めた。建物はすでにユダヤ人家族のものだったが、老朽化していた。Garelik師は一から作り直す許可を得て、聖地とのつながりを表現できるようにした。
現在、内部には図書館、学習センター、オフィス、会議室がある。
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(出展: lubavitch.com)
(Stefano談続き)
改築には多くの設計上の課題があった。そのひとつがmikvehの建設である。mikvehとは、湧き水や雨水を溜めた水盤のことで、水に浸すことで人を清める儀式に使われ、一定の規則に従って建てられなければならない。加えて、私が依頼されたことの一つに、救世主のための部屋を設計することがあった。
当然のことだが、17世紀オランダのファサードを典型的なミラノ風住宅や20世紀初頭の住宅が立ち並ぶ地域に合わせなければならず、資金が見つかり、自治体からゴーサインが出たことは、Garelik師には驚きだった。ファサードの設置により、この場所は表情を変え、世界中に点在する770の一つとなった。
「工事の終わりに、師が縁起物として1ドルをくれた。そのおかげか、mitzvahのおかげか、何なのかはわからないが、以来、物事は私にとって非常にうまくいくようになった。」とValabregaは告白し、このプロジェクトに大きな愛情を抱いている。
あまりにも長いので、ギブアップされた方もいるかもしれないので、そろそろ写真の紹介へ移ろう。
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遠くに見えるのはMenachem Mendel Schneerson師の写真
説明は中庭でされたので、展示室の詳細の前に、中庭の写真をどうぞ。
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背丈の高い木々が生えており、木陰ができ、時々木々の間を渡ってくるそよ風が心地よかった。
まさに都会のオアシスという感じだ。
それでは、展示室へ戻ろう。
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ちなみに、唯一この1枚だけ、シマ子はこの見開きの扉の間に隠れることができた。希少価値の高いショットだ😂
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ちなみにシマ子は、プラハからミラノへの帰国便のチェックイン時に、少なくとも50~60人の正装をしたユダヤ人たちとLetiště Praha-Ruzyně空港で出くわした。もしかしたら便までの時間が迫っていたのかもしれないが、彼らの幾人かは凶暴で、横入りや、カウンターの係員への暴言が激しかったのを覚えている(勿論、シマ子はチェコ語もヘブライ語もわからないので、雰囲気で「暴言」としている)。
驚くべきことに、中には女性の姿もあった。
ミラノでも男性は稀に特定の界隈で見かけることがあるが、女性を見かけたことはない。
彼らは、シナゴーグの中でも、カーテンを仕切って男女の顔を合わせられないようにすると聞いているので、この女性は誰かの妻なのだろうが、男性に紛れている立っている様子は、かなり異例に思えた。
そういえば、ユダヤ人女性を扱った映画があったのを思い出してしまった。
(いつも通り、脱線します!)
「Disobedience(邦題: ロニートとエスティ 彼女たちの選択)」という2018年の映画で、2人の女性の再開と恋愛を描いた作品だ。
【あらすじ】
敬虔なユダヤ教徒の家に生まれ育ったロニート(Rachel Weisz)は、その伝統的な生活と保守的な価値観に溶け込むことができず、長らく故郷を離れていた。そんなある日、彼女のもとに父親が亡くなったとの知らせが入る。不本意ではあったが、ロニートは生まれ故郷に戻らざるを得なくなる。
帰郷したロニートは旧友のエスティ(Rachel Anne McAdams)と再会する。2人の関係は旧友というよりも元恋人に近いものだったが、ユダヤ・コミュニティーではそれを公にすることはできなかった。エスティはすでに別の男性と結婚していたが、燃え上がる恋の炎を押さえ込むことができない。ロニートとエスティは信仰と愛の間で葛藤するが、やがてそれは2人だけの問題に留まらなくなっていく。2人の関係が知れ渡った結果、宗教共同体の価値観が根底から揺さぶられるような事態に発展する。
気になる方は是非、ということで、脱線終了!
展示室には、主にコーシャ料理と、食材や商標登録の説明等のパネルが、本棚を楯にするように配置されていた。
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そういえば、ユダヤの教えでは、貝類は不純の象徴だから食べてはいけない、と言っていたっけ。シジミの味噌汁とかアサリの酒蒸しとか、日本人としては食べたいですよねぇ。
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クラクフのKazimierz地区で訪れ、とても美味しかったユダヤ料理の写真を、シナゴーグの参照用に貼った記事の表紙の写真として使っているので、もしよければご覧ください。
食べたのは、鮭のグリルとベイクドポテト(一般的に食べられるものとは違った)、ビーツサラダ、そしてデザートとして、チーズにジャムがかかったようなものを選んだがどれも絶品だった。その際はまだコロナの影響が色濃く残り、室内はガラガラで、一人でも臆することなく入って食事ができた。いつかあのレストランに戻って、他の料理も食べたいと思っている。
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他にも、野菜と果物、卵と肉、パン等、色々なパネルがあったが、写真を載せたところで事細かく読むこともないと思うので割愛する。
中庭での説明は40分程度、その後質疑応答と展示室の鑑賞で約1時間程度だったが、妄想梯子野郎シマ子(もうこれをセカンドネームにするしかなさそうな予感…🤣)としては1時間では物足りず、この場所を管理しているイスラエル人男性(キリスト教信者だそうだ)と外で30分ほど世間話をした。
推定年代は40代だが、イスラエルに10年間住んだ子供時代、通学時の乗り物が爆破や銃撃される可能性があったため、日々が命がけだったこと、通勤の人々も同じ状況だったこと、けれど日々は充実していて、それが当たり前だったことや、イタリアに住んで5,6年経った現在は、この平和に慣れてしまい、新たに始まった戦争に非常に心を痛めている、とのことだった。
「日本は素晴らしい国で、良い人がたくさん住んでいる国だね、僕もいつか訪れたいと思っている」と言われ、ぜひそうして欲しいな、そしてスリすら滅多にいないしお釣りをぼったくられることもないという意味ではイタリアよりももっとずっと平和な日本を体験してほしいな、と思った。
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