夢の話①-私はティモシー・シャラメを見すぎたのか?-
(前置き)
これは2022年の8月末、3年ぶりの日本一時帰国からミラノに戻ってき、酷い時差ボケに苦しんでいた、とある夜に見た夢の話である。
--------x----------x----------x----------x----------x----------x----------x--------イタリアから日本に帰国する際には時差ボケになったことが一度もないのに、その逆は10年以上たった今も健在である。
最初の数日は夜ご飯を食べようか食べまいかという時刻に眠気に襲われ、健康のためには三食食べた方が良いかな、と無理に食べた直後に眠ってしまい、0時頃には目が覚め、2時半頃までには二度寝、三度寝を試みるが、その甲斐なく、丑三つ時ともなると買ったばかりの本を読み始めることになる。
3年ぶりの帰国の後の時差ボケは、かつてのそれよりかなり重かった。
0時に目が覚める、かなり鮮明な夢を見ていたことに気づく。
夢の中には高校2年と3年で同じクラスだったK藤君がいた。
K藤君とは学区が違ったから、クラス替えでたまたま一緒になった高校2年まで知り合うこともなければ、特にクラス内で仲良くしていたわけでもないけれど、なぜか卒業式の日に2人で写真を撮った唯一の男子だった。
私たちが修学旅行で京都と奈良を訪れた年は、古都1200年の催し物が多数行われ、通常なら東京の大学への進学者が関西よりも上回っていたが、古都に魅せられた多くの同級生は関西へ行くことを選び、他の大部分は北海道に残ったと記憶している。そんななか、私は東京へ、K藤君はアメリカへ英語を学びに留学する、という少数派だった。少数派同士、記念に一緒に写真を撮ったのかもしれないし、ただ単に教室に残っていた男子で写真を撮ってもいいかな、と思ったのがK藤君だけだったのかもしれないし、真のところは忘れてしまった。
そのようなあまり接点もなかったK藤君と私は、夢の中でどういうわけかNYのこじんまりとしたバーだか、レストラン付きのバーのカウンター越しに話している。ちょうどウディ・アレンの映画「A Rainy Day in New York」でティモシー・シャラメが入ったバーのような雰囲気である。
K藤君は夢の続きで、「TVのスポーツ番組の編集をしている」と言い、スタジオまで見せてくれたのに、メインのシーンでは、バーのカウンターで食器を拭いていた。
私は、「観光でNYへ来たけれど、突発的なことだったから、公園で夕陽を眺めた後、道に迷ってしまった」と語っていた。
私には昔から放浪癖があり、東ドイツ(その時にはドイツは既に統合されていたが、西側とは本当に雰囲気が違うので、敢えて「東」としておく)の森の奥の公園にある橋を見に行った時や、フランスでバスが1日3本しかない場所にある村を見に貸自転車を颯爽と飛ばしていくつもりが、誰もいない森で彷徨い、延長料金を払わされそうになった出来事があったのは紛れもない事実だが(いつかそういった出来事もNoteで語っていきたいと思っている)、だからと言って、『NYのセントラルパークという誰もが知る有名な場所を出て、道に迷ってたまたま入った薄暗いバーで、二十云年ぶりに偶然に再会した大昔のクラスメイトに、自分の恥を晒すような発言を、堂々とする』なんてことを、
私は、、、私と言う人は、、、現実の世界では、、、するのだろうか???
全てがあり得なさそうなのに、登場人物が知る人だからこそ、忘れることができなくなった。
その後、K藤君に「雪を見に行こうよ、山小屋を持っているんだ。今の時期は深々と降る雪を大きな窓ガラスからいくらでも眺めていられるよ」と言われ、彼のジープでついて行ってしまった。
これまで会わなかった間に殺人犯になっていたかもしれないのに、何も疑わず、2人だけで、山小屋という真っ白な美しい別荘について行ってしまった。全く不用心もいいところだ。
雪は果てしなく美しく、眺める間に眠ってしまったようで、気が付くとふかふかなベッドの上だった。
K藤君の姿はなく、周りを見渡すと、そこは私の残暑厳しい、雪の欠片の匂いもしないベッドの上だった。
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