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Castello Sforzesco(Sforzesco城)へと続く秘密のトンネル

夏季休暇前の話になってしまうが、とある美術展のオープニングで、Mas(MUSEO ARTE SCIENZA MILANO)という美術館を訪れた。

開館は1990年だそうだが、営業時間が月~金の18時まで、とシマ子のような普通の会社員には鑑賞が困難なため(到着できても時間切れで鑑賞不可、となりそう)、今までその存在を注目したことすらなかった。
ただ、7月という、アートも映画も秋までおさらば、になるような時期に、たまたま、"土曜の夕方のオープニング"という情報を見つけ、よし来た、とばかりに、日傘と帽子と長袖シャツとロングワンピースで完全防備をし、美術館へ足を運ぶ私。
場所は、ミラノ唯一の城、Castello Sforzescoの道路向かいの一角にあり、観光目的なら一度は近くを通ったに違いない好ポジションだ。

美しい建物に一目惚れ😍
写真をパシャパシャ撮っていたら、美術館の女性に、「さぁさぁこちらへ」と呼ばれてしまい、もう少し眺めていたかったけれど中へ。通路も凄く素敵なので、帰り際に撮った写真を一枚。

この美術館は、ドイツのドレスデン出身のGottfried Matthaes氏の個人所有物の展示をメインで行っており、主にアジアの仏像、アフリカのオブジェ、そして修復をしているため、「折角イタリアに来たのだからイタリア美術を」という観光客には見向きもされないであろうが、他のEU諸国に住まわれていて「たまには仏像でも見たいわ」という方には、ミラノ観光ついでに良いかもしれない。

特筆すべきことは、物理学者でもあるGottfried氏が、制作年が未定・不確定の美術品の正確な制作年を、その木枠や塗料から判別可能にする最初のプリント回路基板(CHIP)を1949年にSiemens社のために発明した偉大な人物であった、ということだろうか。そしてそのチップの生産を、後に妻となるイタリア人女性の父親の工場で行うことになったそうだ。

美術館の説明が長くなってしまったが、今回のオープニングの司会者と世間話をしていて、興味深い話を仕入れたので、今回は、美術展でも、美術館の展示物でもなく、Sforzesco城の秘密に迫りたい。
実は、「この美術館の地下、セレモニーを行う部屋の奥には、かつては城へと繋がっていたトンネルがある」というのだ。現在は埋められており繋がってはいないが、穴を見ることはできるよ、と言われ、暑さにやられてのぼせ気味だったシマ子の目は、突如輝き始める😂

では早速、貴重な写真の披露へ!

腰を少し屈めないと奥へ進めない高さだし、数メートル先は土で埋められたままだけれど、ちょっとワクワクしませんか?
トンネルの入り口 は本棚で隠されている

後で聞いた現館長(Gottfried氏の息子)の話も加えると、なんでもかつては、城周辺の建物に住む人の家の地下には、このトンネルといおうか、地下通路といおうか、が必ずあり、特に戦時中には、城に逃げ込んだり、城から外に出るのに使用されており、中には馬が通れるような高さのトンネルもあったそうだ。このトンネルの存在は、1896年頃に発覚したものの、現在は城まで開通しているものはなく、「城の内部にはきちんと外を歩いて入ってくださいね」と冗談交じりに言われた。

奥深い歴史がありそうなトンネルなのに、他人から聞いた話のみを載せるのは味気ないので、少しこのトンネルについて調べてみると、こうあった(色々な記述をまとめてみた)。

Sforzesco城には、地下からSanta Maria delle Grazie教会(最後の晩餐がある教会)へと続く秘密の通路、回廊がある、という伝説がある。
迷路のように入り組んだトンネルは、城塞の下をくぐり抜け、城の他の部分や堀の外へと続いている。それらは防御と水利の機能を持ち、現在でも見学できるものは、Strada Coperta della Ghirlanda(ガーランドの屋根付き道路)と呼ばれている。
これらの洞窟の構造に影響を与えたのは、Ludovico Sforzaの宮廷にいたレオナルド・ダ・ヴィンチだと推測されている。
入り口は見えるが、地滑りによってルートが遮られた後、土砂は一度も撤去されたことがなく、また非常に狭くて低い通路で、場所によっては這って通らなければならなかった。
伝説によると、このトンネルは街の中腹を通り抜け、Santa Maria delle Grazieの聖域に行き着くという。そしてSanta Maria delle Grazie聖堂の床にはセメントで固められた穴があり、そこがこのトンネルへのもうひとつの入り口になっていると言われている。
20世紀初頭、豪華な別荘を建設するために、現存する城の構造の大部分を取り壊そうとした試みがあった。だがこの災難は、建築家Luca Beltramiの先見の明と芸術と建築への愛情のおかげで回避された。その取り壊し計画時に地下通路の存在が発見されたが、建造物や地下トンネルについては深く研究がされたことはなく、現在も多くの謎を残している。

トンネルについての各種記事を抜粋・意訳・まとめ

ちなみに、城の地下通路の一部は、ガイド付きツアー用に開放されているそうだ。その模様がミラノ市の城のページに載っていたので、ビデオを載せておこう。

城以外の部分の地下通路は謎のままなので、いつの日にか、専門家が解明してくれる日が訪れれば、そしてその時まだシマ子が生きていれば、Noteでご紹介できれば、と思う。

折角なので、美術館の展示物と、内観の写真も少し載せておこう。
現館長に、「たくさん宣伝してくれれば、特別にトンネルに入れてあげるよ」と言われたので、冗談だとは思うけれど、宣伝してみよう、と思う(笑)

もしこの記事を読んで美術館を訪れる方がいらっしゃれば、「とあるミラノ在住日本人のブログを読んできました」と言っていただけると、シマ子のトンネル体験の日が近づくかもしれないので、是非、よろしくお願いします!

【展示物】

セレモニーが行われた檀上のカーペット。美しいですよねぇ!
カメオのランプ
トンネルのある部屋の壁のアフリカのオブジェクト
アジアの部屋の一角
アシンメトリーが美しい鍵穴
装飾が美しい時計

【館内の1階部分】

美しいステンドグラス
別角度から
近景

メーリングリストにも登録したので、今後は、土曜の催しで興味のあるものがあれば、また行ってみたいと思う。四季折々でこのステンドグラスから差し込む陽光を見たい、という目的もできたので。


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