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たとえば僕が死んだら?~この曲への私の思い出

この映像を観てから、この曲がずっと頭に残っている。

情報に触れての感情については、こちらでまとめた。

この映像の中で、向井が歌っている「たとえば僕が死んだら」には、私も特別な思い出がある。
至極個人的な、感傷の話。
この映像を観てから、5日。ちょうど、私の生命のこと。人が生命をかけてでも守りたいもの。私の生命より大切なもの。について、考えていて、酷く感傷的になり、ずっと泣いている。泣きながらギターを弾いて、歌っている。

たとえば僕が死んだら
そっと忘れて欲しい
寂しいときは僕の好きな
菜の花畑で泣いてくれ

たとえば眠れぬ夜は
暗い海辺の窓から
僕の名前を風にのせて
そっと呼んでくれ

たとえば雨に打たれて
杏の花が散っている
故郷を捨てた僕が上着の
襟を立てて歩いている

たとえばマッチを擦っては
悲しみを燃やす
この僕の涙もろい
思いはなんだろう

たとえば僕が死んだら
そっと忘れて欲しい
寂しい時は僕の好きな
菜の花畑で泣いてくれ

森田童子「たとえば僕が死んだら」

この曲は、森田童子という女性フォークシンガーの1980年の「ラスト・ワルツ」というアルバムで発売された曲で、森田童子は既に表舞台から引退し、亡くなっている。
そのずっと後1994年に野島伸司の「人間失格~たとえば僕が死んだら」というテレビドラマで使われ、eastern youthというバンドが繰り返しカバーして、彼らの定番曲の1曲になっている。
eastern youthでは「菜の花畑」→「月の光」と歌詞を変えている。
向井の歌を聴くと「月の光」と歌って居るので、eastern youthのカバーを元に、この時歌われたのが分かる。

私個人が、この曲に出会ったのは4年前だった。
とある地方都市の音楽スタジオ。
私は人生で2人目の本当に好きな人をインターネットアプリを通じて見つけて、その人に会いに行っていた。
相手の男性はギター弾きだった。
音楽のアプリを通じて、知り合ったので、音楽スタジオに行こうということになって、連れて行って貰った。
彼がギターを弾き、私が歌う。
共通の趣味の楽曲を、いつもと同じようにカバーして、その時間を楽しんだ。
彼は気が向くと、歌ってくれていたので、彼が歌うことは知ってた。彼の歌も胸に響くものがあり、彼の出すギターの音も好きだけど、彼が歌う歌声も好きだった。

だから、私がそのスタジオで、
「なんでもいいから、なにか歌って?」
と、お願いした。
しばらく考えた彼は、携帯を操作して、コード譜を探し、ギターを弾きながら、しっかりと1曲歌ってくれた。

その曲が「たとえば僕が死んだら」だった。

私は「たとえば僕が死んだら」を初めて聞いた。もしかしたらどこかで聞いたことがあったかもしれないが、記憶になかった。

彼が「たとえば僕が死んだら」を歌い終わり、
私は「その曲なあに?」と聞いた。
「森田童子~」と言われて
「知らないよね~」と続けた。

私は戸籍上まだ離婚が済んでなくて、彼のことを好きになってしまったかもしれない、と認識したとき、一番最初にしたのは、私の代理人になってくれている、弁護士さんに連絡することだった。
弁護士さんに電話をして「やばい、私、人を好きになっちゃったかも…どうしよう?」と聞いた。そしたら弁護士さんは「もういいんじゃない?」と言ってくれて、私が元夫以外に異性として好意を持つことを肯定してくれた。

状況としては、元夫に6年もの間不貞行為をされて、出ていけ、と言われて、別居してから4年が経っていた(不貞発覚から10年)。別居してすぐ、不貞行為の相手の女性と私の同意なく同居を始め、私の産んだ子と3人で生活をしていた。向こうは離婚したい、と言っていたが、不貞行為をしたのは元夫。不貞行為が発覚したのは、彼らが関係を持ち始めて3ヶ月の時だったが、不貞行為を知り、自宅に呼び出した、その女は、元夫の子を妊娠していた。1晩掛けて説得をして、元夫の収入では2つの家庭を維持する能力がないことを根拠に堕胎に応じてもらった。
私は私の一番大事な産んだ子に、教育だけでもまともなものを、と、小学校受験させて、私立小学校に入学させていた。
私の精神的病は状況が酷く、まともに働ける状態ではなかった為、経済状況が芳しくなく、私の収入では、子の学費を工面することが出来なかった。私立小学校に通わせ続けること(夫が学費を払うこと)と、週に1回1泊私の家で過ごし、子どもと会えることを条件に別居に応じた(弁護士さんに別居にあたっての条件を書面にしてもらって合意書を作成した)。

でも、子どもと全く合わせて貰えなくなっていた。

不定期相手の女性に慰謝料請求したら、俺(元夫)が払う。子どもの学費払わないぞ。子どもの進路違うものにするぞ。と脅されていて、慰謝料請求すらもできなかった。
私が離婚に早々に合意したら、異母兄弟を作るであろう事は容易に想像ができた。元夫の収入で二人の私学の教育を維持することは現実的ではない。もし、元夫と不貞相手との間に、子どもの兄弟をもうけたとしても、婚外子にする事で、抑止力になるのではないか、と、私は籍を抜かないということで、子どもの進路を守ることしか出来なかった。不貞してるのは、向こうなので、向こうから法的に離婚の申し立てをすることは出来ない。私がしない限りできない。

別居して、会うことができないけど、離婚しないということでしか、子の進路を守る事が出来なかったので、夫婦関係としては終わってるけど、戸籍上は夫婦のままだったから、私は私の正義のために、特定の男性と付き合うとか、そういう事をしないようにしていた。

だから、私の元夫以外の男性への好意を認識した時、一番最初にしたのは、弁護士さんに連絡する事だった。弁護士さんにダメだ、と言われたら、この気持ちは封印する覚悟だった。なかったものにしようと思っていた。でも、弁護士さんから、もう夫婦の実態はないから、いいよ。と言って貰えたのだ。

次にしたのは、精神科の主治医への確認だった。外来の時に「私、人を好きになっちゃったかも、どうしよう…」と同じく聞いた。主治医は「いいと思うよ。それもいいんじゃない?」と、弁護士さんと全く同じくことを言ってくれた。

弁護士さんと、主治医に、問題ないと言われたどころか、二人とも、割と、しょーがないなー、とういう消極的肯定より、背中を押してくれた。積極的肯定をしてくれた。これは割と早い段階でした。彼と知り合って1ヶ月位の時の話だ。

ということで、その要になる2人から、積極的肯定をしてもらえたことで、自分の気持ちに正直に生きていいのだ、と、自信を持つことが出来た。

彼と知り合って3ヶ月が経っていた。私たちはほぼ毎日6時間とか、そういう結構長い時間、自由意志で一緒に過ごし、音楽を楽しみながら、お互いの価値観や、恋愛経験、精神的バックグラウンドを打ち明け合ったり、ネット越しではあるけれど、それなりの信頼関係を構築していた。

ある日私は、2人だけで話せるように、彼に連絡を取り、状況を作った。それまでにも、何度か同じ事をしていたので、別に変に思われることも無かった。
そして、おずおずと3ヶ月の気持ちを彼に伝えた。好きと言うのではなく、好意を伝えた。
そして「2日後に連休があるから、私のために時間を作ってくれないですか? 東京に住んでいたら、ちょっとお茶でもという感じで会って貰えませんか?」と聞いた。
私が自分の気持ちを打ち明けた時、彼は凄く驚いていた。彼に取って私は、気の合う音楽仲間の1人でしかなかった。

「直接会うとかは控えてるんですけど…」という前置きの後、「僕が馬鹿だと思われちゃいますもんね」と、私の好意を認識しつつ、会ってくれる事になった。その時初めてLINEを交換して、ビデオ通話をして、お互いの顔を初めて知った。ビデオ通話の面接の後、実際に会う予定を組んだ。

夜行バスで1晩かかる程度に、住む所は離れている。実際に会ってみて、自分の好意が本物なのか確かめたかった。

彼は、夜行バスの到着時間に合わせて、始発の電車で、私の為に迎えに来てくれた。
私を見つけると、至極自然に、私の手を取って、強く握ってくれた。私は年甲斐もなく頬を赤らめ彼の背中に顔を隠した。太り過ぎた私の身体は隠すことが出来なかったけれど。

雨の日で、傘を持ってなかった私に、自然に自分の傘の中に入れてくれたり、マクドナルドでジュースをシェアしたり、移動の為の電車の切符を私の分も買ってきてくれたり、実際に会う彼は、ネット越しで感じた印象と全く同じ心配りをしてくれる人で、益々惹かれた。

私の方がずっと年齢が上なのに、ルックスも太って残念すぎるのに、1人の女性として扱ってくれた。私の前で、無闇に携帯を触る事もせず、好印象しかなかった。
そんな風に扱われるのは、人生で初めての経験だった。

そして、スタジオで歌ってくれたのが
「たとえば僕が死んだら」
だったのだ。

その日を持って、一応付き合う、と彼の消極的同意を得て、なったのだけど、コロナ禍という事もあり、思うように会うことができず、私は暴走して、うまく関係性を維持することができなかった。
私は最後に、彼の性格を知って、一番傷つくだろうなという、彼の琴線に触れるLINEをして、ブロックされた。
その時、彼は、ずっと使っていた、SNSのアカウントも消した。
アプリ上でその後も、私は付きまとい行為をしばらくして、徹底的に嫌われて、そのアプリからも私は排除されることになった。

私は人を好きなったら、嫌いになるということがない。これだけされた元夫にさえ、嫌いだとも思わない。
ちょっと(凄く?)異常者な部分がある。

そして私は「たとえば僕が死んだら」に触れる度に、彼のことを思う。

ナンバーガールと、eastern youthの対バンの野音のLIVEに行って、eastern youthの歌う「たとえば僕が死んだら」を聞き、彼の不在を思う。

あの時もう少し自制ができて、今も、うまくやれていたら、このLIVEにも一緒に来れていたかもしれないと彼のことを思った。

彼との思い出の曲はたくさんあるけれど、「たとえば僕が死んだら」は、彼の思い出そのものなのだ。

私も彼も、精神的に弱い部分があった。
だからお互い、自らの「生死」について、危うい部分があることを語り合っていた。

連絡を取れなくなって、なによりも思ったのが生きていて欲しいということだ。

「たとえば僕が死んだら」なんて言わないで欲しい。
そっと忘れもしないし、菜の花畑で泣きもしないし、海辺の窓ではないけど、寂しい時は彼の名前を思っている。

向井秀徳のこの映像をみて、また彼のことを思った。
知り合ったアプリに、彼の名前を見つけるたびに、今日も生きてる。と思う。
もう、直接関わる事はできないけど、生きていて欲しい。
ただ、願うのは、彼の生存と、彼の心身の健康と、彼の幸せだ。

たった1回しか会うことはできなかったけど、彼がくれたモノの大きさを考える。

希死念慮について、別記事で書いているんだけど、私は希死念慮から離れることができた。彼も彼の希死念慮から、自由になって欲しい。

私がギターを始めた動機は不純で、彼のギターに合わせバッキングができるようになりたいだった。それが3年前。

真面目にギターを弾くようになって、1年ちょっと。
1人「たとえば僕が死んだら」をのコードを抑えて、ギターを鳴らし、しめしめと泣きながら歌う。

ここ数日、私の生命がなぜあるのか?

という事を考える。
もうこの世から去ってしまった、祖父と祖母の愛の大きさを知る。
死んでしまった二人の事を思い「たとえば僕が死んだら」を歌い、涙を流す。

あの時、彼が「たとえば僕が死んだら」を歌ってくれた時、
なんで、そんなこというの?
と思った。
なんでこんなに悲しい歌を選んだの?
って思った。
そんなこと言わないでよ!
そんな風に言わないでよ。
って思った。
そう思い続けてきた。
彼は私に何もかも忘れることを要求してるって。

でも、亡くなってしまった祖父と祖母の事を思いながらこの曲の歌詞に向かい合うと「そっと忘れて欲しい」というのは、額面通りの言葉じゃないんじゃないかと思うようになった。
「そっと忘れて欲しい」と言いながらも、「寂しい時は菜の花畑で泣いてくれ」と言い、「眠れぬ夜は暗い海辺の窓から」名前を呼ぶことを許してくれてる。

一般的に、人の死は2回あるという。
1回目は、この世から肉体が死ぬ時。
2回目は、誰の記憶からも、忘れられる時。

森田童子はもう亡くなってしまったけど、私は亡くなってから彼女の遺した「たとえば僕が死んだら」に出会い、触れるたびに何かを思う。

「故郷を捨てた僕が上着の襟を立てて歩いている」
「この僕の涙もろい思いはなんだろう」

ってことは、2回目の死を迎えたくないって、森田童子は森田童子の方法で、抵抗してるんじゃないか?
森田童子自身もまた、亡くした忘れられない誰かがいるんじゃないか?

「そっと忘れて欲しい」というのは、自分の為に「忘れて欲しい」んじゃなくて、遺された人への優しさなんじゃないか?って、今思う。

あなたが私の事を忘れて、自分が2回目の死を迎えようとも、そんなこと責任感じなくても、いいよって、そういう優しさなんじゃないか、そういう意味なんじゃないか?って今思う。

たとえば僕が死んだら、そっと忘れて、自分の幸せを考えて生きなよ、だから、忘れていいよ、って、そういうことなんじゃないか?って。
これを書きながら、また新しい発見に思い至る。

でもやっぱり、祖父の事も、祖母の事も、彼の事も、
「そっと忘れ」たりなんかしないし、
「菜の花畑」でも「暗い海辺の窓」でもないけど、あなた名前をよんで、あなたの事を思っているよ。
「マッチ」じゃなくてライターだけど、火を擦っては、私は1人悲しみを燃やすよ。
って思う。

「たとえば」私が「死んだら」
すぐに何もかも忘れて欲しけどw

彼は早く忘れて無かったことにしたいんだろうけどw
ストーカーにはならないようにw
でも、想うのは許して欲しい。

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