見出し画像

私が海外のロースクールを目指すまで - 2

私は日本の大学で法律を勉強していたとき、ある理由から「ある国」に猛烈に興味を持った。

「この国で暮らしてみたい。法律は肌に合っている気がするので、この国のロースクールで勉強し、仕事もしてみたい」と思い立った。

「この国」がどの国かというのは、今は敢えてぼかしておくが、その内に自然と見当がつくかもしれない。

日本で司法試験を受けるとか、そういうことは全く考えなかった。
実際に受けたこともないし、そのような勉強をしたこともない。

ピンポイントで「この国に行って、ロースクールで勉強し、弁護士資格を取得し、法律に携わるビジネスの経験値を積みたい」という気持ちが10代の内に芽生えたのである。

実生活でこの話をすると、一番よく聞かれる質問が「なぜ?」である。
当たり前の疑問である。

私が相手だったとして、興味を持ってそう聞くかもしれないし、さほど興味がなかったとしても、礼儀でそう聞くであろうと思う。

何百回も聞かれてきたので、さほど喋りが上手くない私でさえ、噛まずにスラスラと理由を答えられるぐらいである。

「その国」には、子供の頃から映画などのサブカルチャーを通じて興味があった。それが、10代の終わりにかけ、ビジネス的な興味に変わってきたのである。

少し辛気臭い話になるが、私が大学に入った時期はニュースで「アジア通貨危機」とか「グローバル危機」とかいう言葉が頻繁に登場し、日本に経済的に暗い状況にあった。

これまで終身雇用を前提とし、企業に忠誠を誓ってきた先輩の方々がリストラに合うというニュースも頻繁に目にした。

これから社会に出ようとする私も、何となく先行き不安で、暗い気持ちであった。

そんな折、サブカルチャーでしか興味のなかった「その国」のビジネスマンが、英語を駆使し、活き活きと国際ビジネスのやり取りをしている姿をテレビで見た。

日本人と同じく、英語を母国語としない彼らであるが、そんな彼らが国際ビジネスの舞台で活躍する姿を見て10代の私は「かっこいい!」と痺れたのである。

その気持ちの裏を返すと、今と比べてもその頃の日本には、英語を駆使して国際的に活躍する人材というのが少ないと暗に感じていたわけである。

良さげな会社に入って、一生面倒を見てもらえるという保証がある時代はすでに終わり、今後は会社にいつ追い出されても生き残っているスキル、もっと打算的な言い方をすると、ほかの人たちがあまり持っていないスキルを身に付けるために海外に(この国に)飛ぼうという考えに至るのである。

後に自分の第2の故郷ともなる国が、それまでの「サブカルチャーが面白い国」から「国際派のビジネスマンが活躍する痺れる国」に変わった瞬間である。

それまで、故郷からもあまり出たことがなかった私であるが、「その国で国際派の人材に囲まれながら、自分も国際ビジネスの経験値を積みたい」と思い始めた。

大学で専攻していた法律も肌に合っていると感じていたため、「海外×法律 の仕事などはどうか?」「国際派の弁護士なんてどうだ?」などという考えが膨らみ始めた。

「渉外弁護士」などという言葉を初めて意識し始めたのも、この頃であった。

調べる内に「その国」は英語で司法制度が運用され、「法律の勉強」も「法曹資格の取得」もすべて英語で行われるということを知った。

さらに私のような外国人であっても法曹資格の取得が可能である、というリベラルな懐の深い国であることも知った。

勘のよい方であれば、ここらへんで「その国」が「どの国」が見当が付いている頃であろうと思う。

見当が付かない方は、ヘンに勘繰らずにこのまま読んでいただきたい。
人は少しぐらい「?」があった方が興味が持続するものである。

かようにして、若く単純でイノセントな私は「これから英語を勉強し始め、その国に乗り込んで、仕事も探し、弁護士資格も取っちゃおう!」と結構すぐに決めたのである。

日本で弁護士資格を取得した後、海外に行っても良かったのでは?という考えもあるかもしれない。

日本の司法試験制度に詳しくないので、誤りがあったら申し訳ない。

当時は「旧司法試験」と「新司法試験」の併存?みたいなことが騒がれ始めた時期だったと記憶している。

要するに、昔ながらの合格率2~3%の司法試験というイメージが強い時期でもあり、それを経てから海外に行くということは考えなかった。

大学在学中に司法試験に受かるような頭脳の持ち主であれば、そのような力業も可能なのかもしれないが、自分がそのようなタイプでないことは自分が一番よく分かっていた。

当然、日本の司法試験の勉強をしながら、片手間に留学もしたり、などといった器用なことが自分にできるとも思わなかった。

海外で法律の勉強をすれば、「法律×海外」という知識やノウハウが同時に身に付くのでは、と単純に考えたわけである。

ほかの国でも良かったのでは?という考えもあるかもしれない。

確かに、外国籍の人間にも法曹資格をオープンにしている国はいくつかある。しかし、私の知り得る限り、それらは英語圏の国が多く、法曹志望者も英語のネイティブスピーカーが大半という理解である。

私が憧れた国では、英語を母国語としない人間であっても英語で法律を勉強し、法曹資格を取得しているのが基本的な図である(実は「英語を母国語とする人たちも結構な割合で存在する」ということを、かなり後になってから知るのであるが)

そのような環境で闘っている「彼ら」をカッコいいと思ったし、英語を母国語としない自分にとってもフェアであると思った。

と言うわけで、当時の自分には「その国」一択であった。

何だかんだで、結論から言うと、大学卒業後ほどなくして、その国に乗り込むこととなり、思い描いていたこともひと通りやって帰国したわけである。

結果的には、無謀な決断をしたわけではあるが「何とかなった」とも言える。

「何事も頑張っていれば何とかなる」などと言うつもりもないし、「何かに迷っている若者は、とにかくその世界に飛び込んだ方がいい」などと無責任なことを言うつもりもない。

そんなことは、その人がどんな人生を送りたいか次第であると思っている。

「まずは行動を起こせ!」などと偉そうに言うつもりもない。
私もどちらかと言うと、なかなか行動を起こさないタイプの人間だと思う。

ただ私の人生の前半で起こったことを振り返り、「人は何か1つの方向に向かって歩き続けていると、たまに理屈で説明の付かない不思議なブリッジが架かることがある」とは本気で感じている。

因みに、実生活でこの話をして、2番目によく聞かれる質問は「そこまでしたのに、どうして日本に戻ってきたの?」である。

まあ、これも当たり前の疑問である。
ここらへんは、機会があれば追い追い書くかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?