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ワインと塩と潜水艦


やっとの思いでロリアン到着。

身構えてる時に新しい発見は来ない物。

 最近物価高で大変ですが僕は相も変わらず安酒で酔っぱらう日々です。
 日用品を買うついでにロング缶を買い物カゴへほりこんでいると、ぼんやりと「そういえば大和ホテルだのなんだのと、当時の軍上層部はいったいどんな高級酒飲んでたんだ?」と。
 思い至ったら吉日、さっそく調べ始めた最中ロッシェル塩なるものに目が留まります。
 潜水艦について調べて来た中初めて見た単語でした。

ロッシェル塩て?

 フランスのラ・ロシェルで発見されたからロッシェル塩だそうで、詳しい原理は理科の先生に任せるとして。
 ワインを作る際に樽の底などに残ったり、ワインそのものに脱酸用石灰を入れると底に溜まり採取できる『粗酒石』に手を加えて生まれるのがロッシェル塩。
 WW1時からすでにドイツUボートに対抗する為の、水中マイク音響ソナー両方へ用いられ対潜水艦戦の支柱を担っています。
 第一次世界大戦が1914年開始なのでそれから遅れること20年近く、1933年に日本海軍は九三式水中聴音機を導入しますがコレにはロッシェル塩は使用していません。
 ちなみにですが伊号潜水艦に関しては聴音機として終戦までコレ一本を改良しつつ使い続けていました。物持ちが良いと言えば聞こえはいいですけども……。
 
 ロッシェル塩は広く使用されていたのは確かですが、高湿、衝撃、水に弱いという性質上日本でも研究は行われていましたがこちらでは国産実用化にまでは至っていませんでした。


ミッドウェー海戦を経て

 1942年6月、日本海軍は大敗しこの穴を塞ぐ為にドイツからロッシェル塩の開発情報を取得する事に。
 こういう文言が関係資料を漁ると散見されるのですが、如何せんつじつまが合いません。
 というのも当時ドイツと日本の間にはそもそもの物理的な距離があり、間には敵であるイギリス領及び基地が果てしなく点在しており、
ソ連領に関してはそもそもドイツと交戦状態であり、日本陸軍としてはむやみにソ連を刺激するのを避けたい思惑が重なって通行困難。
 そのため伊号潜水艦における遣独作戦以外まともにドイツとの通信さえままならない状態である事に疑い無く、一応一時的に国際回線によって一度電話が(使用後中継地が爆撃され使用不能)、イタリアから日本の要請を無視しソ連領を跨いで航空機の来訪がありはしたものの、とてもロッシェル塩についての詳しい情報が取得出来たとは考えられません。
 事実1942年6月から遅れる事丸一年、1943年にようやく大蔵省から次期栽培においてブドウ栽培の免許緩和に加え大増産令が出た後、翌年甲州においてロッシェル塩を国内で唯一生成できるサドヤワイナリーへ全国からブドウを集積し、その横にドイツから取得した情報を下地にした開発室を設けています。

では、誰が持ち帰ったのか?

 遣独作戦でミッドウェー海戦後間もなくの出港、43~44年時のブドウ栽培開始までに日本領へ帰還と考えた場合、潜水艦は二隻、伊三〇と伊八の二隻しかいません。
  しかし伊三〇が日本をたったのは1942年4月なので任務としてロッシェル塩の情報を取得するタイミングがあるとは考え難く、何よりシンガポールで沈没。
 となれば伊八になるものの、出発が6月1日でミッドウェー海戦の4日前に出発し呉へ帰着したのが1943年12月の暮れなので、到着次期は申し分ないものの(ブドウの苗を植えるのが11月~2月のため)出発時に情報取得の報があったと考えるのは難しい。
 残るは伊二九や三四ではあるものの三四は行きで英潜水艦により撃沈、二九は日本領到着が44年7月と遅すぎるため除外となります。
 
  正直お手上げです。

 一応、伊八は呉出発の後シンガポールとペナンに寄ってから一路ドイツへとひた走る事になったので、この二か所へ寄った際にその情報を受け取ったとするのが自然でしょうか。
 それであれば呉帰還時の資料に一言二言記録があるような気がするのですが、最初に述べたようにロッシェル塩なるものを伊号潜水艦について掘り下げる中見たこともありません。
 
 まあ……見落とし、資料不足等、自分が足らない部分はもう本当にどうしようもないので申し訳ございませぬとしか……

 

伊八が持ち帰ったと見た方が自然か。

 なんにせよ仮に伊八が持ち帰ったとして、呉へ帰還したのが1943年の12月。
 同年大蔵省へブドウ増産命令(これも正直怪しいが、呉着21日のため大急ぎで年を跨がず押し込めば可能……とは思われる)、44年時ブドウ収穫へ合わせてサドヤワイナリーに開発室増設、ロッシェル塩採取開始。
 潜水艦用ではなく、商船や大型艦船に搭載する対潜用ソナーである三式水中聴音機にこのロッシェル塩を使用したという記述があるものの、逆算すると44年(皇紀二六〇『四』年)だと間に合ってなくないか? というアレ。
  そしてただでさえ三式水中聴音機、三式水中探信儀の情報が散逸する中でロッシェル塩を使用したであろう四式水中聴音機は更に困難を極めるという状態でした。

まとめ。

 とにかく出処怪しいネット情報から某擬人化ゲームwikiの情報などの大量のノイズを時にかき分け時に利用しつつ、もちろん紙媒体に加え各論文目を通しましたが個人の限界を感じた一週間でした。
 事の発端が某放送局の書いた記事の言いぶんにモヤったという負のエネルギーをくべながら進んだにしては、結果としては物足らないままでしたので、いつかリベンジしたいです。


おわり。

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