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天の磐船

【記録◆2024年4月12日】②

◇磐船(いわふね)神社◇

御神体「天の磐船」(幅12m)
御神体「天の磐船」(高さ12m)

「妙見山」に隕石が落下したとき、飛び散った岩が落ちた所です。
 舟形の巨岩は、山頂部分だったのでしょうか。

『星田妙見宮』の御神体は山上の磐座で、「COGY(足こぎ車いす)」だと行けないことが少し切なかったけれど、次に行く『磐船神社』では二本杖で御神体まで行けると分かっていたので、気持ちを切り替えられたのでした。

 周辺にも岩が散らばり、『天野川』を埋め尽くしています。

天野川(川底)
天野川(川岸)
天野川(向こう岸)

「妙見山から飛び散った岩が落ちるまでは、舟で県境を越えられたのでは」と考えていたけれど、帰宅後に調べると、このあたりは道も川も幅が狭く、1997年に竣工した道路改良工事と河川防災工事により、道だけでなく川も、山中に造られたトンネルを通るようになっています。

 そういえば来るときに、幅の広い川がトンネルから流れ落ちていました。
 磐船の下を慎ましやかに流れているほうが、元の『天野川』なのです。

 ひとつ前の記事で考えた「成長したクシヒカタが大阪から移住するとき、遠回りをして京都経由で奈良に入った理由」も確かめられました。

磐船に触れてみた

 地図で境内社『白龍大神』とあった方角は、通行止めになっていました。
 でも、境内を出て、車で来るとき見えた瀧まで二本杖で歩くと、そこにも『白龍大神』が祀られていたのです。

白龍の瀧

 調べたかぎりではインターネットに、瀧が並んでいる写真はありません。右側の瀧が現れるのは水量の多い日だけなのでしょう。
「晴れた日が続いた後なのに……」と、余計に嬉しくなりました。

白龍の瀧(右の瀧)
不動明王

◇稲蔵(いなくら)神社◇

『磐船神社』の御祭神は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」でした。
(あまてる くにてる ひこあめのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)

 すぐ先にある県境を越え、交野市(大阪)から生駒市(奈良)へ入ると、『稲蔵神社』に「ニギハヤヒ(饒速日)」の伝承があります。
 途中で道を間違えて、引き返せないまま北へ行ってしまいました。

 その先の山中に「饒速日命の墳墓」があると知っていたため、「お呼びになりましたか。わたしの脚では行けないので、ここから失礼します」と手を合わせたのでした。

 編集が加わった歴史では、1人の人物を複数名に分けたり、子孫も含めて1人の人物にまとめたり、別の人物を1人にまとめたりしているようです。

 生駒の別の神社では、御祭神が「天照 国照 彦天火明 櫛甕玉 饒速日命」となっています。(あまてらす くにてらす ひこあめのほあかり くしみかたま にぎはやひのみこと)

 様々な系図を照らし合わせてみて、「奇日方(クシヒカタ)」と「櫛御方(クシミカタ)」とは同一人物だろう、と考えていました。

 以下の記事に書いたように、「櫛甕玉(クシミカタマ)」も、クシヒカタなのかもしれません。

 ニギハヤヒの長い名前には、大和に最初の王国を創ったひとびとの名前が入っているのかも(存在が隠されている場合は先祖の名前で)。

「初代大王の父」を祀る『射楯兵主神社』も、三輪山と妙見山を結ぶ線上にあります。1500年前の隕石落下を正面から見る位置に。
(学問を修めていないし、計算は大雑把なので、わたし個人の想像です。)

『稲蔵神社』の御神体も岩(それで、「イナクラという名は、元がイワクラだったのでは」という説もあります)。

「妙見山」から飛んでくる距離ではないけれど、方向は同じなので、何度か彗星が巡るうちに隕石が近くの山から飛ばしたのかも。

御神体「烏帽子岩」(周囲12m)
御神体「烏帽子岩」(高さ6m)

 どの写真も、「かみさま、撮らせていただきます」とお願いしています。

 帰宅後、「峰がふたつの山は、遠い過去に隕石で欠けたのかもしれない。大和の出雲の聖地『ダンノダイラ』の巨石は、巻向山の山頂だったのかも」と想像するのでした。

 さらに、「巻向山の西にある『穴師山』で製鉄が盛んだったのは、砂鉄が取れなくても、隕鉄(鉄を多く含む隕石)を掘り出して製錬できたため?」  といった想像が止まりません。

 そういえば、『穴師山』も、ゆるやかな「ふたかみ」です。
 彗星が巡るごとに「天地(あめつち)の宮柱」が立ち、周囲の山に磐座を残していったのでしょうか。

 万葉挽歌に詠まれた『大鳥の羽がひの山』を、「山裾が閉じた翼のように見える山」と、わたしは想像しています。「隕石落下で馬蹄形になった山は天と繋がった地で、ひとはそこから天に還る」と、古代人も考えたのでは。

 現地を巡って判ったのですが、交野市と生駒市の境界あたりは、平地でも標高が高いため、生駒山が低く感じられました。
 標高に大きな差がないのだから、ここでは生駒山は防護壁になりません。

 この国土に在ったひとびとが、命を送り出してくれました。
 そのときには1500年先であった現在へ。

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