Clara

claraは、「光」という意味です。車椅子ユーザーですが、車椅子ダンサーではありません…

Clara

claraは、「光」という意味です。車椅子ユーザーですが、車椅子ダンサーではありません。衣装の下に12個の補装具を着けて、踊りたいから踊ります。「足こぎ車いす」とともにどこへでも、ひとりで行きます。『note』記事は、テーマごとに「マガジン」の形にもなっています。

マガジン

  • 車椅子から立ち上がって

    「COGY(足こぎ車いす)」が増やしてくれた脚力で「行けるはずがなかった場所」へ行ってみようと決め、「これが最後かも」とおもいつつ、意外にも多くの場所へ歩み入っています。

  • テレビ番組のための対話

    2020年にテレビ放映されたドキュメンタリーに関する記録をまとめます。番号のついた記事は⑮まで続く予定です。

  • COGY(足こぎ車いす)

    「COGY(足こぎ車いす)」関連の記事をまとめました。

最近の記事

千杉白龍大神

【記録◆2024年6月25日】② ◇千杉白龍社(ちさんはくりゅうしゃ)◇ 「雨の日にも行きやすい場所」として、こちらを先に考えていました。  地図を見て、『龍王ヶ渕』にも同じ日に行けそう、とおもったのです。  近くの郵便局の電話番号をナビに入れ、次は、「信号」を目印にします。 「山奥のハイウェイ(信号の少ない国道や県道)」では、「点滅信号の先」といった情報が貴重。 「かみさま、撮らせていただきます」と、お願いをしました。  入ってはいけない神域には入りません。  古

    • 龍宮

      【記録◆2024年6月25日】①  梅雨の晴れ間には、「他の時期だと、ひとの多い場所」へ行きます。  そういった場所は、ひとの多い季節が最も美しいのでしょうけれど。  美しい所へ続く道は一車線であることが多く、対向車とすれ違えません。  待避所に差し掛かると同時に、曲がり角の向こうから対向車が現れたら、「わたしは運がいい……っ」と、いちいち快哉を叫ぶのです。  かつては、「神さまに呼ばれないと行けない」と言われた多くの場所が、現在は新しい道によって、近くまでは行きやすい

      • 水辺の小径

        【記録◆2024年6月12日】  雨があがると、大和盆地を取り巻く雲が現れて、山の麓だけを隠します。まるで、大きな白い龍が、平野部との境に身を横たえているよう。  地の龍は、三輪山が頭、龍王山が胴体、桃尾の瀧が尾で、天川に眼差しを向けているから、陰陽のように白い龍は寄り添っているのかもしれません。  ひとの眼差しも遠い山稜に一瞬で着くのに、晴れた日でも、山中に入ると行き先を見失うことがあります。  盆地から見えている所へ行くには、いったん大阪側に出なくてはならないと知

        • 水が流れる白瀧

          【記録◆2024年6月4日】② 『黒瀬瀧』からの帰り、『白瀧』に寄ってみました。  前回には、「水が無い……っ」と叫んだ所です。  車から出る前に滝音が聴こえてきたけれど、 「目で見るまでは期待を持たない」と呟きました。 『白瀧』の正面に架かる橋まで歩くと、すぐ水の流れが目に入り、わたしは踊り出しそうになるほど大喜び。  前に来たときは雨が続いた後だったのに、流れる水が無かったのです。  今回は晴れ続きだった気がするけれど、そういえば大和盆地でも前々日に激しい雨音がい

        千杉白龍大神

        マガジン

        • 車椅子から立ち上がって
          91本
        • テレビ番組のための対話
          8本
        • COGY(足こぎ車いす)
          31本

        記事

          南へ向かう道

          【記録◆2024年6月4日】① 『川上村』に立ち寄ると、最初の店も、次の店も、「臨時休業」でした。  南へ向かう道が、春から通行止めになっているためでしょうか。  先月、『大台ヶ原』へ行く途中で車を止められ、「通り抜けできません。どちらまで行かれますか?」と訊かれ、「大台ヶ原なら、大丈夫です」と、教えていただいたのでした。  その先へ行けないのなら、『前鬼川』にも『不動七重の瀧』にも、いまは行けないのでしょう。  それらの手前の『深瀬瀧』には、行ったことがありません。

          南へ向かう道

          龍王の神域

          【記録◆2024年5月21日】  春には3万本の桜に覆われる『吉野山』の傍で、『高瀧(たかたき)』に近づいていくと、「不動明王」が彫られているのかとおもった古い石碑に、「八代龍王」と文字が彫られていました。 「八大龍王」ではなく「八代龍王」だったため、帰宅後に違いを調べると、 「大和盆地」を斜めに横切った北西の方に、「八代龍王大神」を祭神とする『八代龍王 神感寺』があると判りました。 「代」なのは、ここだけ。  神示で授けられた文字を使っているそうです。  車と徒歩で

          空よりも高い所

          【記録◆2024年5月9日】 「空が目の高さにある……」と、声に出しました。  それから、「空が、目の高さより下にある……」と。  近畿で最も高い所を通る『大台ヶ原ドライブウェイ』で。 (最初の写真は、帰りに撮った最後の1枚です。「行き着くこと」に体力を充てるため、「帰りに余力があれば撮る」と決めています。)  植生の豊かさに驚きました。  いつもだと、「山奥のハイウェイ(信号も対向車もない道)」と名づけた道路を走り、「秘境」と名づけた山懐に入り込んでも、立ち並んでい

          空よりも高い所

          岩神

          【記録◆2024年5月1日】②  ようやく、当初の目的地に着きました。  ここに来るつもりで家を出たのでした。  見えている部分が約14mで、その後ろは22m30cmの高さがあるそうです。 (段瀑でも、滝壺まで近づくと上段が見えなくなります。) 「神が岩を押し分けて出てきた」とされる亀裂が裏側にある、とのこと。  記紀には、この国つ神に尾があった、と記されています。このあたりも、ここより上流でも、「尾のある神々」の名が地名となっています。  ふと思い出しました。わ

          源流の地

          【記録◆2024年5月1日】① 「この瀧をどうしたら眺めていられるのだろう」と何年も考えていました。  何回も見ているのです。車を止められなくて、いつも一瞬だったけれど。 『西河(にじっこう)の瀧』は、『吉野川』にかかる「渓流瀑」です。 (地図には、「大滝割滝(おおたきわりだき)」という名で表示されます。また、すぐ近くの『せいれいの瀧』も別名は「虹光(にじっこう)の瀧」。読み方の「音」のほうに意味があるのでしょうか?)  滝へ行く予定はなかったのに、偶然が重なって、こ

          わが命も常にあらぬか

          【記録◆2024年4月18日】  都会を好まないため、用事がなかったら、街にさえ行きません。  大和盆地の北部にさえ行かない、ということです(車椅子ユーザーなので買い物にも出ません。家まで届けてもらうか、必要な物を自分で作るか)。  住処に居ないときには、『笠置山地』か『高見山地』か『紀伊山地』か『金剛山地』に居ます。  先週に行った『生駒山地』は北西なので、街を通る必要がありました。 (行ってみると、緑なす丘が多く、住むには良さそうな街でしたが。)  きょうは、街が

          わが命も常にあらぬか

          天の磐船

          【記録◆2024年4月12日】② ◇磐船(いわふね)神社◇ 「妙見山」に隕石が落下したとき、飛び散った岩が落ちた所です。  舟形の巨岩は、山頂部分だったのでしょうか。 『星田妙見宮』の御神体は山上の磐座で、「COGY(足こぎ車いす)」だと行けないことが少し切なかったけれど、次に行く『磐船神社』では二本杖で御神体まで行けると分かっていたので、気持ちを切り替えられたのでした。  周辺にも岩が散らばり、『天野川』を埋め尽くしています。 「妙見山から飛び散った岩が落ちるまで

          天地(あめつち)の宮柱

          【記録◆2024年4月12日】①  奈良県の大きな地図を買い、行った所に付箋ミニ(25×7.5mm)を貼っていたのですが、広げておけない大きさだから、付箋の多い部分だけを残して折りたたみ、最北端と最南端の市町村は表に出せませんでした。  ハタキをかける方向に気をつけても付箋は剥がれるから、画鋲に替えようと考え、大きなコルクボード(高さ90cm×幅60cm)に地図を貼りつけて、「行った印」を差したら、透明な丸ピンが角度によっては光球のよう。  縄文の神々との交感が各地で小

          天地(あめつち)の宮柱

          神やどる山を視る

          【記録◆2024年4月2日】  4ヶ月前に見つけられなかった場所を、探しに行きました。 「まだ命が続くのなら、いま居る所の向こう側で見つけたい。新緑の季節が再び巡ってきたときに」と記していたけれど、芽吹きの時を待たずに。  冬の前に探したのは、19年前に、かろうじて辿り着いた坂道の果て。  子どもたちが向かいの山へ駈けていくのを見送るしかできなくて、 「まだ、いっしょに駈けたい。脚の治療をしよう」と決めた場所でした。  記憶にあるのは、自分が立っている小さな丘。そこだけ

          神やどる山を視る

          大和の大和

          【記録◆2024年3月27日】 「島根の出雲」で副王の「事代主(コトシロヌシ)が亡くなった後、妃の「活玉依姫(イクタマヨリヒメ)」は子どもたちと実家(大阪府高槻市)に帰りました。  息子の「奇日方(クシヒカタ)」は成長すると、新しい王国をつくるため「大和」の葛城山東麓に移り、その後、妹の「タタライスズヒメ(三輪山の初代祭主)」と「イスズヨリヒメ」が先に住んだ三輪山西麓へ移りました。  姉妹が住んだ『出雲屋敷跡』に行ったのは12日前。  同じ日、初代大王(タタライスズヒメ

          大和の出雲(Ⅱ)

          【記録◆2024年3月15日】②  昨年の最後の日、「天香久山」の山頂に祀られている「國常立命」は、『地球の創成に深く関わった金色の龍神の人型』で、「天香久山」の古名は「龍王山」だった、という話を知りました。 「神代七代」の最初の神さまなのに、主祭神となっている所は大和盆地では検索に挙がってきません。「三輪山」の南麓に、ようやくみつかりました。祀られている「十二柱の神さま」の一柱として。 ◇十二柱(じゅうにはしら)神社◇ 「神さま、撮らせていただきます」と、お願いをし

          大和の出雲(Ⅱ)

          大和の出雲(Ⅰ)

          【記録◆2024年3月15日】①  この日にみた最も美しい光景は、桜花に可憐なくちばしを差し入れて蜜を吸いつつ花から花へ移っていく鶯が、飛び立つときにだけ散らした花びら。  ゆっくりと3枚ほどが、輝きながら風に舞って落ちていく様でした。  大和盆地が沼地だった頃に最初の王国が創られた「葛城山の東麓」から、東の視界の果て「三輪山の西麓」に「奇日方(クシヒカタ)」が移ったのは何年後だったのでしょう。  わたしは、「週」と「日」で数えられる時の後、三輪山の麓に居ました。  三

          大和の出雲(Ⅰ)