杖で歩いた先に
【記録◆2024年7月17日】
遠くへ行く予定でしたが、家を出る1時間前、ふと気になって道路状況を調べると、そちらへ走らないほうがいいと分かりました。
滝へ行くなら、渇水期ではないほうがいいけれど、水量が多い時期には、崩土、落石、倒木で道が塞がる可能性もあるから、慎重に判断します。
先天性の身体障害が進行した先に、おもいがけない贈り物がありました。
「COGY(足こぎ車いす)」が、立ち上がって受け取る力をくれたから、
『マガジン:車椅子から立ち上がって』の記事数は、「100」に届きそう。
受け取らないほうが、障害の進行を抑えられたかもしれません。
二本杖で歩こうとしなかったら。
脚の力だけで立とうとしなかったら。
だけど、「行けるはずがなかった所」から持ち帰った記憶は、なにひとつ持っていけないとされている彼岸まで、魂とともに渡る気がするのです。
映像記憶力によって、どの場所にも何度でも行けるけれど、左右の手首に杖をぶらさげて撮った写真や映像は、その補いとなってくれるでしょう。
最期まで視覚が残っていれば、此岸の果てまで。
ある先住民の長老が、きれいな水に触れられる所に行くと、その地にいる龍を取り入れることができる、とおっしゃっていました。
わたしは、「龍とは、微生物群なのでは」と感じています。
『黒瀬瀧』の滝風が、微細な水の粒を紗のように纏い、地の流れと並んで、ゆったりと空中を移動していく様も、大きな白い龍のようでした。
ひとは自身から放たれる「微生物のオーラ」に包まれているそうですが、 わたしはしばしば、「オーラがすごいっ」と感嘆されます。
身体障害が進行しても、病状が重くなっても、いまだに。
それは、共生する微生物群に向けられた賛辞なのでしょう。
30年近く前、国の事業に応じる企画を求められたとき、
「農業に微生物の力を取り入れる」という提案をしたら通りました。
それで、有用微生物の希釈液を、牛舎の床に撒き、壁に散布したのです。飲み水の井戸には、有用微生物の情報を写したセラミックを沈めました。(微生物も八百万の神ですから、有用と呼ぶのは無礼なのですが。)
すると、牛舎の臭いが消え、「廃業されたのですか?」と訊かれるようになったのでした。
新聞の取材も受け、写真入りの記事になっています。
牛のおやつにしようと、アシタバを無農薬で育ててみたのですが、そこも有用微生物の働きで、畑が乾ききった夏にも、土が保水できていました。
それからは、室内にも毎日、希釈液を散布しています。
また、生活の様々な面を、微生物に補ってもらっています。
20年近く前、掃除を終えて部屋を見渡したとき、「神社の境内のよう」と感じました。その時には知らなかったけれど、『大和国一之宮 大神神社』で
衰弱した御神木を、同じ微生物群が復活させています。
「その後、境内にも、御神体の三輪山山頂からも散布されるようになった」とのこと(10年前の情報)。
同じ技で、家庭内が「イヤシロチ」と化すわけです。
以前、『わたしの息は、清流と混ざり合います。樹々を渡る風とも』と、直感を言葉にしたことがありました。
その直感は正しく、ひとは固有の微生物雲を体の周囲に発生させていて、行く先々で、そこから舞い上がる微生物を拡散しているそうです。
『その地の龍』とも、いただくばかりではないのかもしれません。
『黒瀬瀧』で軽登山級の道を辿り、家事のほうが体力は要ると判りました。
ぎりぎり1日分の体力しか無いため、整頓や掃除は少しも滞らせません。そのための動作は、野外では必要にならない可動域と筋力を必要とします。(山の中で家事と同じ姿勢を繰り返したら、深刻な吸血被害に遭うはず。)
装具を着けて家庭を整えられる間は、滝へ近づいていけるでしょう。
外した装具を次に使うまで乾かしておけるよう、定位置を作りました。
材料費は738円。棒を渡した所には幅広い「胴の装具」も掛けられます。
ゴムチューブ(4m)は、両脚の2本を掛けても、この奥行きに納まります。
手前には、短い装具を掛けるので、通行の妨げになりません。使うたびに「有用微生物群の希釈液」を吹きつけています。
その手間だけで、除きたい物は除かれ、きれいになるのです。
『リビング・ウィル』の書類を用意してから1年近く経つのに、わたしは、
「ぜんぜん変わらない」と言われるので、この身が命や形を保っているのは自然界との交感によるとしかおもえません。
◇◇滝谷不動瀧◇◇
家を出る30分前に印刷した地図では正確な位置が判らなくて、着くまでに迷い込んだ道は、透明な水が下り落ちる川となっていたため、遡っていくと彼岸へ入り込んでいくような気がするのでした。
林道で迷うと、後退では戻れない距離を走ってからでないと、車の向きを変えられません。「無事に引き返せたら、滝は見られなくてもいい」とまで考えました。
でも、さっき確かめたいと感じた場所の先に、滝の拝所があったのです。
鈴緒の向こう側に、滝が見えています。
そこに、初めて陽が差しました。
水が輝きます。
「よかった、歓迎されていないのではなかった」と感じました。
「道に迷ったけれど、招んでくださっていたのに気づかなかっただけ」と。
それで、安心して小さな橋を渡り、滝の上段へ近づいて行ったのでした。
石灯籠の向こうに見えているのが、火炎光背。
不動尊が滝のほうを向いているのは、ここだけなのでは?
向かって右側に崩落の跡があるので、もしかしたら、最初はそのあたりに安置されていたのでしょうか。
場所を調べたときに見た写真では、川も岸も、山肌も、落ち口も滝壺も、荒涼としているように感じました。
信仰の滝なので、手入れは行き届いています。
それでも、渇水期の光景は、恵みも彩りも無いように見えたのでした。
きょうは、道が川となるほど、山から水が下り落ちてきていました。
滝から落ちてくる水も、写真では見たことがないほど豊かです。
そして、石垣も滝も、崩落した部分は可愛らしい草や美しい苔に覆われ、壊れた所がわからなくなっています。
草が枯れ、水が涸れると、荒涼とした感じになるのかも。
足の置けそうな所を杖先で探って、流れの中へ入っていきます。
滑らないよう注意して端まで進み、下段へ向かう流れを視界に入れます。
帰ろうとしても、振り返るたび足が止まってしまいます。
先月(6月25日)、動かなくなっていた右脚を、肋骨の筋肉を束ねて使うという方法で動かせるようになりました。
記事に書いたとおり、頭から足先までの激痛も消えて喜んでいたけれど、別の所に強い痛みが生じたため、「これは、動かなかった所が動き出して、強すぎる筋肉痛になっているのだろう」と気づくまで落胆していたのです。
痛みが強いと就眠できないから、全身の修復が滞ります。
長らく、自分で考えた「補助具」を使って寝る姿勢を保っていましたが、「身につける装具」は寝る前に外していました。
ところが、身体を緩めるために装具を外すと、休めないのです。
気がつくと背中が寝具から浮いていて、後頭部と腰だけで支えている時もありました。背中を着けると、痛みを感じる位置に脚が来てしまうらしく。
踊るとき背中が開いた衣装を着ると「筋肉隆々」と驚かれるわけです。
24時間休みなく「筋トレ状態」に追い込まれていては。
今回は2か所を緩く縛り、就眠後も脚の位置を保てるようにしましたが、ようやく眠れても、身体障害のある部分に激痛が生じて2時間で目が覚め、「生存に適さない身体……」と呟かずにはいられませんでした。
正しい位置でも、誤った位置でも、どこかが楽になれば、別の所に激痛が生じるのです。
試しに、縛る所をひとつに減らしてみると、ひさびさに長く眠れました。
こうして「妥協点」を見つけても、それは刻々と変わっていくけれど。
では、刻々と変わっていく「妥協点」を次々と見つけていきましょう。
辛抱強く対処をしていけば、いつか全身が整うかもしれません。
『滝谷』の道を、透明な膜のように広がって流れていた水は、そのままでも飲めるような気がしました。
わたしが居る所は美しい。
真冬には森の温かさに包まれ、真夏には滝の冷たい飛沫を浴びられる。
滝や森へ行く他は家から出られなくても、配達してもらえる材料で何でも気に入るように作れる。
この国には、損なわれた物を微生物によって戻していく技術もある。
隠された歴史でさえ、失われてはいない。
辛抱強く対処をしていけば、いつか全体が整うかもしれません。
わずかでも光を広げられるのなら、ひともイヤシロチ。
居なくなった後も、この世界を整えていく力は残ります。
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