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龍宮

【記録◆2024年6月25日】①

 梅雨の晴れ間には、「他の時期だと、ひとの多い場所」へ行きます。
 そういった場所は、ひとの多い季節が最も美しいのでしょうけれど。

 美しい所へ続く道は一車線であることが多く、対向車とすれ違えません。
 待避所に差し掛かると同時に、曲がり角の向こうから対向車が現れたら、「わたしは運がいい……っ」と、いちいち快哉を叫ぶのです。

 かつては、「神さまに呼ばれないと行けない」と言われた多くの場所が、現在は新しい道によって、近くまでは行きやすい場所となっています。
「山の神さま、おなかのなかを通らせていただきます」と唱え続ければ。

 それでも、いま居る所の「涯て」からは、意志が必要。
「招ばれているのなら、なんとしても辿り着く」という。

◇龍王ヶ渕(りゅうおうがぶち)◇

『龍王ヶ渕』に行こう……
 そのように感じたことはありませんでした。この日の朝まで。

 白い龍のような姿で流れている水が好きだから、瀧や清流を好みます。
 水鏡のような池にさえ流れ込む所と流れ出る所がある、と知っていても。

 ここに惹かれたのは、隕石が落ちた跡だという話を思い出したため。

「大和富士」と呼ばれる『額井岳(標高812.3m)』東側の『戒場山』中腹に落下して、山頂から流れる水や湧水がその跡に溜まった、とのこと。

 暑くなると藻が増えて、透き通った水も鏡になりづらいし、梅雨の時期は磨き上げられた鏡面に雨がかかるだろうし、きょうは風もあります。
「水鏡の景色」を求めて訪うひとは多くないでしょう。

 わたしが視たいのは、目には見えない水底(みなそこ)の石。
 水に隠されてしまった欠片です。

 急に行き先を決めたから、「駐車場は右側」とだけ頭に入れて出発。
 ナビの案内が終わった所に止めて、水が見えるほうへ歩きました。

「舗装路を歩けなくなった脚」を動かすために来ているので、夏草の間を、また、湿地に渡された木道を二本杖で進むのは、目的にかなっています。

 しかし、ずっと先の水辺にも駐車場がある、と気づきました。
 さっき止めた所から先へ進み、右折すれば良かったのです。そこからなら車椅子で水辺へ行けるか、確かめるのは忘れました。

 歩いてくる間に見たものを、そこから見ることができるか分かりません。

 幅広い羽をはためかせて飛ぶトンボをたくさん見ました。チョウトンボというそうです。たしかに、飛び方も見た目も、蝶のようでした。

木道
龍王ヶ渕

 鳥居が見えたので近づくと、『堀越神社』と石碑に刻まれていました。
 帰宅後に調べると御祭神は、「豊玉姫(とよたまひめ)」。

「豊玉姫」は、記紀では海神の娘で、初代天皇の祖母。
 八尋鰐の姿で産んだ子を置いて海中へ去り、妹の「玉依姫」を遣わして、その子を養育してもらいました。「玉依姫」が初代天皇の母です。

 この神話には、出雲王家の歴史が織り込まれているようにも感じます。
「八尋鰐」とは、龍神信仰(もしくは海を行き来する舟)を差すのでは。

『高鴨神社』の御祭神「味鋤高彦」と「下照姫」の兄妹=大国主の子には「高照姫」という姉もいました。「高照姫」は、父王が命を奪われたため、やむなく子(五十猛=大年彦=香語山)を置いて去ります。

『高鴨神社 西宮』の御祭神「多岐都彦」には「大屋姫」という姉もいて、子の養育を「高照姫」から頼まれました。後には養育した子の妃となって、「大和の初代大王」の異母兄を産んでいます。

「大和の出雲」関連記事は以下。

雨の日の龍王ヶ渕

 樹下の散策道を歩いているとき、雨が水面を細かく震わせました。
 頭上では雨を葉が受けてくれるので、傘は要りません。

 きょうのような日ではなく、水面が磨かれた鏡面のようであるとき、目に映るのはどのような光景でしょう。

 藻に遮られず、水底(みなそこ)まで陽が届く季節には。
 真っ白な雲と青空を、天へ返す日には。

 そのような日には、ひとが写り込まない瞬間は稀かもしれません。

 きょうのような日は、龍宮へ帰っていった方たちの名を数えて、
「地上の社に名が無いのはなぜ」と考えるのがふさわしいかも。

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