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万葉の山々Ⅰ

【記録◆2023年3月3日】①
[①の文章が長くなったため、②のほうに写真を多く載せます。]

 大和盆地の中央あたりを「底」と、わたしは呼んでいます。
 実際に土地が低くなっているのは、大和川が奈良から大阪へ抜けるあたりなのでしょうけれど。

 大和盆地の底に佇むと、盆地を取り巻く山々が名告ります。
 しかし、伝えられても自分のうちに無いものは聴こえません。

 それで、羽ばたくときの翼の色や鳴き声や姿で鳥の名を受け取るみたいに山の名も聴き取りたい、と願うのです。

 指差しはしないで、天に向けた人差し指をほんの少し山の方向へ動かし、印をつけるように名を呼んでいきます。

 それは、時空との交感のようです。

 万葉歌の作者たちはとうに地上を去りましたが、奏でるように山々が歌を盆地の底に注いでくれます。
 古事記に織り込まれた歌も。

 古代との交感がなければ、視界に在るのは山や丘でしかありません。
「ほんとうの歴史」や「消された神々」を知らなければ。

龍王山の山頂へ続く道

 何十年も前、身近なひとたちの死が集中した10代の終わりには、万葉集の挽歌だけが心に寄り添ってくれました。

 仕事が休みの日、午後に近鉄電車で県境を越え、沿線から遠くない場所を彷徨うたび、自分の命が何かと結び直されるように感じるのでした。

 当時は、何度も結び直されたのは死であるとおもっていました。
 鮮やかな色をまとって視界に在るのはこの世の一部分だけで、おおかたは色が無いように見えたのです。 

 歌聖「柿本人麻呂」が愛しい人を亡くして詠んだ、「大鳥(おほとり)の 羽がひの山に我が恋ふる妹(いも)はいますと人の言へば 岩根さくみて なづみ来し」という挽歌が、小さな古墳のある丘の木立を渡ってくるように感じたこともありました。

 長歌のこのあたりでは、「嘆いても、どうしようもない。恋い求めても、逢いようがない。羽易の山に私の愛する妻がいると、人に教えられたので、岩を踏み分けながら登って来たけれど、山のなかを捜しても、姿は仄かにも見えない」というような想いが詠われています。

 持っていた文庫本の欄外には、『羽がひの山』の註として「現在の龍王山とされる」と、ごく小さい文字で書かれていました。

「大鳥の」は枕詞とされていましたが、わたしにはその言葉にも意味があると感じられました。
 歌には、「愛しい人は、かぎろひの燃ゆる荒野(あらの)から、真っ白な領巾を翼のように広げ、鳥でもないのに飛び立って消えてしまった」という部分もあったので(個人的な受け取り方ですから正確ではありません)。 

 平成17年と刻まれた「大鳥の羽易の山の解説碑」が飛鳥にあると、先日に知りました。そこからは、山々が天翔ける大鳥のように見えるそうです。

 三輪山が頭部、龍王山と巻向山が両翼とのことですが、「羽交の山」なら大きく翼を広げた姿ではないと、わたしは感じました。

 三輪山は禁足地ですし(登拝は申込要)、何代も前の祖霊が山から平地を見守ってくれているとしても、亡くなったばかりの愛しい人と逢える場所であるとはおもえません。

 それで、閉じた翼の先のような場所を想ったのです。

 たとえば、「巻向山の向こうの初瀬山」の裾野は閉じた翼に見えるのではないかと。

 人麻呂の別の挽歌では、初瀬が葬送の地であるようです。
 そこは、三方を山に囲まれた峡谷の行き止まりで、「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」と詠われています。

「隠国(こもりく)」のような地形に死者の霊がとどまる、といった話を、どこかで読みました。

 それと、この歌には「走出(はしりで)」という言葉も出てきますが、「走出」とは山の端が突き出た場所だというのを、どこかで読みました。

 人麻呂がどの山へ逢いに行ったのか判りません。
 でも、もしかするとその場所に立てば山が名告ってくれるかもしれない。
 そう考えて、龍王山へ車を走らせたのでした。

「龍王山展望台へは、北側から入る道がわかりやすい」とのことでしたが、わたしは南から入りました。
 そちらからだと、多くの山と響き合えるので。

 盆地の中央から少し南に進むと、建物の間に耳成山と鳥見山が見えます。

 畝傍山をよく見たいとおもった瞬間、東へ向かわなくてはなりません。
 すると、前方に三輪山が見えます。

 晴れているので、三輪山より南の山々がよく見えます。
 たたなづく青垣の襞の間からは、角度と距離が変わったため、見慣れない山が現れます。

 高い山ではないのに三輪山が近づいてくると威容に心打たれ、この風景に身を入り込ませていけるのがうれしい、と喜びを覚えるのです。

「箸墓古墳」をかすめたと錯覚するほど、県道はその近くを通っています。
 ヒミコの墓所という説もあるのですが、誰が眠っているにしろ、温かさが伝わってくるよう。

 三輪山と穴師山の間に入って行くと、山という形は周囲から消えます。
 垂れた杉の葉が細い道に覆い被さっていて、筒のなかを通るよう。

 巻向川に沿って上っていくと、道に渡された注連縄を車がくぐりました。不意に、走っているだけで神域に入り込んだのでした。

 そこに行かなければ知らなかった「笠山荒神」という標を見た瞬間、その文字に隠された神の名を想いました。

 神域を抜けて走り続けると、「通行止め」の看板に阻まれました。工事中だったため、結局、大きく迂回して北から入ることとなったのでした。
(わかりやすい道のほうからになったのは良かったとおもいます。)

 龍王山は標高586メートルだから、出会う方たちは皆、自分の足で登っていました。

 行ける所まで車で進むと、2台くらい駐車できそうな所があり、そこから徒歩です。車椅子ユーザーのわたしは、二本杖で腕も脚に変えて進みます。

最初に視界が開ける所

 展望台まで歩けなくても、途中で、この風景が見られます。

 遠くの山は、左から金剛山、葛城山、二上山。
 盆地に浮かぶのは、奥が畝傍山(左の端)、手前が耳成山。

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