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天を映す水

【記録◆2024年7月5日】①

「晴耕雨読」という言葉があるけれど、大和盆地に住みはじめた頃には、
「70頭の乳牛とともに在る毎日は農繁期」で、休みの日はなく、
「田植えと稲刈りの時期は、超農繁期」で、休み時間はありませんでした。

 過去に書いたとおり、自由時間は日に15分。その15分間で荷を仕分け、「命を未来に運ぶ力」を取り返していったのです。
 自分の分が無いのは、残らず奪われているということなので。

 当時、似た立場の女性が、「次の世代には少しでも軽くして渡したい」と願っていた荷は、ひとつも残す価値がないと、わたしにはおもえました。
 だから、無くしたのです。交渉して、闘って、様々な工夫をして。

 車椅子ユーザーとなった現在でさえ、「持ちたくない荷物を、なぜ他者に持たせようとするのか」と考えています。「代わりを見つけて担わせよう」とするのではなく、無くしてしまえばいいのに、と。

 自力で運べる程度であれば、「COGY(足こぎ車いす)」で出かけても、見知らぬ方が気軽に分け持ってくださるから、荷はいっそう軽くなります。特に困っていなかったとしても。

「各々が自分の荷を自分で持てば、社会は複雑にならない」と考えるから、先へ運ぶ必要がなくなった荷を、わたしは手放すのです。
 そうすれば、生じた余力で、見知らぬ方たちの荷さえも分け持てます。

 上の記事(6月25日)に書いたとおり、自身の身が運べなくなってきて、このところ「限界という境界線」に居たのですが、ふとおもいついた方法が境界の向こう側へ歩を進めさせてくれました。

 形成不全の骨を補っていた筋肉が医療過誤で裂かれたため、この身体は、「代役の代役」まで登場しています。
(先天性の障害があると知らなかった数十年間は、「呼吸筋の代役」までが動かなくなるたび、仮死状態になっていました。そうして身体が緩まないと呼吸が再開しなかったので。)

 今回は、肋骨の筋肉をひとつに束ねたら、バラバラでは出なくなっていた筋力が、遠く離れた両脚を動かせるほどに増えたよう。

「美しい光景を、耐え難い痛みと引き換えにできるのは、いつまでか」と、しばらくは考えずにいられそう。

 驚いたことに、「ゴムチューブ(計8m)」を両脚に巻きつけなくても、肋骨の筋肉を束ねただけで(つまり、装具ひとつで)、少し歩けるのです。
 装具をぜんぶ着けても使えなくなっていた右脚が「本役」に戻って。
(頭の天辺から1個ずつ装具を外していくごとに、地球の引力を感じます。体重が変わらなくても、脚にかかる重さは減らせるのです。)


◇◇龍王ヶ渕(訪うのは2回目)◇◇

 最高気温が30度を超える季節の「晴耕」は危険ですから、朝夕に働いて、梅雨の晴れ間の真昼には、盆地を取り巻く山間へ。

 標高400mを超える山々の間で、流れゆく『宇陀川』を眺めるうち、
「晴れた日の龍王ヶ渕は、どんなふうにみえるのだろう」とおもいました。

 決めていた行き先は北だったのですが、少し西へ戻って『龍王ヶ渕』へ。

水に映る空

 10日前より風はさらに強いため、水鏡となるのは風の入らない所のみ。
 藻の色は濃くなり、浮草も育って水面を覆っています。

 小雨と微風が鏡面に入り込んでいた日の記事は以下。

10日前と同じ場所

 前回、「龍のような姿で流れている水が好きだから瀧や清流を好みます」と書いたためか、本日の水面は、緑龍のウロコのよう。

 そして、光龍が現れるのではないか、とおもうほど、波頭で無数の光球が明滅しています。
 写真には、わずかな数しか捉えられませんが。

明滅する光球
光球と魚
水に映る雲

 やはり、水辺に近い所だけは、風が入らないため水鏡となります。

散策道の横

 今回は、奥の駐車場から歩いたので、前回より先へ行けました。
 そして、水が流れ込んでいる所をみつけたのです。

この先から流れてくる

 床に手が届かない身ですが、小さな木橋の傍らで膝をつき、流れに指先を浸しました。真夏の真昼にも、山頂から流れる水は冷たいと知るために。
(膝をつくと立ち上がれないので、これまでは水に触れなかったのです。)

龍王ヶ渕に流れ込む水

 前回、東側の葦原を通ったときも、このような流れが傍らにありました。
 そちらは、『龍王ヶ渕』から流れて出ていく水でした。

視界の果ては微風

 帰ろうとすると、遠くで風が止むように感じられて、立ち去れません。

風は止んでいない
駐車場にある案内板

 前回は、地図の右から湿原を通って歩きました。
 今回は、「現在地」に車を止めたので、左上あたりまで行けたのです。

 車椅子でも、駐車場から水面は見えます。水辺の四阿(あずまや)には、二本杖で行けます。桟橋まで歩けるのなら、そちらは階段がありません。
『堀越神社』から先の道は、水没するときもあるのか、水が残っています。

 神社の御神体は桶に入れた石だと、案内板で知りました。
「渕を造った隕石」を想起させるため?

 隕鉄であれば、剣になりますから、ここに残されていないでしょう。

『星田妙見宮の登龍の瀧』には、「ひと粒でも土を、草鞋に着けて帰ってはいけない、という禁止事項があった」と、どこかで読みました。
 まったく隕鉄が残っていないという現在でも、瀧は禁足地です。

 隕石から鍛造された刀剣は、研磨をすると「龍が天を翔けるような紋様(龍紋)」が浮かび上がってくるそうです。
 まるで、彗星が出自であると語っているかのよう。

 天から降った石は、空を映す渕の底で、天に還った夢をみるでしょうか。

立ち去る寸前に

 海に映る空は、以下の記事。

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