国難を退ける女神
【記録◆2024年1月23日】②
先週、「西の海は、おもっているより近いのでは」と考えたとき、
「そこにも丹生都比売の神社があれば、行ってみよう」とおもったのです。
調べてみると、『玉津島(たまつしま)神社』の御祭神が「稚日女尊」。 それは、「丹生都比売(にうつひめ)」の別名でした。
『玉津島神社』の美しい本殿を写真ではなく実際に見たいとおもったのに、現在は「覆殿」で保護されているため屋根しか見えない、とのこと。
目にすれば自分のうちの何かが目覚めるような気がしたのだけれど。
鳥居の様式は、『丹生都比売神社』と同じです。
故事は省きますが、「卯」と縁がある神社で、扉の向こうには可愛らしい「狛うさぎ」が座っていました。
『玉津島神社』に来た目的のひとつは、「低い山を歩くこと」でした。
背後の『奠供(てんぐ)山』は標高35mですが、二本の杖を両側に突いて坂の先を見上げたら、引き返したくなりました。そういう時は踏み出す足を置く所だけ見つめて、行き先を見ないようにします。
ここにはかつて、日本初の「屋外エレベーター」があったそうです。
そのエレベーターで、夏目漱石は1911年に奠供山に登った、とのこと。
車椅子ユーザーのわたしは、両腕の力だけで少しずつ進みます。
そうして、古(いにしえ)の歌人たちと同じ所に立ち、時という隔たりが無ければ同じ風景を見られたのに、とおもうのでした。
[若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴 鳴き渡る]と、万葉歌人の山部赤人は詠っています(若の浦は、現在の和歌の浦)。
「街」が入らないようにして写真を撮りました。
同じ場所からカメラを向ける方角を変えるだけで、空の色が変わります。
立っている所では、少し雪が舞っています。
すぐ近くを、大きな龍のような雲が進んでいきます。
丹生都比売は、「元寇」という未曽有の危機に際し、神々の先駆けとして出陣され、十四万もの大群を暴風雨によって退けた、とのこと。
その神威が、目の前の光景にも顕れているようです。
神社の背後の山道から、「本殿」の屋根だけが見えました。
「拝見したい」と願った彩りは、すべて「覆殿」に隠されています。
和歌の浦を後にすると、大和盆地の方角から雪が吹きつけてきたけれど、先週のように遠くまで「たたなづく青垣」を見渡せました。
県境を越えると陽が輝き、葛城山の稜線にかかった黄金色の落日は、光をいつまでも弱めませんでした。
先々月には金剛山と葛城山の間に落ちていた夕陽が、再来月には二上山の雄岳と雌岳の間に落ちるのでしょうか。
「西」では、いま、どのあたりの海面を輝かせているでしょう。
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