見出し画像

源流の地

【記録◆2024年5月1日】①

「この瀧をどうしたら眺めていられるのだろう」と何年も考えていました。
 何回も見ているのです。車を止められなくて、いつも一瞬だったけれど。

西河の瀧

『西河(にじっこう)の瀧』は、『吉野川』にかかる「渓流瀑」です。

(地図には、「大滝割滝(おおたきわりだき)」という名で表示されます。また、すぐ近くの『せいれいの瀧』も別名は「虹光(にじっこう)の瀧」。読み方の「音」のほうに意味があるのでしょうか?)

 滝へ行く予定はなかったのに、偶然が重なって、ここまで来たのでした。 行ったことのない店で「柿の葉寿司と草餅」を買おうとしたのに通り過ぎてしまって、引き返そうとしたとき、「このまま進みたい」と感じたのです。

 その感覚に逆らって引き返したら、「12時まで留守にします」と張り紙があって、「連休でも雨だから、開店を遅らせたのか」とおもいました。

「進みたい」と感じた方向にも、柿の葉寿司の店があります。
 その店の駐車場に車を止めたら瀧が見えるかも、と考えつきました。

 しかし、そこも雨の影響なのか閉まっていて、さらに先の『大滝茶屋』に辿り着くと、連休だからか水曜定休なのに開いていたのです。
 婦人会の方々が村の特産品を創ろうと、「郷土料理だった柿の葉寿司」を最初に市販したのがここ。前例のない事を推し進めた「女性の力」が奈良の特産品を生み出したのでした。

 駐車場からは瀧が見えないけれど、川沿いの遊歩道が見つかり、わたしは大喜び。車で少し戻れば、階段を下りて遊歩道に入れます。地図に「P」の表示はない駐車場があり、私有地ではないか確かめてから車を止めました。

右奥が大滝ダム

 雨が続いた後なのに左を流れる水が無く、瀧は二条になっていません。
 上流のダムで水量が調節されているのかも。

 本居宣長の『菅笠日記』には、「つとめて間近に覗いて見ると、その辺りすべて何とも言えない大きな岩石の数多く重なり立つ間を、あれほど大量の川水が走り落ちる様子は」と記されているのですが。

 左側は、物流水路にするためノミと槌で岩を削って大改修されています。
 丸太を1本ずつ流すより筏に組んで流せるよう、川幅を広げたのでした。水量の多かった当時、ここを筏で下るのは勇壮な光景だったでしょう。

筏が通った左側

 木材を運ぶのは命懸けだったと記録にもあるため、吉野川をただ美しいと眺めていられない気持ちはあります。
 この世界に「生死(いきしに)」と無縁の場所はないとはいえ。

濁らない水

 雨が続いた後なのに、水は泥の色になっていません。
 降り続ける雨が、水面(みなも)を震わせています。

 帰宅後に本で知ったのですが、川が大きく折れている所を『夢の廻り淵』と言い、古くから水神を祀っていたそうです。

夢の廻り淵

 吉野川の色を変えられるのは、よほどの大雨なのかもしれません。
 昨夏の台風後は痛々しいほどの様相で、写真を撮れませんでした。以下は水の色が戻りはじめた頃の記事です。

 先々週、近くまで来たときには、新緑の濃淡がこのうえなく美しく見え、「杉ばかりだとおもっていたのに、これまでより雑木林(ざつぼくりん)の面積が増えたように感じる」と驚きました。

 杉を伐採した後に広葉樹を植えたのでしょうか。
 それとも、もともと神域として残されていた自然林だったのでしょうか。

「樹を植え続けた大和民族」は、縄文時代から伐採と植林を対にしていたと遺跡で判っています。
 それで、大戦後の乱伐も国土を荒廃させなかったのでした。

 しかし、現代の森で針葉樹ばかりを目にすると、広葉樹林の伐採跡地等に針葉樹を植栽する「拡大造林」政策では、海までも守れなかったのでは、と感じていたのです。

 針葉樹は生長が速いけれど、海を豊かにするのは落葉広葉樹ですから。

 ひとが必要以上の物を求めなくなったら、針葉樹と広葉樹は自然な割合を取り戻していくかもしれません。

あきつの小野公園

 予定の行き先へ戻っていく途中、『あきつの小野公園』に寄りました。
 公園の奥にある『せいれいの瀧』までは、本日の体力では行けないから、過去の記事に載せた写真を眺めておきます。

 少し走ってから、「行ったことのない方へ行ってみよう」とおもいつき、またもや「来た道」を引き返しました。

 連休なのに人影がないので、山の奥へ続いている道に入ったのです。
 歩いている人がいなかったら、迷惑にはならないでしょう。

 意外にも、車道がどこまでも続いています。帰宅後に地図で確かめたら、環になった道が、『大滝茶屋』や『西河の瀧』辺りと繋がっていました。

『龍泉寺』という標に従ったら、さっき居た所へ戻るところだったけれど、このときは山の懐へ入っていくほうを選んで、反対側へ進んだのでした。
 龍という名の多い土地だとおもいつつ(ダム湖も『おおたき龍神湖』)。

「ナビで道がなくなる場所」から、先へ続く細い道を見届けて引き返すと、『青根ヶ峰』の登山道入口がありました。

 その峰は古来、「水分(みくまり)山」と呼ばれた神奈備で標高858m。
 東へ流れる水は『音無川』となり、『せいれいの瀧』を経由します。
 北へ流れる水は『象(きさ)の小川』となり、櫻木神社を通ります。

 先々週に行った『高瀧』も、『青根ヶ峰』が源流なのでした。

この向こうが源流

 麓へ向かう水も、空へ還っていく水も、龍のよう。

 水分山(みくまりやま)から流れる水は『吉野川』に注ぎ、県境を越えて『紀の川』と名を変え、西の海へ向かいます。
 海神も龍神です。

 連休なのに人影がないので、晴れていたら混んでいたであろう場所にも、おもいつくまま車の向きを変えて行ってみました。

 そこは、『夢のわだ』。
『象(きさ)の小川』が瀧となって『吉野川』に流入するところです。

小川が滝となって
夢のわだ

 昨年末、『磐余(いわれ)の池』で、「死に臨んだ若い皇子が流した涙の向こうにあった山々」を見渡しました。
『夢のわだ』は、皇子が子どもの頃に見渡した風景かもしれません。

白い鳥

わが行きは久(ひさ)にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にあらぬかも
[遠い任地に居る期間は長くないだろう。私が帰るまで、浅瀬にならないで深いままあってほしい]と大伴旅人に詠われ、1300年後も淵のままです。

夢のわだ(真上から)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?