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光が射す道

【記録◆2023年12月28日】

『天香久山』山頂から先週、大和盆地の西の果てまで見渡しました。
 生駒山、矢田丘陵、二上山、耳成山、岩橋山、畝傍山、葛城山を。

「そのときは西の登山口から上ったけれど、東の麓へ行けば、そちら側の山々が見えるかもしれない」と考え、今回は東の方から南へ向かいました。

 東の麓には『万葉の森』という森林公園があり、万葉集に詠まれた73種の植物が植えられているそうです。

 先週より気温は高く、風もありません。
 西側の登山道とは違って空が見えるため、視界は陽光に満ちています。

『万葉の森』の空
坂の先に万葉歌碑

 いにしへにありけむ人もわが如(ごと)か三輪の檜原(ひばら)に插頭(かざし)折りけむ
[古(いにしえ)の人も 自分のように 神聖な三輪の檜原で 檜の枝葉を手折って髪に挿したのだろうか]
(「插頭」には植物の生命力を身に付着させる呪術的な意味合いがある。)

 この歌を詠んだ柿本人麻呂に、
「あなたも『いにしえびと』です、いまは」と語りかけました。

白い花

 花のない季節だとおもっていたのに、咲いていました。

スダジイ(ブナ科シイ属)
温かい斜面
樹の影
道に影を落とす樹
振り返って

 陰を通って光の道に出てきたのでした。

『万葉の森』の同じ場所で撮った映像なのに、どちらの動画にも、舞う葉や落ちる枝といった動く物がありません。きょうは風がないため。
 空から降ってくる微細な光の粒子は視える気がします。

光の道

 鳥の声に囲まれて進む道は、美しい色です。

ツブラジイ(右)とクロガネモチ

 山に入り、クヌギの大きな葉で埋め尽くされた道を辿ります。公園内より楽に二本杖で進めるのは、「医学的には歩けない両脚」の可動域や歩幅に、道のほうが合わせてくれるため。

大和盆地の南東

 見たかった光景が、樹々の間に現れました。
 山々の名を、わたしは呼べません。名を知っているだけでは。

どの道でも選べる

 どこからでも、どこかへ行けるのです。好きな道を選んで。

ここからも見える

 さらに進んでいくと、違う山々が見えました。
 山の名を呼べたらいいのに。

視界の右の端
視界の中央
視界の左の端

 遠くが見えるのは、落葉の季節だけかも。

水辺へ続く道

 水辺へ下りてしまうと、わたしの脚では戻れなくなるから引き返します。

光を受ける幹
午後の光のなかへ
樹の向こうの太陽

『天香久山』に鎮座する『月の誕生石』という巨石まで歩けなかったから、車で少し走り、「神の依り代の大石」があるという『御厨子神社』へ。

御厨子神社の石鳥居

 右にある本殿が見えなくて、左の『妙法寺』へ行ってしまいました。

妙法寺から

 新年の準備をなさっている土地の方に、「こんにちは」と挨拶をしたら、
「あれが多武峰。この前が磐余の池」と教えてくださったので、「わたしは歴史のなかに居るのですね」と答えました。

 百伝(ももづた)ふ  磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
[百に伝う磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去るのだろうか]

 死に臨んだ若い皇子が歌に詠んだ池は残っていません。けれども、皇子が流した涙の向こうにあった山々は同じ姿のままです。

『御厨子(みずし)神社』のほうへ戻り、参拝をしてから周囲を見回すと、巨石が目に入りました。神の依り代『月輪石』です。

月輪石(つきのわいし)

 正面とは異なる角度から撮ると、どの写真も生き物のようで、
「生きている岩」と、わたしは呟いたのでした。

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