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【コロナ感染リアルリポート8】息ができない!いつ人工呼吸器に呼ばれるか分かりませんがそれまでは書きます@入院6日目、転院1日目

泣いた。いっぱい泣いた。意味もなく泣いた。自分の無力さ。お医者さん、看護師さん、スタッフさん、救急隊員さん、もちろん、LINE越しの励ましてくれる家族や仲間、太陽、陽射し、風。いろいろと思い出して、また、今も泣いた。泣いて、かけない。

あいさつも御礼もロクに言えない。ごめんなさい。本当に本当に本当に感謝しています。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。死んでも生きても、感謝です。皆さまのやさしさに、支えられました。ほんとにちょっとしたことひとつひとつ、感謝しかありません。

いきなりしんみり。そんなこんなで電池も切れた。4月26日(月)の感染後のふた山目のピークについてのお話だ。終わりの見えない隔離生活は3つ目の場所に移動することになった。

朝は普通だったのに

酸素注入量も4Lと少し多めとは言え、問題なく入っていた。息切れ感、ハアハア感は改善は見られず。朝ごはんを食べて、「あれ、ちょっとしんどくなったかな?」と思ったのも束の間、トイレに行く気力が起きない。

点滴も入れて、ステロイドも入って、酸素も増えて6L熱が上がった(38.8度)ので最後のカロナールも飲んだ。この時だけでもまだ様子見だったのかも知れないが、改善しなかったのだろう。それから先生が診察にきてくれて、転院になるとの話。

ちょうどお昼時だったのでお昼ごはんも持ってきてもらっていたのだが、先生と相談で食べない判断。しょうがない。それよりも転院の方が心配だ。聞かされていたのは、「転院=人工呼吸器」だ。意識がなくなるやつだ。1週間くらいとか世の中からいなくなるやつ。

気持ちの整理もつかないまま荷物の整理と転院

もう決まりとのこと、15時に出発予定。看護師さんに、散らかした荷物を全部片付けて、パッキングしてもらった。重いのに。無駄なものいっぱいあるのに。パッキング要領あるのに。Yさん。ありがとうございます。どこかでお返ししたいです。

私自身はほぼ何もせず、全て看護師さん達がやってくれた。ただのだらしない肉の塊。自然と涙が出る。感謝なのだけれど、不甲斐なさ、無力さ、免疫力のなさ、弱さ、そんなのが一挙に襲って来る。

いよいよ出発。たった6日いただけの病室なのに、なぜか離れたくない。先生に車椅子に乗せられて(事故以来かな)、病室を出る。廊下を走り、隔離状況等のチェックが行われて、ナースセンターの送り出しを、受けた。これが、ダメだった。本当に、自分は弱い人間だ。また涙が溢れる。気持ちは、感謝を伝えたいのに、ただ変な泣き虫顔で首を縦に少し降るだけ。ただの嫌なやつだ。もしくはヘンなやつだ。すごく元気いっぱいに送り出してくれているのに。私にとっては狭くて小さい車椅子が、なおさら自分の貧弱さを象徴しているように思えた。

エレベーターを降りて外に出た。救急車に男手5人ほどで移動してもらい、救急車に乗せ替えられる。一瞬。太陽を見た。太陽を見たの、いつぶりだろう。眩しく、輝かしく、暖かかった。なぜか、太陽を見ても泣いた。同じく気持ちよく吹く春のそよ風にも、やさしさを感じた。

まさかこの1週間で2回も救急車に乗るとは。しかも今度は完全私専用。前回より感染対策が徹底されており、病院から病院への移送だからか気持ちピリピリしているようにも。私の状態のせいか。救急車を楽しむ余裕はない。ただただ、泣いていた。自分の不甲斐なさ。自分の無力さ。人のやさしさ。人の支え。こみ上げてくるものだらけ。

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