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安倍元首相の銃殺について1 -テロからはじまる、テロから変わる

政治家として、とても大きな人であった。ご冥福をお祈り申し上げます。

書くことがリスク、ともいえる。しかし、書かずにはいられない。

この日本で、それも大和西大寺という長閑な田舎町で起きた衝撃的な事件。私はTwitterで知った。犯人のエゴサもした。ニュースをたくさん見た。SNSのコメントもたくさん読んだ。腹落ちしない。人間は死を強制されるということに、本能的な拒否感があるのだろう。

政治的信条でいうと、私は安倍元首相が好きではない。だからといって、死んで欲しいと思ったことはない。道半ばで銃弾に倒れた安倍元首相の心に、想いを馳せることは許されることだろうか。

人の心が100%分かったりしないし、100%通い合うなんてあり得ない。批判はしても、その「人」であることを否定することは、あってはならない。人間社会というものは、その前提で成り立っているはずだ。誰もが命の危険に晒される社会は、あってはならない。

「人」を否定することを、犯人はやってしまった。暴力としては最悪、最悪だ。言葉の暴力も、見えない暴力も良くない。しかし、何よりも人が人を裁くことは、許されない。人格否定を通り越して、「人」であることを強制的に辞めさせるという暴挙。

今回の最大の問題点は、これだ。日本社会に、銃殺が近づいた。テロが側にある。銃殺を容認する方向、またそれを規制しようとする方向、その規制を批判する方向。模倣犯。厳罰化。SNSで恐怖が加速する。社会の分断、社会の断絶が進む。

安心安全の日本社会は、過去のものになるのか。心配だ。元自衛官であることが問題なのか。自衛隊が問題なのか。いや、やはり軍隊である必要があるのか。自衛隊の歪な構図は、戦後日本の忘れ形見。平和憲法の歪みであり、戦後先延ばしの残滓なのだ。憲法改正、そして自主独立を標榜する自民党の事実上のボスを、自衛隊という忘れ形見が銃殺するという、悲しい事実。

選挙は自民が圧勝するだろう。それはそれで面白くない。面白くないけれど、本能的恐怖に勝てるほど、人間は強くない。大きく右に振れるだろう。さてそれから、どう変わっていくのか。孔明の死が仲達を走らせたように、大きな追い風となろうか。揺り戻しは、いつになるのか。

私は、9.11のテロを思い出した。当時の日本で、テロに屈しないとか言ってたことがちゃんちゃら可笑しいと話していたことを、思い出した。もはや笑えない。テロは、その実行犯の意図を超えて、大きな変化をもたらす。9.11テロで、アメリカと世界は変わった。7.8テロで、日本も変わるのだろう。しょうがない、テロだもの。怖いもの。

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