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婚活を始められないわたしの話 9

 しばらく見ない間にいいねが増えていた。
 誠にありがとうございます。

 色々書きたかったことはあるのだけれど、書く気力がないままになっていた。梅雨のせいか、一切の元気が低下している。勝手に仲良くしてもらっていると思っていた先輩も鬱気味で話しかけづらいし、やたら構ってきて鬱陶しかった職場の人も最近姿を見ないので大丈夫か気になっている。

 そういう日々の中、ふっと、自分には何もないという事実を再認識する。働きたくない。会社に来たら早く帰りたい。でも、うちへ帰ってきたら何もすることがない。食べることだって楽しくない。遊ぶことだって暇つぶしだ。若かった頃のわたしの心を捉えた色々なものも、今ではSDカードに詰め込まれた修学旅行の写真みたいに、「ああ、楽しかったな」以上の感情を呼び起こさない。
 身体はいたっていつも通りだ。鬱じゃない。でも、何のために生きているのかわからない。
 まだぎりぎり二十代なのに、わたしはもう、透明な死を茫洋と待っている。

 ああ、わたしこのまま死ぬしかないのかな。
 そんなもやっとした思いの底から、最初に浮かぶのが「婚活」だ。

 わたしの中で、「婚活」は、今の人生から対極に漕ぎ出す唯一の戦略のように位置付けられている。だってそうだ。結婚を始めるということは、完結して死に直行していく自分の人生を中止して、誰かを参入させるプロジェクトだ。葬式を愛のドラマにすり替えるんだから、根本的な企画変更だ。

 だけどそうしなければ、下手したらあと五十年くらい、この代り映えのない人生を続けることになる。さすがに葬式に五十年もかけるのは長すぎる。

 早い話が、退屈しているのだ。

 でも、この葬式に他人の参入を得たところで、わたしは幸せなんだろうか。
 わたしはそれを望んでいるんだろうか。

 そもそも死んだように生きていたかったから、こうなったんじゃないんだろうか。というより、死んだように生きるのでなければ、わたしは潰れてしまうんじゃないだろうか。
 会社を出てから眠るまで、死んだように過ごしている時間を含めて、ようやく、私は一人前に社会人として生活する側面を確保できているんじゃないだろうか。

 だって、深く息が吸えるのは、ひとりでいるときだけだ。
 ひとりでいる時間で好き勝手息を吸い込んで、わたしは、息一つつけない苦しい社会へ毎朝飛び込んで行く。

 こう書いてみると矛盾だ。まともに生きるために、死ぬこと以外に目的がない人生を続けている。生きるためだけに生きる。差し引きゼロの人生だ。だったら、結婚して潰れても大して変わらないのではないだろうか。他者で埋め尽くされた人生に耐えられなくなって万一そこで人生を終了したら、それはそれで差し引きゼロだ。

 結局、私が何色を選びたいか、というだけの話かもしれない。

 疲れていると比喩が増える。早くお風呂に入って寝よう…

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