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婚活すら始められなかったアラサー女に恋人ができた話

 おととしから去年にかけて、ずっと「婚活を始められないわたしの話」を書き綴っていたが、半年を経て事情が一変してしまった。
 恋人ができてしまったのだ。

 でもこれは「努力・失敗・再試行・達成」のような経験談では全くない。恋人も「できた」と書くとまるで成果物のようだが、どちらかといえば「他者が自分の恋人になってしまった」に近い。
 だからいちいち書くのもどうかと思ったのだが、過去の記録をこのままオチの無いまま放っておくのも嫌だし、もう一度書こうと思う。

 最後の記事を書いてから半年くらいの間、わたしは特に変わりもなく暮らしていた。というより、考え、足搔き続ける体力さえ失っていたというほうが正しい。喪女としての鬱屈と歪んだ自負を煮詰めたような投稿を某匿名ダイアリーに投稿し、大炎上して怯えたこともある。
 そのうち、仕事に追われたり、友人と独身トークで盛り上がったり、趣味に没頭したりと人生を埋めているうちにそれなりに時間は経っていた。単身向けの新築マンションを探したりもして、ローンを組んで、ローンを払い終わっても生きていたら、そこで一人で死んでしまえばいいと思っていた。

 そしてある冬の夜、それまでの仕事の疲れから飲み会で飲み過ぎた。
 人生で初めてド派手に終電を逃した。

 わたしが明らかに飲み過ぎているのを見ていた元同僚が、様子を見かねてついてきた。適当に乗った電車の終着駅には終夜営業の飲食店もなく、タクシー待ちは長蛇の列で、困った元同僚は、酔っぱらった女を無駄に林立しているラブホテルに連れ込んだ。
 そこからのいろいろは(あまりにいろいろあったが)省略するけれど、いつの間にかわたしは、新しい彼女候補を探していた元同僚の手で「恋愛」の舞台に乗せられており、突如始まった物語の中で右往左往しながらも、それから数か月後には彼と付き合うという選択をしていた。
 
 そして今までの堂々巡りの苦悩は、彼の単純な実在によって前提条件ごと書き換えられてしまった。
 婚活を始められなかった。結婚に向けて他者を求める、ということがどうしてもできなかったから。そのために、なぜ結婚したいのか、なぜ他者を求めるのか、延々と考え続けていた。
 ただ、思いがけず一人の他者に心を奪われ、人生のことはどうでもいいからあと一分でも隣にいたい、と思ってしまうような事態に立ち至ってようやく、自分には自然な恋愛がまったくできないわけではないと知ったのだ。とんでもない偶然と混乱と大立ち回りを乗り越えてみれば、恋愛関係はそこに成立していた。
 彼は持続的な関係を望んでいる。わたしは結婚したいのかわからない。ただこの関係を終わらせたくないと、いまは自然と思っている。多くの恋愛関係はいずれは儚く終わるものと知りながら。

 これまでの人生で出口の無い問いに閉じ込められたとき、脱出のための解はいつも外部から脈絡もなく差し出されてきた。わたしは自分の力で問題を解決したことがない。
 今回も結局、そうなってしまった。それとも、長年ひとりで苦しみ続けたことが解を引き寄せたのだろうか。
 
 この事件をこれまでの文脈でどうにか説明するなら、「隙がない」喪女が男の前で隙を見せてしまった、いうことかもしれない。
 ただの知人を、自分を「恋愛関係」の舞台に乗せてくれる存在として期待してしまうという背信行為、への恐れ。それが相手の「酔った女をホテルに連れ込みちょっかいをかける」という他者の背信行為で贖われた時、鍵が一つ開いたような気がする。
 そうしてわたしは、他者を「恋愛関係」の道具として利用するという背信行為を臆面もなく行えるようになった。わたしの持っているわずかな魅力を、おぞましい駆け引きの道具に差し出せるようになった。マッチングアプリをできるようになったし、アプリで出会った他者と向き合うこともできるようになったし、その上で結局は、元同僚の手のひらのうちへ転げ込んでしまった。

 それでもこの物語の始まりのためには、普段の思考やプライド、恐怖心さえ奪ってしまうような飲酒量、と、その飲酒量に至るまでの心身の疲労が必要だった。そう考えると、ようやくアラサーになってわたしの前で恋愛の扉が開いたのも、ひとつの必然だったような気がする。
 
 だってこんなに疲れるためには、ある程度の社会経験が必要だ。

 *

 恋人のいる女になってしばらく経って、ようやくわたしの自己認識は元に戻ってきた。わたしは相変わらず喪女だ。顎下の脂肪溶解もしたし歯列矯正も終わったし、服だって安くても新しい服を常に着るように、とある程度の気遣いはしているけど、冴えない容姿に変わりはない。気も使えず、自他境界は曖昧で、うっかりするとASD的な早口が顔を出す。
 それでも。それだから。
 わたしは今後も、自分を悶々と見つめ続けなければならない。

 わたしのどの要素を、魅力として差し出しうるのか。どの要素を欠点とみなしうるのか、それは改善しうるのか。改善しえない欠点は、何に起因し、どういうメカニズムで起きているのか。逆にたとえ欠点であっても変えたくないものは何か、差し出せないものは何か。
 
 恋人になったそのひとにも、わたしにとっても、できるだけ長い間、満ち足りた関係でありたいと思うから。



 いずれ一人に戻ったら、わたしはまた言葉の中に沈潜しようと思う。おそらく言葉が、何もない人生が、完全な空虚と透明さを取り戻すことはない。でもそこについてしまった思い出の色を、未来のわたしはきっと、愚かしくも懐かしいものと思うだろう。

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