私のこと、これからのこと

これを読んでくださっている方々へ。
しんどくなったら、読むのを止めることを推奨します。

私はこれからおそらく数年をかけて、自分の心の病を克服することになります。その病とは、「複雑性PTSD」というもので、主にトラウマを治療する必要があります。

さらに合併して「うつ病」を患っており、それらの根底にある「不安型・回避型愛着障害」と「境界性パーソナリティ障害」を治療・克服していく必要があります。

この診断を受けたのが約1ヶ月前。「PTSD」という言葉が重すぎて、当初は事実を受けれいることができず、非常に混乱しましたが、これまでのことを振り返るとむしろ納得がいきます。

10代後半から断片的に心身の体調を崩しやすく、ずっと困っていました。
学生相談所へ行ったり、心療内科や精神科を受診して、抗不安薬や睡眠薬を頓服で飲んできました。
そういったことを隠して、あるいは良くなったころ、人と会ったりコミュニティに出入りしたりとしていたわけですが、交友関係が安定しなかったりトラブルが多かったりして、各所で「面倒くさい人」という認識を持たれていたことでしょう。というか、言われてた、「めんどくさい人」って。

以前、深層心理に深く潜っていく精神療法を受け、認知行動療法、対人関係療法など受け、心理教育としてエリックバーンの心理学(交流分析・「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えることができる」)アドラー心理学(個人心理学・「嫌われる勇気」)フランクル心理学(ロゴセラピー・「夜と霧」)を受けていたことがありましたが、私の抱えている問題や障害が根深いために、保険適用内での精神療法では限界があるということで、治療が中断してしまった過去があります。(※通常、うつ病や適応障害、神経症、単純性PTSDの場合は、薬物治療と精神療法、心理教育を3ヶ月程度行うと回復することができると言われています。保険適用内の精神療法は、診療点数・診療報酬の点から、30分という限られた時間の中で行われます。公認心理士によるカウンセリングは自由診療で、保険適用がされないため全額自費。1回につき約1万円かかるとなると、病状が複雑で深刻であればあるほど、莫大な費用が発生します。)

複雑性PTSDは、心理学の概念としてはかなり昔からあったそうですが、2018年に精神医学界で国際的に疾病として正式に認定されたそうで、アメリカ精神医学の中では治療方法の開発が進んでいるようですが、日本ではまだ、文化的背景の違いを考慮した、つまり日本版にカスタムした治療法は治験途中であるようで、対応可能な専門医や公認心理士が少ないのが現状のようです。

精神医学界や教育界は、この10年、ニューロダイバシティという個々人の脳神経の多様性(自閉症・ADHDなど)がテーマであり、特に「発達障害」に力を注いできたようで、そして、今後10年ほどかけて、「トラウマ」や「複雑性PTSD」がメインテーマとなって社会的認知や治療法の確立がなされていくのだろうという見方もあるようです。

以上のことから、診断当初、「私は抱えて生きていかなければいけないんだろうか」「治らないんじゃないか」「障がい者」になるのではと絶望し、感情抑制が困難となり、自己破壊的な行動を起こし、バーガーキングとピザをめちゃくちゃ食って太りました。もうどうとでもなれと思って、沢山ち●ぽをしゃぶられました(よっぽどイケるか、好きな人のじゃないとしゃぶれない性分なのです。それはどうでもいいか)。

こんなめんどくさい自分は、みんな関わりたくなくて避けるだろうし、嫌われるだろうし、だから皆の前から消えたいと思い、思い詰めて「みんな俺と関わりたくないって思ってるのかな・・・」と友達にメールしたところ、「ていうか、その前にそんなに関心ないと思うけど?」と返ってきて、認知の歪みが歪みきっていたことに気付いて爆笑したりしていました。

状態が落ち着いてきた頃、様々な専門書や体験記を読んで理解を深め、また信頼する友人たちに連絡を取って励ましやアドバイスを受けた今、私の深い部分から確信しているのは、「必ず私はこの病を乗り越えることができる」ということです。

幸いにも、複雑性PTSDの根底にある愛着障害やパーソナリティ障害は、ちょっとギョッとする言葉ではありますが、治療・克服可能なものとなりました。また、私の場合、不幸中の幸いで、例えば複数の人格が入れ替わるような解離性同一性障害がなく、自傷行為も無いと言え(バーガーキングとピザをめちゃくちゃ食ったのは、過食という自己破壊的行為ですが、もう止まりました)、程度としてはまだなんとかギリギリ踏ん張っているという見立てであり、きっと大丈夫だろうと思っています。

また、こうした知識面だけでなく精神面において、精神的なロールモデルである友人に連絡を取ったところ、具体的なアドバイスと、繰り返し「自分をあきらめちゃダメだよ」という言葉をくれ勇気付けられました。OTいつもありがとな!

さらには、私と同じような状態から回復し、自らの道を見つけ開花していった人たちが世界に沢山いらっしゃることと、精神療法を行ってくださった精神科医の「あー、あなたね、これ克服できたら世界変わるよ。大丈夫。」という言葉を信じたいと思っています。
あのブッタだって、境界性パーソナリティ障害を克服して悟りを拓いたのだそうです。ブッタにはなれんけど、悟り拓きて〜〜〜〜。

回復への道の根幹は、自己理解を深めることと言われています。

●あるがままの自分を肯定し、自分の良さを発見し、活かしていくこと。
●自分の安全基地を見つけ、自分が誰かの安全基地になっていくこと。
●他人の良いところを見出し、愛していくこと。
●違いを対等に尊重し、自他肯定を元に社会と融和的に繋がっていくこと。

これまでの私の対人関係のパターンは、イジりーイジられ、上ー下、支配ー被支配という関係性で、いつかお互いが負担に感じて破綻するというものでした。その根底には、自分は劣った存在で、他者は私を傷つける存在であり、世間は恐いものだから猜疑心を持って警戒せよ、という信念があったからです。

こうして書いていて思ったけど(いまだ彼氏いたことの無い自分がいうのもなんだかおかしい気もするけど)、やっぱり愛なんだよな、愛。
自他への愛が、最も治癒効果の高いものであることを、信じて実践していきたいな。

今私が抱えている病や障害が、「だった」と過去のものとなるよう、これからの道のりをきっと進んでいけると、希望を持っています。

「人生を諦めないこと」=「それでも人生にYESと言う」V・E・フランクル
この言葉は、アウシュビッツ強制収容所を生き抜いたユダヤ人精神科医のフランクルの言葉です。
フランクルの思想は「生きる意味の心理学」で、人生に生きる意味を問うのではなく、人生が我々に生きる意味を問い、その問いに生涯をかけて答えるという考え方です。受動的ではなく能動的に生きていき、自分に与えられた生の意味を自分自身で見つけ形作っていくものなのだと、鼓舞している様です。(「諦めたら、そこで試合終了ですよ」の安西先生かよ〜〜〜)

この文章を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
しんどい気持ちにさせてしまったら申し訳ないです。
しんどかったら、ご自分の心を守るために、心理的な距離をとった方が良いです。

私は私で踏ん張るので、あなたはあなたの人生を生きて。

お前は森で、俺はタタラバで生きよう。




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