チャウダー的 大事変~Part 1

こんばんは、チャウだーです。最近とてもいいオンラインセミナーを受けました。コロナのせいで、今までと違った方法で生活する事になっていますが、こうして自宅で好きな時間にセミナーを聞けるようになったのは、自分の空いた時間を活用する事が出来るので、それはそれでよかったと思いました。でも、まだ皆さん体に気を付けてくださいね!

※注意※
今日は少し重い話になります。私のお父さんの事に少し触れます。実は、複雑な状況で父は私が子供の時に他界しました。こういった内容が苦手な方、センシティブな方は今回この記事をスキップしてください。m(__)m

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では、今日のテーマに入っていきますね。今回の記事のポイントは、「自分の考え方を変えると人生が自然に前に進む」という事です。

最近皆さんマインドセットという言葉を色々な所で目にすると思います。大企業の重役や政治家、著名なアスリートなどがマインドセットで自分を成功に導いた、というような内容の本やニュースが多く見られますね。それらの例はいわゆる「有名人」が実践していたことなので、皆さんの中には、こんなの普通の人にできるはずないな、と思ったりする方もいるかもしれません。マインドセットという言葉は日本語にすると全く同じ意味のものがないので、表現するのは難しいのですが、実は誰にでもできる事なんです。

では、マインドセットって何?という話なんですが、要は「物事に対してあなたがどう捉えるかを自分の中で把握する」という事です。まぁ、そうは言っても、なかなかこの一言だけでは伝わらないと思いますので、私の人生に起きたある出来事も例として挙げながら、皆さんに分かりやすく伝わったら嬉しいです。(ここで私が話すマインドセットに関する定義は、哲学・心理学の分野で色々な解釈があるうちの一つです。わかりやすく伝えるためにここでは自己肯定感に似たものとして説明していきます。)

「物事の捉え方を変える」、つまり、簡単な例で言うと、「コップに水が半分入っている。この事に対して”これしか入っていない”と思うか、”こんなに入っている”と思うか」この違いを理解した上で、自分はどちらの考え方をするのか認識する、そして、自分にとってストレスの少ない方を選択する、という事です。どんなに小さな事でも、続ける事で自分の考え方を変える事が出来る、自己肯定感を上げて自分の人生観を変え、目標を達成したり毎日を今より生きやすくする、それがマインドセットです。

でも、自分が産まれて育ってきた環境や教育によって長年染みついている考え方や捉え方をいきなり変えるのは、正直なところ簡単ではありません。状況によってはとても難しい場合もあると思います。この半年、誰もがコロナに対応するために生活のスタイルを変えなければならなかった、それは、慣れるまで非常にストレスを感じたと思います。特に、高齢の方や小さいお子さんのいらっしゃる家庭では、心配な気持ちと、今まで何気なく行っていたすべての事に気を付けなければいけない、それはとても窮屈に感じられたでしょう。自分の想像を超える事態、まるで映画の世界のように、あまりにも簡単にウイルスが人間を危機に陥れました。世界中のあらゆる都市がロックダウンに追い込まれ、仕事や学校なども行けなくなり、人間の活動がストップしてしまった、そんな信じられない出来事が実際に起きてしまいました。

この時、私ももちろん仕事に行くことが出来ず、一ヶ月ほど自宅待機だったのですが、奇妙な事に、父が亡くなった時の事を思い出していました。

私が12歳になって少し経った寒い冬の日、クリスマスが過ぎて新しい年を迎える準備を始めた頃、冬休みだった。どんなに忙しくても必ず家に帰ってくる父が、3日間ほど家を空けていた。子供ながらに、何か様子がおかしいなと思っていたけれども、母に聞いても「最近お父さん仕事が忙しいのよね。」と、すべていつも通りのように振る舞った。私はパパっ子だったので、眠れず待っていた日もあった。

3日目の夜、それも本当に真夜中、ガレージを開ける音で目が覚めた私は、すぐに父と母の話し声に気づいた。久しぶりにお父さんの顔を見ておかえりなさいを言いたかったけれど、まだ起きている事がわかったら怒られるかもしれない、とも思ってそのままベッドに横になっていた。それから程なくして、父は自分の部屋で何か荷物を取りまた外に出かけていくようだったが、私の部屋に来てクローゼットから何かを取り出した。そして彼は私のベッドに腰を掛け、その時に頭を撫でて私の名前を呼んだ気がした。私は父の背中に抱き着いて「おかえりなさい、会いたかった」と言いたかったけれども、夜更かしして怒られるのが心配だったので、そのまま寝たふりを続けた。

翌日、早朝に母が私の部屋に駆け込んできた。起きがけの寝ぼけた状態であまり覚えていないが、「台湾にいる姉さんが明日アメリカに来る事になったからよろしくね。」とだけ言って、また部屋を出て行った。姉さんがアメリカにいきなり来るなんて余程の事だ、何かあったのだろうか?と悪い予感がした。弟の部屋に行くと、洋服が棚から無造作に出され、荷づくりの最中のようだった。その有様を見た瞬間に、悪い予感は確実に恐怖へと変わった。やっぱり何かあったんだ、と、いくら私が子供でも十分すぎるほどに勘付いた。母はそれから急いで出掛け、私と弟は夜まで留守番をしていた。

夜になると、近所に住む幼馴染のお母さんと共に私の母も帰宅した。母は何も言わず、ただ私たちに食事をさせテレビをつけた。私と弟はテレビを見ていたが、背後から聞こえる二人の会話に耳を澄ませていた。すると、「こんなに泣いたのは人生でこれが初めてよ。」母がそう言ったのが耳に入ってきた。前の記事にも書いた通り、私は母が泣くのを見たことがなかった、そしてこの時初めて、そんな母の言葉を聞いた。あまりにも驚いて、慌てて思わず振り向いてしまった私に、母はただとても悲しい笑みを返した。それから、二人は私だけを別の部屋に呼び、永遠にも感じられるほどの痛烈なほんの少しの沈黙と、そしてついに幼馴染のお母さんが口を開いた。「あなたのお父さんは、心臓発作で亡くなったの。」

確かに、それが何か分からないがものすごくいやな予感はしていた、ただ事じゃないとは思っていた。でも、まさかこんな事になるなんて、あり得ない、嘘だ、私の人生でこんなことが起きるはずがない、想像さえ一瞬もしたことのない事が、起こった、起こってしまった。頭が真っ白になった。

当然だが、当時の私はその事実をすぐに受け入れられるはずもなく、どうすればいいか分からないまま、ただひたすら泣きじゃくった。母の顔を見た。無理に泣くのを何とか堪えている、歪んだ笑顔で私を抱きしめてくれたが、何も言葉にしなかった。私も何も聞かなかった、聞けなかったのだ。

その後しばらくして、新学期が始まって学校へ行くと、少し周りの皆の様子がおかしな事に気付いた。親しい友人は何かを避けるような、隠しているような感じがし、また逆に何人かは「大丈夫?どうしてそんなことになったの?」と聞く者もいた。大人たちがコソコソしている様子にも気づいていた。そして、あの日の夜、テーブルの上に銃のケースが置かれていたこと、これが頭にずっと引っかかっていたことを思い出し、真実をなんとなく理解した。まるで、この人生が自分のものではないような気がした。この瞬間、世界のすべてが止まってしまったと感じた。そのせいか分からないが、正直なところ私は大学に入る前の学生生活をあまり細かく覚えていない。

私は自分の人生がまるでゲームのようだと感じ、いつでもリセットしてもう一度やり直せる、と思うようになった。だって、こんな事が私の人生に起きるはずがない、そう信じたかったから。

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ふぅ…。実は、今日この事を書くのがとても勇気が必要で、ちょっと途中でつらい部分もありました。でも、ここまで読んでくれた皆さん、もし嫌な気持ちにさせてしまっていたら申し訳ないですが、それでも私と一緒に追体験をしてくれてありがとうございます。

次回、この後の私がどんな行動を起こしたか、そしてこの一生背負わなければいけない傷にどう折り合いをつけたのか、そのへんのお話をしていこうと思います。では、今日はここらへんでいいんチャウ?(^^ゞ

次回もよろしくお願いします☺


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