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トウガラシの世界史に見る、新食材がバズる3条件:山本紀夫「トウガラシの世界史」

中公新書から出ている、山本紀夫「トウガラシの世界史:辛くて熱い「食卓革命」」を読みました。

トウガラシは中南米原産の植物ですが、いまや世界中に広がり、インド、ブータン、ハンガリー、中国、韓国、タイなどの料理に無くてはならない存在になっています。日本でも定期的に激辛ブームがやってきますね。

しかし考えてみれば、中南米の植物が世界に広まったのは、1492年にコロンブスが新大陸を「発見」した後のことです。ということは、中南米にもともと住んでいなかった民族がトウガラシを使うようになったのは、たかだか直近500年くらいの出来事なんですよね。

辛いイメージがある四川料理でさえ、トウガラシが大量に使われるようになったのは1900年代に入ってからなんだそうです。

インドや中国の長大な歴史と比べれば、新参者のトウガラシ。それが世界中の食文化を塗り替えて、さも「伝統食材ですが何か」といった顔で食文化の要を担っているわけです。タピオカミルクティーどころの騒ぎではないバズり方ではないでしょうか。

トウガラシが広まった歴史を紐解けば、新食材がバズって食文化にまで昇華される条件が見えてくるのではないかな、と考えながら本書を読みました。その中で、特に重要だと思われたものを3つピックアップします。

1. 既存食材の安価な代替品になること

ネパール、ブータン、チベット、東南アジア、日本、朝鮮半島などでトウガラシが広まった要因として、「コショウの代替品の座に収まったから」というのが挙げられます。

これらの地域では、トウガラシ伝来以前から保存や風味づけのためにコショウを用いていましたが、亜熱帯や熱帯でしか育たない植物なので、ネパールや日本列島では極めて希少で高価だったようです。

一方、ポルトガル船によってインドのゴアやフィリピンのルソン島などに持ち込まれたトウガラシは、コショウよりはるかに栽培しやすく、温帯や冷温帯でも育ちました。そのうえ、辛味づけに利用できる点がコショウと類似していたため、コショウの廉価版として利用が広まったと考えられています。

今でも、方言や固定種の名称などに、トウガラシとコショウを同列視していた名残が見られますね。「南蛮胡椒」が転じて「なんばん」と呼ばれるのは珍しくありませんし、岐阜県には「あじめこしょう」という伝統的なトウガラシ品種もあります。

もともとコショウで辛味づけする文化があったこと、そのコショウが高価だったため安価な代替品への潜在的な需要があったことが、アジアにおけるトウガラシ急拡大の要因のひとつだったのでしょう。

2. 依存性があること

本書の著者は、トウガラシの辛味の依存性をジェットコースターに喩えています。

ジェットコースターに乗って向かい風や浮遊感を感じると、体は危険を感じます。しかし、頭ではジェットコースターは安全だと思っています。この、「体で感じる危険」と「頭でわかっている安全」のギャップが「スリル」という快楽を生み出すのです。

トウガラシの辛味も、本来は体への危険信号として感知されます。しかし食べる本人は、トウガラシは毒ではないと分かっているので、ジェットコースターと同じ仕組みで「体で感じる危険」と「頭でわかっている安全」のギャップ、すなわちスリルを生みます。

スリルには依存性があるため、人はトウガラシの辛味に病みつきになってしまうのかもしれません。

辛いものを食べた後の、体が熱って汗をかく感覚が、シンプルにストレス解消として心地よい、というのもあるでしょう。それらが合わさって、もはやトウガラシの無い食生活が考えられないところまで行ってしまったのがネパールやブータンです。

トウガラシのような、「無くなっても死にはしない」というものを流行らせるには、いかに依存性が強いかが鍵になるのでしょう。

3. ネガティブな偏見を持たれないこと

トウガラシは、全ての地域ですんなり受け入れられたわけではありません。ヨーロッパや中国では、最初に「薬草」として紹介されたこともあってか、「大量に食べると毒になる」という偏見を持たれてしまいました。そのためこれらの地域では、食文化にトウガラシが浸透するまで非常に時間がかかった(あるいは、今でもマイナーである)ようです。

ネガティブな偏見は時間が解決することもありますが、トウガラシの場合はプロモーションも有効でした。江戸時代の日本で、トウガラシをベースに山椒や胡椒、陳皮(ミカンの皮)などを混ぜた「七味唐辛子」というアプリケーションが登場したのは良い例です。

ハリボテの巨大なトウガラシを担いだ売り子が、「とんとんとんがらし・・・」とか言いながらトウガラシを売り歩くという行商スタイルも、江戸時代に登場しました。「目に留まる頻度を上げることで印象を上げる」という、現代にも通じるやり方だと思います。

タピオカミルクティーとはなんだったのか

ここまで、新食材がバズる3条件をトウガラシの歴史から抽出してみました。

①既存食材の安価な代替品になること
②依存性があること
③ネガティブな偏見を持たれないこと

この3点に、ちょっと前に流行ったタピオカミルクティーを当てはめてみると、結構こじつけられることに気づきました。

①既存食材の安価な代替品
タピオカミルクティーって、もともと台湾スイーツなんですね。これまでは、台湾旅行に行って高雄とかの夜市の屋台で買い、歩きながら飲むものだったようです。

それが日本にいながら体験できるようになった。飲み物として安価かというと疑問符がつくけど、「台湾旅行の屋台巡りの廉価版」として見ることは可能です。

②依存性がある
もともと餅性の食品を好んで食べる文化があるので、タピオカの食感は日本人にとって依存性があったのかもしれません。ミルクティー部分も、シンプルに「甘い飲み物」として美味しい。

さらに、SNSに画像投稿して「いいね」がつくことで承認欲求が満たされるという、一部界隈の人たちの報酬系が刺激されまくる依存性要素があります。

③ネガティブな偏見を持たれない
タピオカ自体は過去にもブームがあり(「白い鯛焼き」もタピオカ粉)、食経験が蓄積されていたので、ネガティブな偏見はあまりありませんでした。

アミロペクチンが多いので消化はあまり良くないでしょうし、ミルクティーの糖分も多そうですが、その辺は当初あまり突っ込まれませんでしたね。インスタを煌びやかに飾り、マスメディアで好意的に取り上げられ、「女子高生に人気」とか言われて「若さ」のイメージと紐づけられたら、そうそう覆されるものではありません。

例の流行り病が来てからは、「対面販売」「飲み歩き」自体がネガティブなイメージを帯びてしまったのが悔やまれます。

おわりに

「この食材はなぜバズったのか?」を後付けで説明するのはそんなに難しくないんですけどね、じゃあ次に何が来るかなんて、予見できませんよ私には。

株と一緒で、「上がり始めたら素早く乗っかって、早いとこ降りる」が重要なのかもしれませんが、それが難しいからみんな苦労しているんですよねぇ。

なんにせよ、現代の食文化の成り立ちや、流行り廃りを左右する要因について考察が広がるので、栽培植物の歴史って面白いです。

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