とある有名ブロガー(プロライター)による作文や文章の書き方—あるいはnoteの続け方
お疲れ様です、pontaです。
タイトルは自分で書いてて死ぬほど恥ずかしいので、つっこまないでください。
私が文章を書くときに心がけていることを本日は書き出してみます。
偉そうに言えば秘伝のタレのようなものなので、ケチくさくしまっておいたほうがいいかなと思いつつ。
でも書くと、自分の中で整理されるし、もっと優れた人にいいことを教ええてもらったりするので書いてみますね。
・ネタがない時は「体験」×「持論」でなぞかけをする
たとえば「私の仕事術」について持論を書きたいなと思っても、それだけだと、書きづらいですよね。
そんなときは、身の回りの些細な出来事やニュースを触媒(わかりやすくいうと発想の踏み台)にして、文章を書くといいかなと思います。
例えば「芸能人の離婚のニュース」×「eスポーツ」とか。
連想ゲームです。「芸能人が離婚したけれども、日本のeスポーツ選手の離婚がニュースになるとすればどんなケースか」みたいな感じで発想を広げていきます。
「我が子がケガをした」×「システム改善」とか。
一見つながらない話題でも強引に共通点をみつけることで話に深みと奥行きが出ますし、落語で言うところの枕になって、読み手が話に入っていきやすくなるんですよね。
・ダルビッシュ選手の手抜き投球は、私の全力投球をしのぐ
筆が進まないときはたいてい、自分を過大評価しているんですよね。自分に文章の神が降りてきたら、きっといいものが書ける、みたいな。
書けねえよ。
人は良くも悪くも、実力並みの球しか投げれない、書けないと図に乗って、まずはアウトプットしてみましょう。
天才の手抜きは凡才の全力をしのぐのです。
・大事なのは、滑ったあとではなく、バズったあと
つまらないものを書いてしまったあとはむしろ、書く意欲は湧くんですよね。やばいのは、ヒット、つまりバズったあとです。
意図せぬ大ホームランに舞い上がって、あのホームランよもう一度とばかりに大振りして、フォームを崩してスランプとか、よくある話です。
いやバットを振るならまだいいんですが、変にハードルが上がってしまって、アウトプットできなくなっちゃうんですよね。
いいものを書けたとき、あるいはバズったあとこそ、肩の力を抜いて、駄作を連発してみましょう。
・誰に向けて書くか性別と年齢と属性を思い浮かべる
同じ文章でも、誰に向けて書くかで書きかたが変わってきます。
たとえば私がゲーム記事について書く場合は、主婦や女子高生を思い浮かべて書くことが多いんですよね。
これはスケベ心じゃないですよ。女性は男性よりもゲームの知識が薄い場合が多いですし、下ネタや乱暴な言葉遣いに敏感です。
そういう人たちを思い浮かべて書くことで、やさしい文章になったり、前提知識を求めない、親切な内容に自然となっていきます。
ただたまに、「これは」と思ったときは特定の属性(ビジネスクラスタとか、マニア層とか)に向けて書くことがあり、そういうときはそれらしい文章になり、実際狙い通りに刺さって感動してもらえると「当たった」とほくそ笑みますね。
・PVではなく、誰に刺さったか、を指標にする
私は某ブログで3000万PVを得た時期があって、でもいまはあまりPVを求めていません。
それよりむしろ、「SNSで誰に拡散されたか」をすごくよく見ています。
固定ファンがちゃんとRTしてくれたかとか、逆に固定ファン以外がRTしてくれたかとか。
差別するわけじゃないですが、極論、1万人に読まれるより、インフルエンサー1人に読まれて気に入られた方がリターンは大きいんですよ。
企業やホリエモン、田端さん、深津さんにRTされたときは「勝ち」だなと思いました。
別の言い方をすると、バズったせいでおバカな人の目に入って罵声を浴びるよりも、たったひとりの傷ついて悲しんでる人を救って、飲みに行こうって誘われる方が良い。
昔は文章といえばPVの時代で、いまもそうなんですが、前よりは、広さや量より、深さや質を問われる時代になっている気がします。
あとなんていうか、拡散のされ方に変化や広がりがあると、書いているほうも飽きないんですよね。
ってか言語化していて、こういった戦術性は私のこずるいところでもあり、またいいところでもあるなあと思いました。
・コラムは「感動」を軸に書く(それ以外を捨てる)
書くエネルギーはつきつめてしまえば「感動」にほかなりません。
たとえば映画を見て感動したら、そこだけを突き詰めて、それ以外の要素は削る。
極端な話、本当にその映画についてすべて書こうと思ったら、映画館に足を向け、ポップコーンを食べ、席がここだった、ってことも書かなければなりません。
もしその座席が「感動」を読み手に伝えるために必要であれば書くし、必要でなければ省略する。その感動だけにフォーカスして、不要な部分を省略する力は、文才の大事な部分かなと思っています。
「感動」は泣く、とかまでいかなくてもいいですよ。「面白いなあ」とか「クスッ」とか「あーがんばろう」でもいいです。なんらかの感情の動きこそがガソリンであり、エンジンであり、ハンドルなんです。
・なんでもできる、はなんにもできない
例えば私の強みは「コラム」と「スピーチ原稿」だと思っていて。
情理に訴えつつ、クライマックスに向けエモを高めていくスキルは高いです。
いっぽうで「事実だけを地道に積み上げた文章」とか「長めの小説」を書くのは苦手だと思っています。持久力が続かないので。
でもそれでいいんですよね。お仕事を依頼してくるほうは、キャラが立っている人の方を選びます。
キャラが立っている、を言い換えると、専門性がしっかりしているということであります。
TOEIC950点でなんでも翻訳できる人よりも、TOEIC800点だけど車の部品に詳しい人の方が翻訳仕事は繁盛する。あると思います。
自分の強みと弱みをしっかり言語化してみましょう。オールマイティの人なんてそうそういないし、一流の人はたいてい、自分の強みで戦ってますよ。
・文意こそ命。技術は後回し
いま手元に資料がないんですが、1000年前くらいの中国の詩人で「文意(書きたいこと)が一番だいじ、技巧なんかあとからついてくる」という言葉を残した人がいて、そうだなとずっと思っています。
文章力なんかどうだっていいんですよ。とにかく、感動すること。心の高低差を感じる力、伝えたい気持ちが、文章を書く人にとっていちばんの武器なんです。
以上、よろしくお願いしいます。
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