いつかサッカーコーチとして留学をしたいあなたへ
こんな疑問ありませんか?
どういうステップ踏んでいけば、 Jリーグのクラブで働けるようになるのか?
どうやったら自分が望むようなコーチとしての職業として生きていけるのか?
どうやったら海外でライセンス取れるのか?
私は、スペインに8年間サッカーコーチ勉強するために行き、帰国後、縁があってJリーグのクラブで8年間指導者をやりました。最近はサッカーコーチのコーチとして、他のコーチのサポートやサッカークラブやコーチに対してコンサルティングを行っています。
その中で一番よく聞かれるのが上記の3つの質問です。
私の場合は少し特殊ですが、その経験・体験談も含めて、海外を目指すサッカーコーチにエールを送ります。
体型に恵まれた小学生時代からの挫折
私は広島出身で、サッカーを始めたのは小学3年生です。当時良い選手ではなかったですし、サッカーも決して上手ではありませんが、割と体が大きい方、要するに早熟な子でした。
それもあり、サンフレッチェのジュニアユースまで行くことができました。けれど、そこで周りのレベルの高さに衝撃を受けます。特に中学校2年生の時に、「あぁ、これちょっとプロになるのは難しいかもしれないな」と気づきました。
それが決定的になったのは中学3年生。中学2年生の時に3年生の試合に出ていたのに自分が中学3年生になって全く試合に出れなくなりました。当時を振り返ると、ただ走る、ただ頑張るだけ。全く頭を使っていないので、もし私がコーチだったら当時の自分を使うことはないでしょう。でもその当時の私は、「どうしてそうなっているのか?」「この状況を打開するにはどうしたらいいか?」ということも理解できないでいました。
そんな中学3年生の時、ユースの選手と練習試合をやることがありました。当時私の一個上の先輩たちには、後のオリンピック代表やワールドカップ出場選手がおり、その先輩たちとした試合が決定打になりました。
「これは全く歯が立たない、、、」
あと3倍努力しても、自分には届かない。そもそも3倍できないし、プロの選手になるのは本当に無理だろうと、その時スパーンって思ってしまったのです。
その時、強豪高校行って食い下がってプロになろうとか、大学経由でプロになれたらいいなという発想は全くありませんでした。今振り返ってもそれは不思議です。
一つは片親で育てられていたので「大学に行くというより早く社会に出る」ことを無意識でも考えていました。
プロサッカーコーチなる決断
当然は既にJリーグが始まっていました。選手が引退してコーチや監督になる。そうなった時、私はコーチとしてその人たちと同じ土俵に立つのは難しいのではないかと考えました。
そこで、中学校3年生の私は「誰もやったことのないことをやったら、プロサッカーコーチとして生きていけるかもしれない」と考え、「海外に行ってライセンスを取れば、日本に帰ってプロとサッカーコーチとして仕事ができるのではないか」という結論に至ったのです。
小学生の頃からヨーロッパのサッカー見るのがすごく好きで、Jリーグが始まる前からセリエAの試合をよく見ていました。周りがJリーグで盛り上がる中、好きな選手はイタリア代表のバレージとロベルトバッジョでした。僕のメールアドレスに6を入れているのはバレージの影響です。
だから海外に行くならヨーロッパがいいなと漠然と思い描き、その中でも、その当時ヨーロッパ最高峰リーグと言われてたイタリアに行きたいと考えていたんです。イタリアには、大好きな選手、バッジョもバレージもいましたし。ただ色々調べるうちに、外国人が一番上のライセンス取るのは結構難しいということがわかりました。
そこで自分が好きなサッカーをもう一度考えてみました。イタリアのサッカーはカテナチオと呼ばれるほど守備でやられないようにするサッカーで、ユベントスも攻撃的というより守備をしっかりやってカウンターで仕掛けていくイメージでした。ロベルト・バッジョにロングボールを蹴って、それを彼がヘディングの競り合いしているのをみた時に「バッジョにそんなことさせるなよ!!」と思っていました。
私は「自分はどんなサッカーが好きなんだろう?」と考えたときにボールをたくさん触わり、動かすサッカーが単純に好きだと思いました。その思いに辿り着いた時、スペインが候補に上がったのです。
当時、 BSで放送されているリーガエスパニョーラを試合をよく見ていました。ヨハン・クライフが監督をやっている時で、そのバルサがすごく印象に残っていました。中学3年生の私は、かなり単純だったので、ヨハンクライフがバルセロナに住んでいる!監督はもう引退しているけれど、バルセロナに行ったら会えるかもしれない!と思って、バルセロナでサッカーコーチの留学し、ライセンスを取ることを決めました。
周りに言えない葛藤
スペインへ留学しようと決めたものの、そんなことは周りに絶対言えませんでした。片親で母親に育ってもらっていたから、母へも言えないでいました。なぜなら、話をしたところで「頭おかしいんじゃないの?」と言われるだけだからです。高校2年生まで誰にも言えず、心の中で想いを育んでいたのです。
しかし、それを伝えるタイミングが来ます。それは、進路調査用紙を毎回白紙で出してた私が、ついに親とともに学校の先生に呼び出されたのです。そこで、「本当は思っていることがあるんだろうから言え」と言われ、留学の話を口にせざるを得ない状況になりました。
そして意を決して、「スペインに行くことを決めている」と話しました。先生と母親は「はあ?」ってなっていました。それはそうですよね。でもそこで先生が仰った言葉に背中を押され、今があるんです。
先生は「そんなこと言う奴は、もちろんお前が初めてだ。だけど、過去には広島県の高校から、例えばバンドしたいから東京行きたいとか、お笑いの勉強したいから大阪行きたいっていう子がいたんだ。まあその範囲内。お前はスペインのサッカーを勉強したいからスペイン行く。お前がそういうふうに決めてるなら応援してあげるよ。」と言ってくれました。今でも本当に尊敬してる先生です。この先生がいなかったら確実に今の私はありません。
この一言がきっかけで、母親にもその面談が終わった後に話をすることができました。母親は「もうあんた意味わかんない」と言いながらも、「あんたは私の息子だけど、一人の人間。どうせ反対しても自分でそう言って人生決めていくんだから好きにしなさい」と言ってくれたのです。
こうして高校2年生の私は「卒業したらすぐスペインへ行くぞ」とさらに決意を固めました。
いよいよ始まるスペインでの生活
最終的にビザが取れて、留学を始めたのは2002年からです。高校に入る前から、スペイン語の勉強をしてたとはいえ、全くしゃべれませんでした。最初は、ビザの関係もあり、9時からから13時までずっと語学学校に通いました。そして、午後にはそこら中にある、様々なサッカーチームやグランドを見て回っていました。
これが最初のスペインでの生活です。よく「大変だったんじゃないか」とか「苦労しませんでしたか」と聞かれるのですが、楽しくてしょうがなかったというのが本心です。自分が好きな国で、しかも好きなサッカーがたくさん見られて、好きなサッカーに触れられている、その楽しさしかありませんでした。ただ唯一ストレスがあったと言えば、言葉がよくわからないことでした。
バルセロナに住み始めてから、母親の知り合いがバルセロナでレストランを経営してるということがわかり、挨拶に行きました。その人が本当に親身にしてくれ、「まず生活の基盤ちょっと整えないといけないから居候してもいいよ」「皿洗いをレストランでして、ご飯食べなさい」「今は、スペイン語の勉強とサッカーをとにかくしなさい」と言って助けくださいました。この方のお陰で、生活の基盤が作れ、スペイン語をマスターし、かつ自由な時間にサッカーの勉強するってことができるようになり、本当に感謝しています。
サッカーチーム・エウロパとの出会い
次第に日本人のコミュニティなどのつながりから、スペイン人のコーチともつながり、サッカーコーチとしてスタートしていくわけです。
入ったクラブは、過去に日本人もお世話になっていたこともあり、スペインリーグが始まった当初からある100年以上歴史あるCEエウロパです。
このクラブに入ったきっかけは、スペインで知り合った日本人のサッカー関係者から勧められた、ある試合を見に行ったことにあります。その試合とは、エウロパの対戦相手に来年バルサに入る子がいるという試合でした。年齢は9〜10歳くらい。その年齢でどういう子がバルサで入るのか、それを見たくてそのグランドに行きました。
当時住んでいた家から地下鉄で4駅と近いところにあったエウロパのグラウンド。周りがマンションばかりという市街地に、ぽんとスタジアムがあります。日本では見ない光景です。しかもエウロパはその当時4部。4部のクラブで、グランドは人工芝ですが、スタンド付きのスタジアムがある。その環境にまず驚きました。
その日、そのスタジアムで見た対戦相手のバルサに入るだろうという子のプレーも素晴らしかったのですが、私はこの環境自体に感動していました。そして試合後すぐにスタジアムの地下にある事務所に行きました。
気づいたら「すいません。ここに入りたいに入れてください。」と伝えていたのです。そしたら、何とその場ですぐに「お金払えないけどそれでもいいんだったら、いいよ。」と言ってくれたのです。スペイン語はカタコト、19歳の顔も知らない日本人に、その場でOKを出してくれました。
今では日本人コーチもたくさん増えているので、こんなに簡単にはどこのチームにも入れないことは間違いありません。2003年当時は、日本人が珍しかったこともあり、お金を支払わない研修のような形だったらいいよと言ってもらえたのは、本当にラッキーでした。
これがきっかけで、ハビエル・レビージャというおじいちゃんサッカーコーチと出会います。彼は「俺、もう動けないから、選手と一緒にお前はプレーしろ。それで俺はサッカーのことをいろいろ教えてやる」言い、そこから3年間彼と一緒にやらせてもらうことになります。これがサッカーコーチとしての始まりです。
サッカーコーチの始まり
1年目はU-11とU-13のアシスタントコーチを掛け持ちしました。育成部長から「今からU-13、U-12、U-11、U-10が同時に練習をするからどこでやりたいか選んでいいよ」と言ってくれたんです。そこで私が選んだのは「1チームだけじゃなくて、掛け持ちしていいなら2チームに携わりたい」と。育成部長も「一つ選べっていているのに2つ関わりたいってお前はw」と笑っていました。
2年目になる時に、そろそろチーム持つかと言われ、一番下のカテゴリーのU-9の監督になりました。
その時、U-9には、7人制11人制と両方チームがありました。今はもうスペインでは制度として7人制だけですが、当時は子供達が選べました。なので、チームは、7人制の a チームと b チーム、11人制の aチームとbチームと4チームありました。
その中で私は、11人制の a チームを最初に担当になりました。こうして2年目はU-9の監督を担当しながら、u-12のアシスタントコーチは続け、2チームに関わりました。
そして、3年目には7人制の監督をやらせてもらいました。この3年目に担当した、7人制のチームは、当時スペインのバルセロナ州のバルセロナ市の中の1部にいました。だから、対戦相手にプロクラブの育成組織であるRCDエスパニョール、FCバルセロナがいたんです。7人制ではありましたが、これはすごく貴重な経験になりました。バルサ、エスパニョールに自分が監督として戦える!これは最高の経験です。
最終的な結果的には、12チーム中5位か6位だったと思います。それでも、バルサやエスパニョールと対戦するということ、しかも監督としてできたことは、私の中では大きな財産になっています。
海外を考えるならするべきこと3つ
サッカーコーチとして海外へ行って、ライセンスを取りたいと思っている人へ、やってほしいことが3つあります。
一つ目は、その世界の一番最高のものに直接触れたり、見たりすることです。サッカーには好みもあるので、どのチームが世界一とは言いません。プレミアリーグでもでも、スペインリーグでもいいと思います。ただ、世界最高だという評価をされているものを見ると、それが自分の基準になります。
例えば、私がスペインにいた間に、バルセロナの過渡期をスタジアムで見ることができました。全盛期のロナウジーニョがいてエトーが来て、デコがいて。さらにシャビ、イニエスタがいてと。ライカールトが監督として来る前から見ていて、彼が来てどんな経緯を経て、チャンピオンズリーグで優勝したかを見ることができました。しかもその年、国王杯でも、リーグでも優勝し、三冠を獲りました。様々な見方があると思いますが、当時、これはほぼ世界一のチームですよね。
この経験が、後に移り住んだビルバオっていうスペインの北の街で、役に立ちます。その町の人たちが「この選手すごいよね」と言っても、メッシやセスクの方がすごかったとなります。つまり、すごいと言われる選手が、スーパーかどうかの判断基準ができたのです。
二つ目は、海外に出るなら、監督やれるようになるまでは、そこにいた方がいいということ。要するに、アシスタントコーチだけとか、ある日本人監督のサポートでつくのではないということです。アシスタントコーチには、責任がありません。もちろんアシスタントコーチをして、学ぶことはたくさんあります。しかし、一番学べるのは、この試合勝つか負けるかという戦いをリーグ戦で監督としてやり続ける経験からです。
カテゴリーはどこでもいいんです。とにかく第一監督として、自分が一番責任ある立場に立つという経験をするっていうのは本当にオススメです。これをやってるかやってないかで後々日本で監督をやりたい場合に大きな影響が出ます。
監督をしていると、理論で片付けられないことがたくさん起こります。その経験からしか学べないことが多くあるので、理論だけじゃなく、実践する。この実践こそが、監督として責任を持ってチームを見て、シーズン通して戦っていくということなのです。
三つ目は、理想からの逆算をして、スモールステップを実践することです。海外に留学し、ライセンスをとったからといって、日本でサッカーコーチとしての仕事が必ずあるという保証はありません。そうなると、サッカーを勉強するために留学して、その後どうなりたいかを考えて置くことがとても重要です。
そこからの逆算で、今何ができるかを考えてほしいのです。今できるスモールステップを一つずつやってみましょう。例えば、google で留学した人のブログを見る、留学経験者を探しコンタクトを取って会ってみる。ひとまず1週間だけ観光で行ってみる。そういう小さなステップを積み上げてほしいと思っています。まずは理想の状態を描いて、そこからの逆算でやっていくと上手く行きやすいですよ。
あなたの夢を応援しています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?