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人生はゲーム?

ゲーム的考え方(ここでは主にビデオゲームのことを指します)というものが現実に染み出していて、辛い現実を小さな達成感や気休めの富の蓄えで乗り越えようとしていませんか、ということと、
現実が上手く行かなかったり、底知れない不安感を抱いている方へ、一つの考え方を提供出来ないかという思いから書かせていただきました。

自己紹介

まずは自分が何者で、如何にゲームやゲーム的考えに塗れてきたかをご紹介いたします。

1980年、札幌生まれ。42歳。
小学校にあがる少し前、叔母さんが『忍者じゃじゃ丸くん』と間違えて『忍者くん』(※地味だけど名作)と一緒にファミコンを買ってくれてから、30歳手前までゲーム狂でした。

30機種以上のゲーム機本体、2500本以上のソフトを集めるほどの収集癖があり、徹底攻略や超絶スキルを身につけるわけではなく、広く全般を卒なくこなすタイプのいっぱしのオタクでした。また、受験勉強中の兄を後目に当時流行っていたストリートファイターⅡを購入し、兄の横でプレイするという暴挙も平気で行うほど、人ではなく、ゲーム優先で生きていました。

高校へは“兄が行っていたから”という理由で同じ学校に進学。ゲームで休むことを公言しても怒られないほどにはゲーム狂であることも認知されていました。

鍼師になる、と大学進学を諦め(やる気がなかったとも)、なぜか鍼師にもならずに2年ほど古本屋などで相場とズレた安価に売られたソフトをトレジャーハントしてたあたりから、このままの人生を送って良いのか不安を覚えはじめていました。けれど、スタイルを変えることは出来ませんでした。

人と接しない、という粋な条件を元に広告制作や情報処理の仕事をしていましたが、27歳になり、意を決して、より人に接しなくて良い校正の仕事がしたいと上京。正確に言えば、人生に具体的な展望もなく兄のいる東京に行って、兄の影響を受けながらなんとかしようと思っていたのでした。校正の仕事をやりたいというのは現状から逃れるための言い訳であったのだと後にわかりました。

東京では、通勤時に10個ほど前の駅で降りて、歩いて1時間半ほどかけて通勤するという実に優雅なことをしていたのですが、その最中に「女性にモテるために植物のことを覚えよう」と思い立ち、植物の名前を暗唱する日々を送りました。その甲斐あって31歳で結婚をするのですが、その少し前のタイミングで311が発生。強いショックから立ち直ってからは、そもそもの人生を見直し、真っ当に生きるため結婚・転職をし、生き方を考え直すことにしました。仕事も人と接する苦手意識を克服するために介護に変えました。

それにしても一朝一夕で他力本願思考や人生の目的を理解するわけでもなく、子どもを授かったり、管理職になったりすることで、目的を得、自分で考えて行動できるようになったのでした。

2020年大統領選の少し前、当時見ていた「国家総動員報」という掲示板まとめで有名なハンター・バイデンの地獄のラップトップのことを知り、そこからの2年間は怒涛のごとく過ぎ、今に至ります。

赤マフラーのヒーロー

大統領選の前後から表の出来事だけを見ていてもわからない裏の出来事によって、他力本願の生き方を見直し、強く優しい自己を確立するためのイベント(情報戦争)が展開されていることを知り、驚き、なんとありがたいことかと感じています。生き方を変えたいという意識があり、加えてイベントがあり、考え方が根底から変わってしまったいま、ゲームのコレクションには以前ほど意味はなく、大半は処分して良いとすら思っています。ゲームは好きですが、もはやゲーム狂ではなくなりました。自分の中ではようやく人の心を取り戻した10年だったと感じています。

見渡してみるとゲーム的思考ばかり

ゲームってのは主人公(自分)に如何に富や良い出来事を集中させるかですから、その場の状況に合わせ、利口に振る舞えば都合の良い時はそう振る舞うし、傍若無人に振る舞っても良い場面では傍若無人に振る舞うわけです。
ゲーム内でゲームオーバーにならなければ、その時最大の利益になるように振る舞うのが推奨される世界に生きてるわけです。
この考えを現実に滲み出させた結果が下に書いたような行為だと思うのです。

・時短料理等のTips ・余暇時間を見つけてタスクをこなす行為 ・行き交う人の猜疑心に溢れた視線 ・お金を蓄えること ・店に並ぶ行列の行儀良さ ・メディカルビルの存在 ・忖度マスク ・宝くじ ・流行りのものを身につけること ・インサイダー取引 ・子どもや老人の相手をロボットに任せること ・面接マニュアル、敬語マニュアル ・実や葉の落ちない街路樹を植える など

忖度マスクなんてのは、例えば飲食店に入る時はつけて、席に着いたら外して、席を立つ時にまた着けて、感染症対策として無意味なのはきっとみんな知っている(知らなかったらごめんなさい)。
これは、門番に見つからず如何に新鮮な空気を吸うか、を競っているように思えるのです。本来、マスクは必要ないと思っているのであれば、門番に咎められようと、着けない理由を説明したり、強制しないよう求めたりするのが自然なあり方なのかと思うのですが、トラブルになるのは面倒臭いですから、殴られずスマートにシステマチックに攻略気分で良い空気を吸おうとしているのだろうと思います。
メディカルビルなんてのはさながら越冬中のテントウムシのようで、寄り合って儲けを確かにしようとする攻略法にほかなりません。
超多忙な生活の中での時間の捻出、その隙間に詰め込んだタスクをこなすことで有能感や充実感を得ることなど、ゲーム的思考に他ならないと考えます。
人がいなくなってるのに少ない人員で仕事を回してると悦に入るのもそうです。

現実はミスると逮捕されたり、村八分にされたり、下手すれば死んだりしますから、ゲーム内よりは慎重になりますが、資本主義の社会では賢く立ち回ったものがより多くの富を得るように出来ていますから、その考え方とゲームとはとても親和性が高いと思うのです。
また、いまの社会を作ってる人たちがゲーム世代ですから、ゲームをやらない人にもその考え方が浸透し、自然と思考癖になっているものと考えています。

ゲームのマスター

ゲームというのにはマスターがいます。テレビゲームでは制作者(チーム)がマスターです。

マスターの作った枠内で、オタク達は上手い下手と競い合い、裏技一歩手前の技術を使ってタイムを極限まで減らせたなどと一喜一憂しているわけです。あくまで仮想の世界でのスキルですから、現実への延長は出来ないわけです。

私はこのスキルを持ち合わせていることが誇りでしたし、それで他者を見下してもいました。本当のアホです。

でもきっと、クールジャパン(笑)の世ですから、コンテンツに精通してる、ゲームのスキルなどで他者を見下している人は以前より増えていると思っています。
以前のオタクは業界を広く深く探求する武士のようで尊敬できましたが、いまは特定の分野のみで固まってそれぞれの分野で相手を馬鹿にしあってる様が外野からでも見受けられます。

実に醜い様ですが、私の経験から言えば、洗脳の行き着く先の蟻地獄にはまったようなもので、アイデンティティがそこにしかないので、きっかけが無ければ抜け出しようがないのでしょう。

とにかく決められた枠組みの中で、それが世界の全てだなどと勘違いすると、他者を蹴落すなど自分の心を安定させる行為に走ってしまうのだろうと思います。

現実のマスター

現実世界はどうでしょう。本来はマスターは神しかいません。神は自由と慈しみを与えてくださっています。

今の世の中には大きな枠組みが出来ています。お金、医療、学問、情報など、自由や栄華を人々に見せてくれる仕組みです。その枠内で人々は自由を謳歌しているように錯覚していますし、ゲームの攻略法みたいなものがそれらの仕組みの違反に抵触しない範囲で盛んに研究されています。中には違反をしてでも利益を追求するものもいます。

その仕組みのマスターはどんな存在なのでしょうか。
富を一極に集中させた狡猾なヤツら、経歴を詐称して得た地位で自分に箔をつけて凄い人物を装ったヤツらなどが、人々を枠組みに閉じ込めているのです。
世界の富を掌握しているヤツらが会議をして、これからの枠組みをどうするか、話し合いをしています。
自分らの生活さえ安泰で潤えば良いと思ってるヤツらの集まりですから、我々の自由や権利というものには微塵も意識を向けていないようなのです。暴動の起きない範囲や速度で枠組みを都合よく変更しています。

本来はこの手のけしからん手合いは早々に駆除しなければいけないのですが、いかんせん世界の多くの人々、特に先進国と言われる国に生きる人々は神経が麻痺してしまっているために、枠組みに従って生きることに慣れてしまっています。

自分やその家族だけが得をし、この現世さえ幸せであれば“勝ち”だという“与えられた”粗末な生き方を少なくない人々が選んでいますし、納得が行ってなくても世の中はそういうものだと流されて苦しい思いをしている方が多くいるというのが現状だと思います。

経済発展に合わせてゲームの一大ブームが起きましたが、これは意図してブームが引き起こされたのかはわかりませんが、ゲームという装置のおかげで人々に、今の不条理な枠組みを当たり前に思わせ、また苦しさを楽しさに変換するための有効な装置として機能してしまっている。それが人々の生き方に間違いなく滲み出していて、利益・効率重視の人間味を失った人が増えているというのが私の考えになります。

現実を少しでも楽に生きるために

イーロン・マスクがTwitterの買収を「私が愛する人類を救うための試みだ」と発言しています。こんな大それたことを何故言ったのでしょうか。マスクほどの大金持ちでも勇気のいる発言に思えます。
Twitter社が現実の枠組みを維持するために、Twitterで嘘を広めて、嘘の考えを人々の常識にしてしまおうという悪質な試みをしていることに気づいていて、それを止めさせることが自分の使命だと思っているからだと推測しています。
それほどにTwitterを始めとした大手メディアの嘘は酷いのです。

私たちが生きているのは「嘘で作り上げられた枠組み」の中です。

枠組みは私たちの自由や人権を全く考えないヤツらが作り、それを常識化し、嘘や脅しを使ってでも是が非でも維持させたいと思っています。
その枠組みの外がある可能性というものを意識してみるのがいいのかもしれません。

世間で当たり前とされているその常識は本当か、疑ってみるのはどうでしょう。
有名大学に行けば将来が約束されているだの、公務員になれば生活が安定し、家族を幸せにできるだの、流行に乗らないと格好悪いだの、身の回りのものを揃えるには買わなきゃいけないだの。本当ですか?

日本は異常に自殺率が高いですが、この枠組みに殺されたようなものです。枠組みの外がある可能性を知っていれば、考え方も変わったかもしれません。
老後は認知症などで子どもに迷惑をかけたくないからと、安楽死を受け容れる人も増えているようですが、これも枠組みに平伏したようなものだと感じます。例えば認知症なら、その病気になる偽の原因に振り回されず隠された本当の原因や治療の可能性を人々が一丸となって探し、声を上げて後世に負の遺産として残さないよう考えを変え、地域で認知症の方を認識し、安心して暮らせる社会を作るよう働きかけるべきなんです。

これらは全て老後に金がかかるという貨幣経済の常識や、不治の病の認知症という常識に呪われた考え方なんだと思います。

全てに感謝と団結を

枠組みの中でゲーム的な評価を得るのはそう難しくないことです。枠組みの大枠を理解し、それに沿った行動を研究すればある程度は成功できると思います。
ただ、人並み以上の現世利益を得ようとするのであれば魂をどこかに売らなければ無理でしょうし、高みに近づけば悪魔のようなヤツらから囁きかけられることになるでしょう。

それに引き換え、人の心を動かし、感謝を得るのは容易いものではないと感じます。ゲーム的行動をすればするほど、人に嫌われる可能性があります。心から人と対峙しない限り、すぐに見抜かれてしまうでしょう。

多くの人の不幸を元にした、特定の人だけが利益を享受する世界の幸せになんの意味があるのでしょうか。
それぞれが助け合い、全ての人が幸せであるべきではないでしょうか。

私たちの多くが常識に対して疑いの目を向けるようになれば、ゲームチェンジの時はそう遠くないと思います。
早晩、枠組みを作っていたヤツらは凋落し、永遠に日の目を見ることはなくなると想像しています。

そうなった時にゲーム的思考、常識の呪縛から少しでも解放されていて、人と人とが心を通わせる存在になれているかが大切で、私たちが未来の枠組みを作る存在になるのです。

いまのような自然を破壊して制御下におく発展は終わり、自然の回復と共生を考えなければいけなくなるでしょう。
自然はゲーム的在り方とは程遠いので、乗り越えられないものがあることを受け容れなければならないのですが、これまでの叡智の結晶や未知の技術を活用しながら、いま生きることに感謝をし、人と人とが団結して超えていける社会を作っていくことが、遠いようで一番近い真の幸せへの道なのだと思っています。

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