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シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第3回 藤田 俊英氏『for Civil からof Civil of Civil, by Civil へ』

この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。

1949 年生まれ。名古屋大学大学院終了後、1973 年に大成建設(株)入社。
ゼネコン社員として現場から営業までを経験。50 歳で早期退職後、土木を主
題にした観光ランニング・ウォーキング行事を企画・展開。NPO 法人主宰、寄席芸人、劇団員、土木学会コンサルタント委員会 BC 研究小委員会委員長。
インタビュー日: 2012 年 8 月 2 日
聞 き 手 : 高橋麻理,松本健一,日比野直彦

再掲載に当たって(委員会より)
 人生を約25年ずつ3期に分けて計画する、仕事以外に好きなことを見つける、在職中に組織から離れてもなくならないものを身につける、などインタビューの中に今の時代にも通じる輝くためのヒントが見つけられます。藤田さんは計画通りに、退職後、人を楽しませる芸人の活動を実現し夢をかなえられました。それが長年携わってきた土木を題材にしているところがいいですね。活動の中で土木を楽しみ土木が市民に愛されることも目指しています。外部からの土木の評価にも気を配り私も市民のための土木に取り組みたいと思います。                   (2022.6.7 たま)

走る土木漫談家

現在の活動内容を教えてください
 土木構造物を題材とした「観光ランニング」や「ウォーキングツアー」を企画し、開催しています。インターネット上の受付代行サイトを利用し、商品公開、集客をしており、企画運営のすべてを一人でやっています。
 スタートから 12 年を経て定着してきた「観光ランニングツアー」は、世界で初めて私が開催したものです。近年、大手の旅行会社などが同様のツアーを企画するようになりました。
 この他、NPO法人代表や寄席芸人、劇団員もやっています。また、土木学会の BC(Branding Civil)研究小委員会でも、参加者が臨時委員となるイベント集客型委員会「土木の語り部」を 4 年前から催行しています。
 最近では研修講師も引き受けて活動が広がってきました。土木関連の好きな曲をプロデュースしたDo Vogue レーベル CD (https://m.youtube.com/watch?v=1PptPsL65TQ)も作成しました。

主な収入源は? 
 ツアー参加費です。リピーター、ご贔屓多数。最近は、女性が増えました。

使う側の論理で伝える

伝えたいことは何ですか?
 ご隠居土木屋が、市民の命の次に大切な小金と時間をいただき自作自演でお客様を元気にさせる Civic Art を演じる姿を伝えています。今までは造る側の技術でしたが、これからは使う側の技術の時代。造る側の論理で、ありがたいものとしての技術の説明はもう要らないのです。あって使えて当たり前ですから。for Civil から of Civil, by Civil への転換が必要です。

芸人になりたかった

このような活動を始めたきっかけは?
 主に 2 点あって、一つは建設会社で培ったビジネススキルを十分に活用できること、もう一つは今後の日本の魅力を増進する観光分野の発展領域になると確信したことです。さらに、子供の頃から人を笑わせることが好きで芸人になりたかった自分の性分に合っているということも大きいです。

人生を 25 年ずつ 3 分割

これまでの経歴を聞かせてください
 
建設会社では、本社技術開発部から、福岡、名古屋、東京支店を回り、現場監督、一般営業など普通のゼネコン社員の仕事をしてきました。
 人生を 25 年ずつ 3 期に分けて、最初の一期は学生として、次は家族のために組織で働き、最後の25 年で好きなことをしようと考えました。40 歳代のとき 50 歳で退職しようとも決めました。そのため、結婚もマイホームの取得も早くして、50 歳で予定通り退職して独立しました。この頃の早期退職は、経済的にかなり優遇されていて、さらに、住宅ローンの返済が終了し、子供たちも独立していたので、家庭生活への心配はありませんでした。
25 年間勤めた会社には本当に感謝しています。
 ツアーを始めた最初の 5 年くらいで経験やノウハウを磨きました。在職中から 2005年くらいまで学会誌や業界誌にいくつかの論文やインタビュー記事を掲載していただきました。そのうちの一つが東京マラソン開催の契機となりました。
 振り返ってみると、技術者としては三流かもしれませんが、気に入った土木構造物をネタに好きなことをして楽しんでいますから、人生を楽しむということに関しては一流だと思っています。

思い出に残っているプロジェクトは?
 20歳代、30歳代にかかわった、復帰直後から 2 度の沖縄の現場は、米軍基地の存在と共に最も印象に残っています。シビルとミリタリーについて考えさせられました。

ゼネコンでの経験を生かして

現在の活動のための準備はいつごろからどのように?
 25 歳で結婚、34 歳でマイホームを取得してから、50 歳で退職するために早くローンを返済しようとがんばりました。
 35 歳過ぎに日本でもトライアスロンが始まったのをきっかけにランニングを始めました。45 歳くらいのとき、初めてフルマラソンに参加しました。その後、世界の著名なマラソン大会に参加してきました。
 ツアーに必要な歴史の知識や話術、ツアーの管理運営などは、土木工事の現場代理人やゼネコンの営業マンとしての経験、市民ランナー10 年間の体験が役に立っています。会社員時代は、オフタイムの付き合い麻雀とゴルフを断り、司馬遼太郎や渡辺昇一の作品を読み続けました。

退職前に身につけておいた方が良かったことは?
 ゼネコン社員としての経験の他に、お座敷遊び、幇間芸、小唄、端唄、新内、常盤津などをやっておきたかったです。それと、会社を辞めて肩書きがなくなったときに役立つのは、論文などの客観的な記録です。名刺がなくなっても、取られないものを蓄積しておく必要があります。

目指すは国立演芸場

今後の予定は?
 現在の活動は死ぬまで続けるつもりです。75 歳までは観光ランニングツアーを主体に、その後は寄席で漫談家をやろうと思っています。走れなくなったら歩いてやります。また、土木の語り部として、75 歳で自作の歌謡朗読劇「伝説の土木屋 青山士」を国立演芸場で演じたいと思っています。技術者だけではなく、人間としての青山士を語りたいのです。土木の語り部育成事業もやってみたいです。

団体から個人へ

これから退職を迎える技術者へのメッセージを のメッセージを
 
世代交代に当たっては、老兵は去るのみ、稼いだ場を若手に譲って隠居が楽しめる場を見つけることが重要です。
 退職後は好きなことしか長続きしません。日ごろから、自分の好きなことを客観的に把握しておくことが大切です。群れて業界用語で話す土木屋集団からは卒業しましょう。チームワークの団体競技からフットワークの個人芸へ意識チェンジをしてください。
                         (文責:高橋麻理)

インタビューを終えて(聞き手から)
 異色の技術者の藤田さんは、とても純粋で意欲的な方でした。人生を 25 年ごとに 3 期に分けて計画通りに実行されてきたことは、土木技術者だけでなく多くの人にとって参考になると思いました。ご自身は三流技術者と謙遜されますが、「土木の語り部」には土木や社会に関する広い見識が必要だと、ツアーに参加して感じました。発信力が弱いといわれる土木業界ですが、藤田さんの活動を通じて、一人でも多くの土木ファンが増えるように、そして、歌謡朗読劇の実演目指して、これからも健康に注意して頑張ってください。

委員会からのメッセージ
 藤田俊英さんは、大手建設会社を早期退職して、土木構造物を題材にした観光ランニング、ウォーキングツアーなどを企画開催している異色の土木技術者です。現在の活動を始めた動機、実態、計画などをうかがって、今後の成熟シビルエンジニア活躍の参考にできればと選定しました。学会や業界に対して若干批判的な意見をお持ちですが、そうした考え方にも耳をかす必要があるのではないでしょうか。


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