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シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第4回  髙木 千太郎氏『橋梁のメンテナンス技術者として』

この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。

1949年生まれ,静岡県出身。日本大学理工学部土木工学科卒業。1974年東京都入都。長年道路橋の維持管理に従事し,2010年に橋梁専門副参事で退職。(公財)東京都道路整備保全公社道路アセットマネジメント推進室長、(一財)首都高速道路技術センター上席研究員、法政大学兼任講師、国士舘大学非常勤講師を兼務。
インタビュー日: 2012年11月26日
聞 き 手 :加藤 隆、松本健一、菊地良範

再掲載に当たって(委員会より)
 就職すると会社に染まっていく。徐々に会社の方針に疑問を持たなくなる。学生時代は高いモチベーションを持っていたが、いざ入ってみると、やりたいことがうまくできず、いつの間にかそのモチベーションがどこかに行ってしまう。そんなことはないだろうか。インタビューの中には、髙木さんが自分のやりたい橋の仕事をするために、様々な苦労をしてきたところが垣間見られます。輝くシニアになるためには、強い意志と高いモチベーションを維持し続けることが必須だろうと思いました。
 インハウスエンジニアの道を極めてこられた高木さんのインタビュー記事からは、自分のやりたい橋の仕事をするために、強い意志と高いモチベーションを感じ取ることができます。就職すると会社に染まっていく。徐々に会社の方針に疑問を持たなくなる。学生時代は高いモチベーションを持っていたが、いざ入ってみると、やりたいことがうまくできず、いつの間にかそのモチベーションがどこかに行ってしまう。そんなことはないだろうか。改めて、自分自身が学生時代に何を考えていたのか考え直す良い切っ掛けになりました。                     (2022.5.30 TARO)

行政専門職として

橋梁技術者を目指す契機は?
 学生時代から橋梁にあこがれを持っており、東京都に入っても橋梁の技術者になりたいと思っていました。ところが、最初に配属されたのは区画整理事業に関する部署でした。そこで、私は橋の仕事がやりたいから東京都に入ったのだと主張し、上司に退職届を出しました。上司には、いずれは橋梁関係の仕事ができるように配慮するから我慢しなさいと諭されました。それから数年後に橋梁に関係する仕事に従事し、それ以来40年間にわたって橋梁行政技術者として仕事をしています。

維持管理の先駆者として

維持管理の仕事をするようになって、苦労した点は?
 維持管理の分野には、30代以降に関与しました。その頃、東京都の橋梁の点検要領を作ろうと提案し、架け替え予定の橋で載荷試験を行ったりしながら、点検要領を完成させました。また、定期点検を5年周期に実施し、維持管理の予算化を行うことに取り組み、事業として組み込んでいます。
 その頃、維持管理の分野は、事故が起こったり、苦情や陳情などが無い限り手を付けない分野という認識がありました。橋梁の点検要領の作成や点検予算を獲得することには、上司に相談しても相手にされず、根気強くその必要性を説明し、現在も使っている点検要領を定着させていきました。

その後のキャリアは?
 人事異動で港湾局に異動しました。その際も橋の仕事がやりたいと懇願したところ、上司の理解があり、港湾局が手掛ける橋梁のプロジェクトに携わることになりました。そこで新交通の橋梁の基本設計・詳細設計・積算といった発注業務すべてに関わることができました。これは、非常に有意義なことだったと思います。
 また、この時期には、海外研修制度を利用して渡米し、維持管理のことを勉強する機会を得ました。この期間中には、様々な人的ネットワークを構築することができ、得るものが多かったと思います。
 50代には、東京都の橋梁を中心とした構造物のアセットマネジメントの立ち上げや長寿命化などに貢献することができました。

現役時代の職場人生を振り返って、世代ごとのモチベーションはどのように変化しましたか?
 東京都に入ったばかりの時は、高いモチベーションを持っていましたが、20代の前半はやりたいことがうまくできずに、失敗したり気が削がれることが多く、急激にモチベーションが下がった時期がありました。その後徐々に仕事を回したり能力を発揮できるようになってきて、30代の半ばからはモチベーションが上昇し、40代のころは100%に近づいたのかなと思います。40代以降は、現在まで高いモチベーションを維持していますが、公務員の場合には55歳ごろを過ぎると管理職になり先が見えてくるように感じることもあり、少しモチベーションが下がってくることが多いのだと思います。私の場合は、今も含めて高いモチベーションが維持できていると思います。

自身のノウハウを活かして

現在の仕事内容は?
 現在の肩書は4つあり、東京都道路整備保全公社と、首都高速道路技術センターに所属し、法政大学と国士舘大学で非常勤講師もやっています。東京都道路整備保全公社では、都下の市区町村も含めた道路の維持補修や計画策定のアドバイスの業務受託を行っています。首都高速道路のほうは、技術的な課題についてサジェストをする仕事です。大学では、資産管理・アセットマネジメント・技術者倫理などを教えています。
 公務員が関連機関に再任用されるというと、周囲の人間からは、いわゆる「天下り」のように、能力も無いのになぜ雇われているのか?と思われがちですが、私は、自身の培ってきた経験を活かし、公社の中に新しいセクションを作り、市町村の道路管理戦略を若手に考えてもらえる仕組みを立ち上げました。また、大学の講義については、学問としての組立ができていないと、学生には理解してもらえないと感じ、どうやって教えたらいいかを考えなければいけないことを理解し、教鞭をとっています。

今の仕事に必要なスキルは?
 現役時代に博士号を取得していれば、それを活かすことができ、今の仕事がもっとやりやすくなるではと感じています。また、色々な本を読んだり、休暇を取ってでも学会活動や人脈作りをしたことなどが、今の仕事で活きていると思いますので、このようなスキルも重要であると思います。

今後のこと

今の仕事は何歳まで続けたいですか?
 整備保全公社の仕事は、新しい部署を作ったこともあるので、65歳まではやっていきたいと思っています。その後については、東京都だけではなく全国ベースで橋梁関係の仕事ができるようにしていきたいと思っています。その仕事も、70歳くらいまでで一区切りつけたいと思っています。

次世代へのメッセージ

技術の継承についてお聞かせ下さい。
 技術の継承は非常に難しいと思います。先輩など知識を持っている人から技術を盗むようなことがないとできないでしょう。研修やマニュアルだけでは伝承されないものだと思います。特に、判断力については、若い人が身に付けていくのは難しいと思います。
 また、維持管理の仕事をきちんと継承させるためには、技術を学んだものがきちんと報酬を得られる給与体系や、学生や若手などが維持管理に興味を持てるようなアピールが大切だと思います。

次世代に向けてメッセージを。
 定年退職を迎える年齢に来る時までに、それぞれの人が、外部に認めてもらえるような技能や能力等を持たなくてはならないと思います。今は定年退職制度がありますが、能力がある人は定年退職にとらわれずに仕事を続けられるような仕組みが必要と思います。このような能力を身につけて、定年退職を迎えても必要とされるような人材になってほしいと思います。
                         (文責:加藤 隆)

インタビューを終えて(聞き手から)
 髙木さんは、学生時代からの夢であった橋梁技術者の道を行政専門職として実現し、自治体の組織の中で橋梁の技術者であり続けるのだという強い意志の下で、それを継続されています。また、橋梁の点検要領の作成や点検の予算化など、現在の維持管理、アセットマネジメントという分野を新たに切り開く功績を挙げられ、現在もその経験を活かして様々な場所で活躍を続けられています。これまでの経験や実績、培った人脈などを活かして、さらに活躍されることと思います。


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