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そもそも『まちづくり』とは何ぞや

私のまちづくりの師匠の十時さんの言葉を借りると…

もともとは、「都市計画」という言葉で表現されていたもので、高度経済成長期は、道路、上下水道、公園、公共施設などを市民のニーズに合わせてハードを建設して提供することでした。しかしながら、それらが充足された今日、市民のニーズは、高齢者問題、防災、少子化問題、子育て、ひきこもり…などのいわゆるソフトの生活に身近な問題に対する課題を解決することを求められる時代になりました。それらが、今日の「まちづくり」です。
十時裕さんの言葉を引用

ここで、福祉について考えると、時代の変遷とともに、ハード的なサービス(行政の措置による支援/施設入所)からソフト的なサービス(利用者が自ら契約して受けたいサービスをうける支援/地域の中で生活する)に変わってきたことからも、まちづくりと福祉に関連性があると思われます。

そして、ICF(国際生活機能分類)から見れば、「まち」とは、「人」からみると「環境要因」でしかありません。ですから、ケースワーク(個人に対する相談援助)の中では、極端な言い方をすれば「ある」か「ない」、「使える」か「使えないか」の議論にしかなりません。もう少し踏み込むと、ICFにおける「参加」の中の要素にも少し関わるので、支援者がケースワークの中で調整、介入できてその辺が現実的なところかと思います。

 必要なインフォーマルサービスが無いから「つくろう」という気持ちになる専門職は、まだまだ、ごく少数だと思います。

また、十時さんの言葉にこのような言葉もあります。

まちの花壇を想像してください。きれいな花壇があったとします。それは、誰かの手が入っているからきれいになっています。手が入っていなければ、そこはあっという間に藪になってしまいます。つまり、まちづくりとは誰かが何らかの介入をして、整えている状況のことです。まちづくりとは、そのような『まちづくりに関わる人を育てること』でしか前に進みません。
十時裕さんの言葉を引用

 私は現在の福祉サービスの限界はこの「まちづくりに関わる人を育てることが出来ていないこと」にあると思うのです。

 制度上のいわゆる「フォーマルサービス(公共サービス)」の専門職は、そのサービスの利活用についてはものすごく長けています。しかしながら、フォーマルサービスだけでは、セーフティーネットからこぼれ落ちる市民は少なくありません。その部分を支援するのが、市民ボランティアやNPOの役割になるのですが、「彼らを育てる」ことに対する本質的な福祉の支援が足りていません。

長年市民活動の世界にいて、現実を見てきた私は「少額の助成金をばらまくこと」が社会課題の支援ではなく、単に「ボランティア活動という社会体験を支援しているにすぎない」という事を感じています。

もちろん、そのような体験をもとに活動を草の根的に広げていく必要はあります、しかしながら、もっと多くの資金を提供される仕組みをつくる必要があると思います。ただ、これにはある一つの条件が必要になります。

「多額の資金を管理、運用できる事務局がある事」です。

資金を提供しても、それがきちんと使われなければ意味がありません。これは市民活動セクター側の問題でもあるので、これについてもきちんと対応していく必要があるでしょう。そういう意味でも、福祉の専門家がNPOやボランティアの支援に対して、援助過程の展開の指導や各種制度に対する理解の支援などを行って、「プロボランティア」を育成する支援が足りてないと思います。

ゆえに私は「まちづくり」を通し、福祉の土台をつくり、支援の輪を広げ、質を高めたいと思うのです。


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