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自宅が火災に巻き込まれて知った世界⑤

この記事を書き始めた2023年の年末には想像もできなかった災害が2024年は元旦から起こってしまった。
伝わるニュースの悲惨さはどれも胸が痛むもので、私の経験をこうして書くことに意味はあるのだろうか、失礼なことなのではないかとも思い、続きを書くことを悩んだ。
実際にこの記事を読んで不快な気持ちになる方がいたら申し訳ないです。

それでも私が伝えたかったのは、一般的な火災が近所で起きて自宅が巻き込まれてしまうという、いつ誰にでも起こりうる災害なのにもかかわらず、実際に被災した人がそこからどうやって生活を取り戻していくのか、どんな順序を踏む必要があるのか、などは広く知られていない現状の中、一経験者として発信することが自己満足かもしれませんが意味があることと信じたかったからです。
引き続きお付き合いいただける方は目を通してくださると幸いです。

我が家が被災してからの保険などのお金の話

我が家が被災してからのお金事情について赤裸々で個人的なものになりますが記します。
一つの経験として、どなたかの参考になればと思います。

①火元の工場は類焼保険に入っていなく、賠償金はなかった

まず、火災に巻き込まれて初めて知った衝撃事実として、出火してしまった人に対して延焼被害の賠償責任を求めることはできない、ということだ。
これは法律で定められており、過失によって隣家へ類焼被害を出してしまってもそれらを補償する責任は火元の人には生じないという。
あくまで、自宅が被災してしまった分は自分の入っている保険で賄うしかない。巻き込まれ損、というのが現実だ。
しかし、火元の人が周囲に火災の延焼被害などを生じさせてしまった場合にはいくらかを補償するという類焼保険もあるのだが、今回のケースでは火災を起こしてしまった自動車整備工場の整備士は大家さんに雇われていた従業員であり、整備士にも工場にもそのような保険は何もかけられていなかった。
このことには納得がいかず、工場の責任者がこのように無保険で営業していたということは違法ではないのか法律相談にも駆け寄ったが、法律上では問題はないと言われてしまった。
しかし相談に乗ってくれた弁護士は「法律上では規則はありませんが、住宅地の中で整備工場を経営する経営者として類焼保険などの保険に入ることは倫理的には求められるものとは思われます」とおっしゃっていた。
人による、ということなのだろう。我が家は残念なケース。
さらには従業員の起こした火災で自分たちの所有する工場と住まいを失った大家さん夫婦(70代の高齢夫婦)は自分たちも被害者だという顔をしており、私と夫はやり場のない思いを抱えた。

②我が家が入っていたのは火災保険ではなく共済だった

我が家は夫の実家であり、その家は元々は夫の祖父→夫の父→夫の母と世帯主を経て火災が起こる4年前に私たち家族が引っ越して住んでおり、一番期間の長かった夫の父が世帯主だった時に火災共済に入った状態のままであった。また、家財保険も何年か前に夫の母が保険見直しのタイミングで解約していた。

いざとなったら保険で何とかなると漠然と思い、我が家の保険がどのようになっているのか分からない状態で4年間も住んでいたことは今となれば恥ずかしい限りなのだが、私はこのことを被災して初めて知った。
また、火災保険と火災共済の違いもよく分からないままだったので色々調べると、共済では保障される限度額が低い可能性があるということだった。
特に今回の我が家の被災は住める状態ではないが全焼とまではいかず、再取得価格(同等の建物を新築するのに必要な見込額)が満額の査定で下りたとしても、築60年の鉄筋コンクリート造で古いうえに解体費用もかかる造りのため、更地にするだけでもお金はかなりかかるだろうと思えた。
ちなみに我が家が入っていた火災共済では全焼だった場合にもらえる保険金は再取得価格の半額という計算だった。仮に家の価格が3000万円だったとしてももらえる保険金は1500万円ということだ。足りなすぎる。

被災して間もなく(たしか5日以内だったと思う)、実際に家の被災状況を見て保険金額を決定するという鑑定士がやって来た。
ここでいかに被害を受けたかを大きくアピールすることが大切だと親戚からも言われ、少しだが掃除をしてしまったこともよくなかったと言われた。
被害が大きければ大きいほどもらえる金額は大きくなるということも知らず、夢中で煤を拭き取ってしまったことを一瞬間違えたかとも思ったが、あの時はそうしなければ気が収まらなかったので仕方がない。

鑑定士がやって来た日は夫と、アドバイスをいろいろとくれた押しの強い親戚の叔父が立ち会ってくれて、今はこんな状態だが実際はここまで煤が上った、水位はここまであった、などとアピールしてくれたようだった。
そのおかげか、満額とまではいかずと最高限度額の約7割の保険金がもらえる査定が出た。
(鑑定士の人に掃除をしたことを正直に話したようだが、掃除してもしなくても被害状況は分かったので査定額は変わらなかったよと言われたようだ)

これは予想外でびっくりしたし良い結果でホっとしたが、保障内容や金額から見ても個人的には共済よりも民間の火災保険に入っていた方がいいと思った。実際、私たちはこれを機に住宅保険を見直し、被災時の仮住まいにかかる費用なども出してくれる火災保険+500万円の家財保険という手厚いものに切り替えた。
(※家はリフォームの準備中の空き家状態であったが、万が一その状況で再度放火などで被災する可能性もゼロではないので、家が無保険である状態を回避させるために共済からの保険金支払いの確認&解約とほぼ同時くらいから民間の保険を掛けました)

③下りる保険金金額が分からないうちからリフォームの打ち合わせ

上記の正確な査定額が出たのは被災してから約1か月は経っていたと思う。
しかし、それまでに家を再建するためのリフォームの打ち合わせも初めていた。

リフォームが必要な主な部分として
・解体&撤去&造成(1階のお風呂、洗面台やクローゼット部分、キッチン、リビングの床、天井、壁)
・外壁の塗装
・洗面台、システムキッチン、ユニットバス、エアコンの設置
・天井ライト
・建具2か所
・窓ガラスの取り換え3か所
・システムキッチンの配置により出窓の撤去&新たな小窓の設置

さらには、せっかくの機会ではあるのだから床暖房にしたいと思いガス管を床下に張り巡らせる床暖房も希望した。
この時点での見積もりは約1800万円。
保険金がいくら下りるか分からない状況での見積もりなので、希望を最大限に盛り込んだプランで現実的ではないが、リフォームでもこんなにかかるのかとクラクラした。
特に見積もりで大きく占めるのは解体&撤去費用で、リフォームを始めるスケルトン状態にするまでにはどうしてもかかってしまう費用ということで削るわけにもいかず、火災保険金の大きさを痛感した。
自分が希望しているわけでもないリフォームで1800万円というのは家を購入したことのない私たち夫婦にはもちろん人生で一番大きな出費であり、悔しい出費でもあった。

査定が終わり、下りた保険金から1100万ほどがリフォームに使えると分かってから、さらにリフォーム内容を精査していき、最終的には1300万円で工事をお願いした。(床下暖房は諦めました…)
それでも私たちは保険金で賄えなかった200万円を貯蓄を切り崩して自腹で支払うことになり、泣けてきた。これから子どもたちにもお金がかかるというのに…頑張って稼ぐしかない。

④火災を起こしてしまった整備士からの見舞金

火元となった工場は類焼保険に入っていなかった、そして従業員が起こした火災ということで大家夫婦に賠償責任を求めることもできない、という泣き寝入りしかできない状況の中、火災を起こしてしまった整備士から見舞金を持って謝りに来たいという申し出があった。
弁護士に相談したときにも、このような場合では示談で解決するしかないようであったし、我が家がどのような状態になったかを実際に見てもらい、そして大切な家族が亡くなってしまったやり場のない気持ちや怒りを整備士と顔を合わせて一度向き合わなくては、と私と夫は思っていたので断ろうとも迷ったが受け入れることにした。

正直なところ、夫はサチの件から正気をだいぶ失っており悲しみと怒りでしばらくの間様子がおかしかったし、整備士や大家に関する話題になると怒りの感情が露わになっていたので顔を合わせて感情的になってしまうことが心配され、私も一緒に立ち会うことにした。

故意に起こした火災ではなく不注意(整備中に飛び散った火花の後処理が仕切れていなかったことによる火災)であるとも聞いていたので私は整備士にも同情したが、きちんと謝罪を受け入れてお互いに向き合うことが必要なのだと言い聞かせて毅然とした態度で迎えた。

予定通りの時間にやって来た整備士は申し訳なさそうにあまりこちらを見ないまま謝罪の言葉とお金の入った封筒を手渡してすぐに帰ろうとしたが、夫が家に上がるように促し1階、2階と被災状況を案内し、最後にこの部屋で猫が亡くなったということを伝えた。
夫の目は悔しさでいっぱいで、途中で感情的になって泣いてもいたが、整備士はそれに対して「すみません…」と小さく言うだけで、これ以上は彼に求めることはできないのだという絶望的な現実を感じたし、夫の言葉が宙に浮いてしまっているような悲しさだけが続く、本当に本当につらい時間だった。

でも同時に、整備士をこれ以上恨む気持ちを持つことの方がつらく苦しい時間であるとも分かっていたので、私たちは前を向くしかなかった。

⑤賃貸物件への引っ越し

被災して3ヶ月半後、子どもたちの通学路の途中にあるアパートに空室があることが分かり、交渉を続けた結果、ようやく住まいが決まった。
敷金と礼金が必要な物件ではあったが、リフォームが終わるまでの数か月だけの仮住まい前提であるという我が家の今の事情を不動産会社に説明し、前の人が退出した後にハウスクリーニングをしないまま入居するという条件で敷金礼金無しで住まわせてもらうことになった。
それにしても、今回の被災で私はずいぶんと図太くなったと思う。
言ったもん勝ち、言わなきゃ損、というシチュエーションを何度も経験する中で、自分でも自覚するくらいかなりの仕上がりとなっている。

家賃は駐車場込みで67000円。
整備士からもらった見舞金はすべてこの仮住まい費用に充てることにした。

エアコンなし、1LDK+ウォークインクローゼット。
ガスコンロはリサイクルショップで安く購入し、冷蔵庫はジモティでタダで譲ってもらった。電子レンジは友人から借り、トースターは新しく購入。
棚と子どもたちの洋服ラック、こたつ机は無事だった部屋から運び出した。
ソファは放水で水に浸かったがしばらく天日干しで乾かしたら使用できそうだったのでカバーだけ交換した。

カーテンは友人が展示品ならタダで譲れると声をかけてくれたので、それをいただいた。1枚ずつの展示品なので対になっておらず窓の両側のデザインがそれぞれ違うようになったが、それでも目隠しになるには充分であったし、お金をかけたくなかったのでありがたかった。


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