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まるでハリボテだった過去。

当時は"渦中"だったから、こんなに冷静に自分のことを見れていなかった。けれどこうして書き出してみると、自分にとって大切な変化のきっかけが溢れていた。そんな会社員時代のことを少し振り返ってみました。

1.ネガティブだった自分からの脱却

私が前職で10年強勤めていた会社は、いわゆる"自己啓発"にとても力を注いでいた会社でした。入社したきっかけも、会社独自の"人としての在り方を大切にしたい"という想いに共感して「この会社で働いてみたい!」と思ったから。

その会社には、毎月の課題図書や提出物、"気合い注入的な勉強会に参加必須"という、仕事以外の独特のカリキュラムがあった。そして、人として良く在る為に、自己成長の為にも"必要な時は寝ないでも働きましょう"という方針の会社だった。仕事はとにかく忙しく、誰かに必要とされることが嬉しくて、在籍期間中はプライベートよりも仕事中心の生活を送っていた。

もともと心理学やスキルアップのための学びが好きなので、激務は辛かったけど自己啓発に関しては「嫌だなぁ」という感情はそこまでなく、150回以上の勉強会と数々の書籍を読んでは、感想やまとめレポートを提出し続けた。そのおかげもあって「ポジティブでいること」の大切さや「人としての在り方」の知識はかなり詰め込まれていた

勉強の成果として、どういう"立ち振る舞い"の人が「素敵」で「格好良い」のか。そして「人から愛される」のかを知っていた。そして、誰からも素敵で格好良い自分に見られたい私は、常に周りをよく見て「笑顔で」「明るく」「元気に」「人のために」「どんな時もポジティブに」「仕事に打ち込むこと」を心がけて行動してきた。その甲斐もあって社内では「会社のイメージにぴったりの人です」「私も◯◯さんみたいになりたい」と言っていただける機会が多かった。激務が続く中でも、「この会社に入って色々と勉強して経験できたから、今の私があるんだな。」と、感謝していた。数々の叱咤激励や経験と知識を糧に、なんでも人のせいにして、ネガティブでマイナス思考だった自分から脱却できたことが、とても嬉しかった。

立ち振る舞いの正解だけを知っている私はまるでハリボテのようで、心が置いてけぼりになっているとは気が付かずに...。


2.ふと感じた違和感

そんなある日、仕事で急な変更が入って対応していたところ、後輩にさらりと言われた言葉があった。

「◯◯さんって、どんなに忙しくても理不尽なことがあっても、前向きですよね。いつもポジティブすぎて心配です。もっとなんでも吐いてくださいね。」

ん?と思いつつポジティブであることがスタンダードだった私は何も考えずに「大丈夫だよ^^ありがとう」なんて調子で返答した。

けれど、その後ふとした時に、度々その言葉を思い出すようになった。「ポジティブすぎて心配...?ってどういうことだろう?」

うーん...。「ポジティブでいいじゃん」「確かに理不尽なこともあるけど、吐いてもしょうがないし。」と、そのたびに思いつつも、少しずつ自分の中で得体の知れない違和感を感じるようになってきた。


「思いや行動はポジティブなんだけど、心が置いてきぼりになっている。」

と、今なら言語化できるけれど、違和感を感じ始めた当初は、たびたびその言葉を思い出しては"なんだかよくわからない自分の中のちぐはぐ感"を抱いていた。


3."ちぐはぐ感"が後の原動力の一つとなる

なんとも言えないちぐはぐ感を、ふと思い出しては抱き、また忘れて日常に戻る。と言ったことを4〜5年ほど繰り返していた。少し考えてみては

「ポジティブってダメなこと?」「うーん、やっぱり良いことだよな」

と立ち戻る。そんな思考のループを繰り返している時に、私はコーチングと出会った。「コーチングを受けてみよう!」「コーチになる!」と決めた理由は他にもいくつかあるけれど、この"ちぐはぐ感"もきっかけの一つなのだ。


今現在は会社を退職し、子育てに奮闘しながらデザイナーとして仕事をしている。コーチングを受けてからは、身も心も軽やかで自分らしく心地よく暮らせている。もちろん今でもよそ行きの顔はあるけれど、ガチガチに鎧と盾を纏って、まるで"ハリボテ"のように取り繕って生きていた私からは想像できないほどに。

あの時の私に、温かな言葉をかけてくれてありがとう。大切な気づきを与えてくれてありがとう。数々の良い出会いに気づいて行動できてよかった。そして当時の私、すごく頑張っていたな。ありがとう。


CiTRON

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