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西武線の広告の謎を解く

今日乗った電車でヘッダー画像の広告を見かけた。いたって普通の広告だが、「西武線を」の「を」は果たして助詞として適切な使い方なのかどうかが気になった。

「乗る」が取る助詞は「に」が一般的である。「西武線に乗る」なら違和感がないと思い、試しにコーパスで調べてみたところ、概ねこの感覚で間違ってはいなさそうだった。「を」に続けたいのであれば、動詞を変えて「西武線を何度も使うと」みたいにした方が自然な気がする。

とはいえ、大手鉄道会社が大々的な広告でそんなあからさまに間違った文章を書くとも思えない。何か理由があるのではないかと車内の他の広告を見回していたら、同じキャンペーンの別広告に次のように書いてあった。

西武線の同一運賃区間・・・・・・を月3回以上乗ると50ポイントもらえる

このキャンペーンでポイント付与されるための要件が具体的に書かれている。「乗る」の対象は「同一運賃区間」のみ。「何度も」は「月3回以上」でなければならず、「ポイントもらえる」とは「50ポイントもらえる」が正確な情報であると確認できる。見るに、こちらがキャンペーン広告の詳細版であり、先ほどのものはアイキャッチに使う概要版なのだろう。

ここでふと「西武線の同一運賃区間・・・・・・を乗ると」であれば、違和感が少ないことに気づいた。「区間」とは乗り物ではなくいわば距離であるから、より適切な動詞を取るのであれば「区間を乗る」ではなく「区間を移動する」と書いた方が自然であると思う。もっとも、「渋谷-新宿間を山手線に乗って移動した」を端折って「山手線の渋谷-新宿間を乗った」と表現するのは、少なくとも口語レベルでは十分に通用しそうな感じがする。

ポップさを大切にしたい広告で「移動する」を動詞に取るのはどこかカタい印象を与えるし、「乗る」以外に良さそうな動詞も見当たらない。だから詳細版では「西武線の同一運賃区間を何度も乗ると」と書くことにした。そして、それを更に短くして具体的な要件(同一運賃区間の乗車に限る)を省略した概要版では、「西武線を何度も乗ると」と書いた…という可能性はないだろうか。

当初、概要版のドラフトには「西武線の同一運賃区間を何度も乗ると」と書かれていた。だが、アイキャッチの機能が肝心な概要版では、パッと見て情報が頭に入ってくる必要がある。「月3回以上」という具体的な要件も「何度も」と簡略化して記載しているのだから、ここも同様に省略してはどうか。社内チェックの際に上席からそんな指摘があった。だから担当者は「の同一運賃区間」の記載を削除した。結果、「西武線を何度も乗ると」の十文字が生まれた──。

というのは、社外向け文書の作成に日々頭を悩ませているサラリーマンが妄想ともいえる想像を馳せて書いた仮説にすぎない。だが、我が身を振り返っても十分有り得そうな話で、とても他人事とは思えなかった。シンプルにしようと部分的に修正を重ねていった結果、全体として見たら違和感のある構成になっていたなんて出来事は、決して少なくない。

仮に上記の説が事実だったのであれば、冒頭に記載したとおり「西武線に何度も乗ると」「西武線を何度も使うと」のような記載に改めるべきだったように見える。一方で、「西武線に何度も乗ると」とだけ書いたら、ただ何度も西武線に乗りさえすればポイントが貯まるという誤認を与えないだろうか…と葛藤する担当者の心の声が聞こえてきそうである。であればせめて「※同一運賃区間のご乗車に限ります」といった注釈を添えられなかったかとも思うが、この十文字がそんな葛藤の末に世に放たれたものなのかもしれないと思うと、「文法」という名を得た常識を振りかざして物言うことなど到底できない。

週末、妻が西武線の特急Laviewに乗り友人と秩父へ遊びにいった。その話をきっかけに眺めていた広告でこんなに一人議論が捗るとは思ってもいなかった。西武線の広告の謎は謎のままだが、明日からの仕事に向けたマインドセットは、奇しくも準備万端である。



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