見出し画像

Lost in Alsace

アイコンの謎の生き物の名前は、「きなこ」といいます。

きなこは、妻が大学生になって上京したときに、実家から連れてきたナマケモノのぬいぐるみです。妻は別の黒い猫のぬいぐるみに「佐藤君津(さとうきみつ)」という理解不能な名前を付けるぐらいなので、もはや「きなこ」の由来を尋ねようとも思いません。手のひらより少し大きく、ボサボサの毛がどこか愛らしい、とぼけた顔の小さな友人です。

きなこは、今まで2人でどこに行くときも一緒でした。夏に訪れる蓼科への旅行はもちろん、妻の実家に帰省するときや、最近ではちょっと出掛けるときもバックの中にひっそり隠れていました。食事の時間になるとテーブルの上に出てきて、一緒に写真を撮るのがお決まりでした。

しかし、昨年7月の新婚旅行で訪ねたフランスの旅路、きなこはいつの間にか姿を消してしまいました。


Paris

旅先にフランスを選んだのは、学生の頃に読んだ大崎善生の小説の影響です。「アジタンタムブルー」の舞台になったニースや、「ユーラシアの双子」で主人公が立ち寄るコルマールの情景描写が忘れられず、いつか訪れてみたいと思っていました。

行きの飛行機では予約に手違いがあり、妻とぼくの席が縦並びという事態に。ぼくの両隣は、どちらもフランス人と思しきご婦人でした。ご両名が夜通し映画を観続けるという洗礼を浴びせてきたため、煌々と光る画面に照らされてぼくは全く眠れませんでした。

この記事のタイトル画像は、最初に訪れたパリのリュクサンブール公園で撮った写真です。きなこはいつも少し上を向いて空を見つめているので、そのまま後ろ向きに噴水の中へ落ちやしないかと、ひやひやしながら撮ったのを覚えています。

ぼくはパリを訪れるのは2回目でしたが、夏のパリは活気に満ち溢れていて、モンマルトルの高台から一望するこの街の上には、突き抜けるような青空がどこまでも続いていました。

画像1

モンマルトルの中心にあるテルトル広場には、所狭しと画家が自分の作品を並べていました。広場を何周かして、エッフェル塔とセーヌ川の畔が描かれた小さな油絵を買いました。決め手は、「この絵の空の色、わたしたちが見てるパリの空の色と同じだね」という妻の言葉でした。

この時季のフランスではそんな珍しくないのかもしれませんが、後に訪れたアルザスとニースでも晴天に恵まれたため、旅行中はずっとこの青空を見続けることができました。その絵は今、家のリビングの一角を飾っています。


Strasbourg

パリに4日間滞在した後は、TGVでストラスブールへ向かいました。妻は会津の生まれ。美しい山並みに囲まれたアルザスの盆地は、彼女にとっても、きなこにとっても、パリより親しみを覚える場所だったのかもしれません。

木組みの建物と運河を眺めながら街を歩いていくと、ストラスブールの代名詞「プティットフランス」が姿を現しました。それは、かねてからイメージしていたアルザスの景色でした。

広場にあったレストランで注文したのは、メロンとサーモンのボウルサラダと、平皿いっぱいのスペッツェル。スペッツェルはアルザス地方特有のパスタで、ドイツ風のパスタとしても知られています。

でき損ないのショートパスタのような形状で、もっちりとした噛み応えは日本のすいとんに近いものでした。鮮やかなトマトピューレのソースがかかっていましたが、パリの食事とは違い、どこか垢抜けない感じがかえってぼくらをリラックスさせてくれました。いつものようにきなこと一緒に写真を撮っていると、それを見た店員の若い男性が優しく微笑んでくれました。

画像2

食後、ストラスブールの歴史あるレストラン「メゾン・カメルツェル」の前を過ぎたところで、オルフェーブル通りという細い路地を見つけました。どうやらここがお菓子の街の異名を持つストラスブールの一等地らしく、道に面したディスプレイにマカロンやタルト、チョコレートを美しくあしらった店が軒を連ねていました。

歩き疲れて入った喫茶店で、アルザス発祥のお菓子クグロフと一緒に、妻ときなこのツーショットを撮りました。妻は、両目を閉じて慈しむようにきなこを抱えていました。

それが、きなこの最後の写真になりました。


Colmar

ストラスブールからコルマールへは電車で30分。序盤のパリで歩きすぎたのもあって、車内では2人でうとうと。スーツケースを慌ただしく手に取って、コルマールの駅に降り立ちました。

閑静な住宅街の奥にあるホテルにチェックインして、旧市街へ向かいます。コルマールは「絵本に出てくるような街」と聞いていましたが、本当にそのとおりの素敵な景色が広がっていました。建物の陰で男性2人が奏でていたチェロの音色は、これ以上にない贅沢なBGMでした。

画像3

コルマールの2日目は、ワイナリーツアーに参加しました。ぼくは専ら日本酒ばかり飲むのですが、訪れたワイナリーで試飲させてもらったアルザスワインはどれも強く記憶に残っています。

照り付けるような日差しと厳しい乾燥のもとで育ったリースリングやマスカットは、それぞれが持ち味を存分に発揮していたように感じました。特に、リースリングの奥行きある果実味と爽やかともいえるドライな後口が印象的です。

リクヴィルで眺めた一面のブドウ畑は、この旅行で一番の思い出になりました。

画像4


Lost in Alsace

「きなこがいない」

妻がそう言ったのは、1軒目のワイナリーで試飲をしているときでした。いつもなら彼女のバッグの中に控えているはずのきなこがいない。

そういえば、前日の夕飯のときも一緒に写真を撮らなかった。取り出さなかっただけだろう。きっとホテルで待ってる。2人でそう言って頷き合ったものの、ホテルに戻って部屋をいくら探しても、彼の姿は見当たりませんでした。

拙い英語でフロントの女性に頼み込み、前日のストラスブールで立ち寄った喫茶店に電話をしてもらいました。スマホできなこの写真を見せながら、こんなぬいぐるみの落し物はなかったかと。しかし、フロントの女性は首を横に振るばかり。

「きっと電車に置いてきたんだ」

昨日電車を降りるとき、ぼくらは少し慌てていました。妻は、車窓から見えるアルザスの田園風景をきなこにも見せてあげようと、腕で抱えながら眠っていたことを思い出しました。多分、降りるときに座席の上に置き忘れてきたのだと思います。それを思い付くや否や、足早にコルマールの駅に向かってLost and Foundの窓口を叩きましたが、今日見つかった落し物はこれだけだと、小さな車のおもちゃを差し出されただけでした。

「SNCF(鉄道会社)のウェブサイトで、遺失物の捜索依頼ができる。あとは、ストラスブール駅のLost and Foundに行ってみるといい。こっちの駅よりずっと大きいから」。コルマールの駅で言われたこの言葉を頼りに、次のような説明を添えて捜索依頼をしました。

A stuffed sloth. I lost her on the train bound for Basel from Strasbourg. I realized I lost her after getting off at Colmar. She has a white face, fluffy body and small white tail. 15cm tall.

翌日ストラスブール空港からニースに向かう予定であったため、いずれにしてもストラスブールの駅にはまた立ち寄ります。元々この日の午後は、コルマールの北にある「オークニクスブール城」を訪れる予定だったので、泣きじゃくる妻をなだめながらお城に向かうことにしました。

今思い返せば、きなこがもう帰ってこないということを、このとき既に2人ともわかっていたのかもしれません。

この日の夜、ぼくらはホテルの部屋で泣きました。学生時代、妻と付き合い始めた頃は「何だよこの変なぬいぐるみ」とからかっていたのに、気付けば、きなこはぼくにとってもかけがえのない友人になっていました。妻はともかく、三十路を目前にした男があんなに泣くとは思っていませんでした。

翌朝、目を腫らしながらストラスブールの駅のLost and Foundを訪ねたものの、窓口の方の英語が不自由なこともあって、まともに取り合ってすらもらえませんでした。一昨日乗っていた電車の終着駅はスイスのバーゼル。それを思うと、きなこはもうこの辺りにはいない可能性もありました。

正午過ぎ、ぼくらはアルザスを後にしてニースへ旅立ちました。
妻のバッグにぽっかりと空いた隙間は、ずっとそのままでした。


Tokyo

帰国後も、SNCFのLost and Foundのページに返信が届いてはいないかと、妻は毎日朝晩欠かさず確認をしていました。フランスでの落とし物についてネットで調べていると、ぬいぐるみが見つかったというエピソードを見かけることもありました。しかし、とぼけた顔のナマケモノに関する連絡は一向に来ませんでした。

妻のフランス在住の知人を頼って、コルマールの観光案内所にも確認してみてはどうかとアドバイスをもらったりもしました。観光案内所にメールで問い合わせるとすぐに返信をくれましたが、残念ながら手掛かりとなる情報はもらえませんでした。

I’m really sorry to tell you that here at the office we do not have found your wife’s doudou, you can maybe try at the town hall they also have a lost and found service (03 89 20 68 68).
For the train station I don’t have any other email address to sent your demand to, sorry again.

日本にいるとき、普段きなこは家のテレビ台の上に座っていました。彼がいつも持っていたミニチュアの青い傘だけが寂しそうに置かれてるのを見るたび、何故あの日コルマールで電車を降りるときに確認をしなかったか、居なくなったことをその日のうちに気付いてあげられなかったかが悔やまれました。

「きなこはきっとフランスで元気にしている」
「アルザスののんびりした空気が気に入って、きっとそのまま住みたくなったんだね」

と妻と笑い話にしようとしても、思い出すのは、コルマールのホテルで泣いたあの日の夜のことばかりでした。

きなこは、妻の親戚がその昔アメリカのお土産に買ってきてくれたものでした。不運にもタグが取れてしまっていたので、今となってはその出身も定かではありません。ネットで必死に検索をするも、似た顔のナマケモノのぬいぐるみすら見つかりませんでした。しかし、そんなことを続けて何日か経ったある朝、ぼくはふと思い立ったように妻にこう言いました。

「きなこを、誰かにもう一度作ってもらえないかな」


Message

妻が知っていたいわゆる「ハンドメイドアプリ」というもので、たまたま見つけた作家の方と連絡を取ることができました。メーカーによってはオーダーメイドのぬいぐるみを受注してくれるところもあるようでしたが、1体限りの依頼に応じてくれるところはほとんど無かったのです。

個人制作をされている方であれば、こんなお願いも聞いてくださるのではないかと思い、不躾ながらも、次のようなメッセージをその方にお送りしました。

突然のご連絡失礼いたします。
●●様の作品を拝見して、一つ制作のお願いをお引き受けいただけないかと思いご連絡いたしました。

わたしは、東京都に住む会社員です。先日、妻とフランスに新婚旅行へ行った際、妻が長年連れ添った大切なぬいぐるみを失くしてしまいました。15cm程度の大きさであり、移動中の電車で落としたようです。駅やその他の思い当たる場所に問い合わせてみても一向に連絡は来ず、旅行以来、妻は傷心の中にいます。

このぬいぐるみは、妻が学生時代に、親戚からアメリカのお土産としてもらったものです。何処に旅行するときも、妻は一緒に連れていました。生憎、タグが無くなってしまい、どこで購入されたものか等、今となっては確認する術もありません。再購入は期待できず、遠いフランスの地で今更見つかるとも思えないため、一旦は諦めようかとも思いました。

しかし、全く同じものではなくても、そっくりなぬいぐるみを再度作ることならできるのでは・・・と思い、検索を進めるうち、●●様の作品に行き着きました。どのぬいぐるみもとても穏やかな表情をしており、どこか、妻が失くしたぬいぐるみと似ている気がしました。お写真を拝見する中で、ナマケモノのぬいぐるみをご作成されたこともあるとのことで、偶然とも思えないように感じています。

つきましては、このぬいぐるみをもう一度妻の手元に届けるために、お力を貸していただけないでしょうか。重たいお願いであり、ご無理申し上げていることは承知しております。失くしたぬいるぐみと全く同じものが戻ってくるとも思っていません。ただ、●●様の作品やプロフィールにご記載の想いを拝見して、少し希望が見えた気がしたのです。大変厚かましいお願いではございますが、ご相談に乗っていただけないでしょうか。

プロフィールを拝見し、熊本にお住まいのように見受けられました。仮にお引き受けいただき、ご都合がつくようであれば、妻と一緒に熊本に直接伺うことも辞さない所存です。

お忙しいところ恐れ入りますが、ご検討いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

翌朝、その方はすぐにお返事をくださいました。

とても心のこもったご連絡をいただきまして、ありがたく拝見致しました。
現在、別件の製作に着手するところです。その仕事の後でよろしければ、お申し出をお受けいたします。

ちなみに、ぬいぐるみの胴体はワタではなく、砂状のペレットというものだろうと思いますが、如何でしょうか? 頭のみワタを詰めようと思います。手先と足先も、もしかしたらワタかもしれません。今思い出される諸事項をお知らせ下さい。・・・

そのぬいぐるみの事でお気付きの事はなんでも良いですので、教えていただけると助かります。宜しくお願い致します。

このメッセージを見たとき、大袈裟かもしれませんが、フランスから帰ってきてから妻の一番の笑顔を見た気がしました。それからというもの、これまでに撮ったきなこの写真を何度も見返し、少しでも制作のヒントになる情報はないかと毎晩のように妻と話し合っては、その方とメッセージを交わす日々が続きました。

最初に連絡を取り合ってからおよそ2週間後、その方から「中間報告です!」とメッセージが届きました。ぼくと妻は、目を疑いました。

画像5

「きなこだ!きなこがいる!というか、寝てる!」

アプリのメッセージのやり取りだけで、ここまで再現ができるものなのかと驚くばかりでした。その方の類稀な技術があってこそのことなのでしょう。

奇しくもこの日の朝、SNCFから遺失物の捜索を打ち切る旨のメールが届いたところでした。そのショックを吹き消すかのように、この写真を見て「お前そんな姿勢で寝転べたんかい!」と妻と散々笑いました。きなこがまた家に帰ってきてくれる日が、本当にやってくる気がしました。

制作者の方は、休日・平日を問わず、細かな修正に関するメッセージのやり取りにとても真摯に対応してくださりました。ここまで来ればもうやることは1つしかありません。

この方に直接会って、御礼がしたい。
そして、本当に納得のいくものを作りたい。


Kumamoto

制作者の方に快諾をいただき、昨年8月の最初の週末、ぼくと妻は熊本に向けて出発しました。火の国、熊本。アルザスとはまた違う陽光の強さにたじろぎつつも、教えていただいた住所のお宅に向かいました。

制作者の女性は、メッセージの文面から思い描いていたとおりの素敵な方でした。お話によれば、美大を卒業された後、長く海外で創作活動に勤しまれていたとのこと。ぬいぐるみ制作をお仕事にされていた時期もあるそうです。案内されたアトリエにはいくつもの石膏やキャンバスが置いてある傍ら、かわいい動物のぬいぐるみたちが肩を並べていました。きなこはこの空間で、今にも生まれ変わろうとしていたのです。

画像6

制作中のきなこは、テーブルの上で待ってくれていました。妻はきなこを両手に取ると、その形、重さ、手触りを確かめるように愛でていました。そして、2人のツーショットを撮りました。アルザスで離れ離れになってから、およそ2か月ぶりの再会でした。

ご当地のスイカをご馳走になった後、実際に手に取ったきなこの感覚を制作者の方にお伝えしました。このときは、表情や手足の太さなどに、まだもう少し修正の余地がありました。口頭でのお願いにも限りがあるので、東京に戻ってからまたメッセージで連絡をすることにして、お宅を後にしました。

「またね」という妻の声を聞いたきなこは、いつもと変わらぬとぼけた顔をして空を見上げていました。


Kinako

制作者の方には、その後も本当に細かい修正に応えていただきました。仕事でもそこまでしないのに・・・と思うような細かい注文を繰り返すぼくらに対して、毎回「精一杯やってみます!」と優しいお返事をくださいました。

そして8月26日、きなこは新しい誕生日を迎えました。
「この子と早く会いたい」という妻の一言が、完成の合図でした。

9月上旬、きれいな南国の草木を彩った箱に包まれて、きなこは我が家に戻ってきました。定位置であるテレビ台の上に座り、お気に入りの青い傘を持たせてあげると、そのとぼけた顔も笑っているように見えました。彼の少し長いフランスの旅は、この日やっと終わりを迎えました。

きなこが帰ってきてくれたことは、ぼくと妻にとって何よりも嬉しいことでした。しかし、制作者の方に送った御礼のメールへのお返事を見て、今回のきなこの旅が、ぼくらにもっと大切なものをくれたことに気付きました。

このきなこちゃんの誕生は、三人での共同作業だったと思い返しております。私の方が御礼を申し上げたい気持ちでおります。

●●様の奥様へのお気持ちが伝わり、動かされました事と、奥様のきなこちゃんを思うお気持ちが深かった事とで、私のエネルギーが三倍以上に働いた結果生まれてきたように感じます。何事も目に見えない事柄がいかに尊いものであるのかと、思い知らされていると思っております。・・・

お二人にお会いできたことを感謝しております。
きなこちゃん、末永くよろしくお願い致します。お元気でお過ごし下さい。
沢山の大切なお気持ちをありがとうございました!

きなこは今日も、とぼけた顔で空を見つめています。
きっと、ブドウ畑に臨むアルザスの空も。

画像7

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?