見出し画像

憧れのバトンを繋ぐ

今日、採用活動のお手伝いの一環で、大学生と話す機会があった。うちの会社に興味があるという就職活動中の学生に、これまでの仕事の話や入社したきっかけなどを話す。いわゆるOB訪問だ。

待ち合わせ時間に受付へ行くと、コートを提げ、背筋を真っすぐにして立つ小柄な男性が目に付いた。ピカピカのリクルートスーツがまぶしい。

ビルの場所はすぐわかりましたかとアイスブレイクをしながら、エレベータに乗る。来客用のラウンジへ向かい、端っこの静かな二人席に着いた。木目調のテーブルの端に、窓から差し込む光が陽だまりを作っていた。

数日前、もしよければ話をしてあげてくれないかと同僚から頼まれて受けたOB訪問。予め聞いていた話の印象どおり、ぼくが仕事の話をしている間、一瞬も目を逸らさずにメモを取っているほど生真面目な学生だった。うちの会社に関係する話題のニュースもよく読んでいるようで、自分が当時いかに適当な就活生だったかを思い返し、なんだか居たたまれなくなった。

ひと通り仕事の話をしたところで、彼は「少しお話は変わるのですが」と丁寧に前置きをしてから、ぼくがこの会社に入った動機を尋ねてきた。OB訪問ではよく受ける質問。特に繕いもせず、いつもどおりの話をした。

さっきも書いたように、ぼくは適当な就活生だった。一緒に働きたいと思えるような人との縁に恵まれ、今もこうしてここで働けている。

奇しくも、ちょうど今日の彼が会ったぼくと同じ、10年目の先輩だった。部署もたくさんあり一緒に働ける可能性の方が低いとわかっていながら、ほとんどそれだけが入社動機だった。憧れる人に出会えたことだけが。


入社して10年。幸いなことに、採用活動に携わる機会にも恵まれた。学生インターンの受入対応を担当していた時期もあったし、採用活動のイベントに顔を出すこともあった。

学生時代、ぼくは留学をしていて、採用活動が本格化する直前まで海外にいた。身寄りもない心細い状態で、適当な就職活動をしていたからだろうか。未来と真剣に向き合っている学生を前にすると、何とかして力になりたいと思ってしまう。

10年前に比べ、働き方に対する社会の考えは変わった。禍のせいで夢を諦めざるを得なかった学生の心境、価値観は察するに余りある。

そんな彼らにぼくの声は届かないだろうと思いつつも、繕いもせず、いつもぼくは憧れたあの人に出会ったときの話をする。信じるものが変わってないといえば聞こえはいいが、そんな話しかできないといったほうが正しいようにも思う。

だが今日、向かいの席で耳を傾ける彼の目は、みるみるうちに輝きを増していったのだった。人事担当でこそないが、自分の言葉が相手に届いたときの顔はわかる。いつの間にか、メモを取る彼の手の動きは止まっていた。


「今日はお仕事のお話を聞けてよかったです。でも、それ以上に、今後の自分の考え方というか、憧れるものを見つけられたような気がして」

終わり際、彼は今日を振り返りそう語ってくれた。そして最後に、「今の自分がやっておいた方がいいことはありますか」と尋ねてきた。一時間前とはまったく違う、リクルートスーツにも負けないほどのまぶしい表情で。

ぼくは、自分が夢中になってきたものを誇りに思い、その過程すべてを大切に見つめ直してほしいと答えた。それが、今も何とかしてここに立っていられるぼくから彼に伝えられるすべてだった。

成果を上げてなくてもいい。道半ばでもいい。自分がどうしてその道を選び、どうやって歩いてきたかを知ってほしいと思った。そうした過程、判断の基準となってきた考えや想いを結び付ける糸こそ、自分が大切にしたいしあわせであり、価値観と呼ばれるものに他ならないと思うからだった。

仕事は一人じゃできないし、仕事にモチベーション高く向き合うためにも、自分という人間を知り、伝えられることが大切だと思っている。

人となりは、過程によく表れる。結果よりも、それを課題と捉えた際の思考や感情、解決に至るまでの試行錯誤のプロセスに滲み出てくる。

文章と似ている、と思った。洗練された文章は、磨かれた原石にも似た、最後に残った核のようなものである。磨かれる間に削がれた思考と感情は捨象され、いくつもの言葉が浮かんでは消えていく。

それでも文章は、結果ではなく、過程そのものだと思う。少なくとも過程を伝えることができる。

書いた文章には、その人自身の思考、価値観、人柄などがありのままに表出される。文は人なり。そう思ってここに言葉を置くようになって、早3年が経とうとしている。人となりを交わし合うための語る言葉、綴る言葉に、ぼくはどこかずっと惹かれ続けているのかもしれない。

今日会った彼に、そこまでは伝えなかった。彼には関係のない話だし、彼は、ぼくが思っていたよりずっとたくさんの気持ちをもう受け取ってくれたように見えたから。うれしかった。何より、ぼくの思い込みかもしれないけれど、10年前に受け取ったバトンを渡せたような気もした。

とはいえ、バトンを渡し切るにはまだまだ早い身。渡せるバトンは1つじゃないし、あんなふうに輝く目を見られるのなら、もっと前を向ける。今日ここに置いた言葉たちが、そんなぼくをつくっていってくれるといいなと思った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?