短編小説:永遠の課題

この世に学ぶものがある限り、きっと皆が挑み続ける永遠の課題。

あなたもきっと、考えたことがあるはず。
はるか昔の、ある者の未来についての話。
(約2000字)(再掲作品)




雨がざあっと降っていて、辺りは夜や藪や枯れ草になっていた。男がきいきい門の裏のはしごをおりて、よっと地面に降り立とうとすると、そこにつると蛇が滑ってきたので、「やや」と男は足をおどらせて、やがてそのすぐそばの石畳にそっと足を着けた。雨で濡れたものを踏んづけて、まぬけに死にたくないからだ。落ち着いて、荷をよいしょい直した男のかかとにぬるり、と、触るものがあった。この世でないような感触に、男は思わず声を出した。

「お前蛇かい」「蛇だよ」
「ここへ何しに」「ねずみとりに」「へえ、俺今、上でねずみになったところだ」「じゃお前食えるかい」「喰えねーよ。見てわかんだろ」「お前こそ」

ちっちっち。ぬるりはそう笑った。「お前蛇にしちゃ頭がいいと見える。冗談もわかる」
「人間の目線からはな。俺はお前と話せても何も得るモンがない」
「なんで俺たち話してるんだっけ?」
「別に話しちゃいかんって規則もないだろ。そう書いてない」「じゃ話すか」

ちっちっち。男は名乗ろうとしたが、人間の顔なんか見分けがつかん、と言われたので、やめた。男も大して人間の顔の区別はつかない。まして蛇の区別などつくわけがない。代わりに、影と影の間を揚々と歩いて門の上で体験したことを話した。今雨宿りに使っている女物の着物は、それなりだ、と話をしめた。目利きが正しければな。
お前たちほど自分で勝手に価値つけて、高騰下落してる連中もないよ、と蛇のぬるりは言う。

「罪の話だっけ。知らんけど。作り話か知らんけど。ガワ一枚余計なのは見てわかるがね」
「老婆から剥いだものだ」男は少しむっとする。
「でそのバアも蛇売りの女の死体から剥いでいたと。バアからお前も剥いだと。俺はヒトは男女しかわからんが蛇を食った奴ならわかるよ」「本気かよ?」
「少なくともその。そのガワに剥がれてたヤツは蛇シメてないよ。何となく生きてるけど、なるべく死にたくないから」

わかるよ、と言う。男は二人分の袖の女の方をいじる。

「許されたかったんだろ。免罪符って言葉もうあったっけ、めん・ざい・ふ。悪いことをする理由づけが欲しかったんだろう。知らんけど」「ああ、知らん」
「じゃ、悪・悪・悪、成敗・上等・御免。悪をもって悪をって納得するんだろ、人間は」
「ああ、納得した。だから今、ガワ一枚余計に着てる」「なるほど?」

正義の価値が下がったこの時世では、なおさらのこと。
ちっちっち。

「人間は立派に死んだり無駄死にしたりするね」「するねえ」
「俺たちは別に考えもしないけどね。例えば俺を除いて」「へえ、」
「たらふく食うのも飢えるのもだめな生き物、なんて面倒だよ、まったく!」

男も面倒だと思う。
ちっちっち。

「人間ってさ━━エラいやつとか、イイやつとか━━あるいはワルいやつとか、どっちかにどうもなりたがるみたいだな?」「そうだな。なりたかったな」

男は昔、たいそう偉い人物になるつもりでここまで来た。そしてこの間まで学び働いてきた。だが、そうもいかなくなった。そこで今さっき、悪事を働いた。たいそう悪いことをして、なお開き直った心持ちで門を降りてきた。そして今ぬめりと共に、荒れた都を見ていると、どちらの気持ちもくだらなく思えてくるのである。

「なりたかったけど、やめとくかね。今、どっちも必要なさそうだからな」
「俺らは昔からそうだから、この俺は不思議だよ。食って、育って、子を作って。途中のどこかで食い殺されても、そいつがまた育っていくから別に苦とも思わんのよ」
「土の上で死んでも?」「土の上で死んでも」

ちっちっち、 の、 あと、  しばらくざあっと雨は降っていて、夜の色を覆っていた。

「ま、俺は蛇だし」
「だな、俺は人間だし」
「互いに好きな風に、やりたいように生きようぜ」「おう、よく言った」


雨がやんだ後、男はその辺で火を焚いて、その辺の木の棒で刺したその辺の蛇を食べた。
「意外といけるなこれ」そう言いながら、ぬるりの蛇の顔は忘れんだろうなあ、と思った。



男はたいして自主性もなく、ぼんやりと生きてきたが、門の上で追い剥ぎをしてからたいそうよく働くようになった。荒れた都でそれなりに悪名も知れ渡り、いくつも悪事を打ち立てたが、特に語るようなほど大犯罪をやったわけでもない。蛇の逸話も知らない。
かの男について語ることもなくなったから、男の行方は誰もどうでもいいだろう。その時代の検非違使らと共に藪の中。


ちんちろり。




2023.1.18 〜 2024.4.12
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