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アメリカ移住、起業までの私

日本からアメリカに移住し起業するまでの私の経歴をお伝えします。

●日本での経歴
●アメリカ移住のきっかけ
●移住後から独立まで(動機)

【日本での経歴】

日本の食品商社で海外事業部、
企画開発部で7年勤務しました。
海外事業部の仕事は輸入(商品開発)、
輸出(海外営業)、企画営業も行っていました。

一年間で約150日は国内外の出張に出ており、
訪問国は10カ国で海外滞在期間は
年間で100日を超えており
海外では商品の買い付け、新商品開発、
試作、製造立ち合い、
アメリカ、シンガポール、ドバイ、
台湾、中国、ベトナムなどへ
新規顧客の開拓、展示会参加など
様々な経験を積むことができました。

パスポートを増刷して
足りなくなるぐらいでした。笑

【アメリカ移住のきっかけ】

アメリカ出張の際、得意先の商社から
ヘッドハンティングをもらったのが
最初のきっかけです。
当然最初は日本からアメリカに
移住することに躊躇しました。
しかもヘッドハンティングの待遇は
日本より高いアメリカの物価を
考えると差ほど好待遇でない事から悩みました。

しかし私の心を一番動かしたのは
ある人からの言葉でした。
「日本は2050年には人口が
1億人を切って9000万人を下回る、
一方でアメリカは人口が3億人を超える。
人口が増加している。
経済は人口×お金。
特に食品は人口×胃袋=経済だ。
人口が増え経済成長する場所で
挑戦した方が夢があるんじゃないか?」

その言葉がすとんとお腹に落ち、
日本の市場の狭さ、社会の狭さに
違和感を感じたいた時でしたので
全てを捨てても挑戦しようと決めました。

日系の米国企業でしたので、
当初は駐在員としての転職の話でしたが、
あえて断り現地社員として
アメリカに行かせてくれと懇願しました。
周りからは待遇を考えれば
絶対に駐在員の方が安定しているし良い。
多くの人にいわれましたが、
アメリカに骨を埋める覚悟でしたので
甘えは無用と決意し現地採用として
アメリカ行きが決まりました。

結果、駐在員と現地採用では
天と地の差の待遇で更にアメリカの
物価の高さから転職前よりも
実際の給与が下がり、大変な思いをしました。

しかし、この低待遇と環境の辛さが
自分のバネとなり
アメリカで一旗揚げたいという
意欲に結びつきました。

おそらく駐在員で好待遇の暮らしをしていては
起業には繋がらなかったでしょう。

【移住後から独立まで】(動機)

移住、転職後は低待遇でしたが、
米国企業ということもあり定時に仕事が終わる。
想像していたバリバリ仕事をするアメリカの
イメージはそこにはありませんでした。

もともとワークホリックだった
自分は物足りなさを感じました。
勿論、与えられたノルマ、成果をだせるよう
努力し結果を残しました。
また、全米の各地に出張に行けるよう
新規顧客の開拓と仕事に注力し
様々な州に出張に行き、風土、環境、
顧客、物流、人種など沢山の貴重な
経験を積むことができました。
出張にいけるように仕事を作る!
それが私の仕事への情熱でした。

3年間会社勤め、
米国の商習慣、物流システム、
経済の仕組みを学ぶことができました。

そこで分かった最大のポイントは

アメリカは対企業のビジネスではなく、
人と人がビジネスする

企業の看板ではなく個人の力や
個人の信用信頼でビジネスが作られる

この概念は日本ではなく、
歴史や企業規模などを重んじる
日本経済の考え方を覆す経験ができたことが
起業への動機でした。

実際、日本とアメリカでは
年間の起業数(スタートアップ)に
大きく差があります。
69,760社(世界1位)、日本は588(世界23位)
(引用:Startup Ranking)
開業率から見れば開業率が高いほど、
起業者がより多くなるほどGDP、
経済に良い影響を与えることになるのです。

それで世界一のスタートアップ国にいるなら
自分も挑戦してみよう。

もともと野心家の私は個人の力を
最大限に挑戦できるのはアメリカ。
そのアメリカにいるのであれば
起業するには今しかない。
当時28歳の時に起業を決め、
半年間で起業準備をし30歳になる
直前の29歳の時に起業しました。

起業準備に関してはまた別の機会に
お伝えします。


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