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我慢しすぎな私たち。もっと「嫌いなこと」の話をしよう


昔、とある先輩に「仕事ができる人って、どんな人ですかね?」ということを聞いたら、「空気が読める人!」と答えられました。


空気が読める人は、もちろん仕事がはやい。誰からも嫌われない。けど……


ここ数年、メディアや小売、音楽業界なんかの常識がガラガラと崩れゆく中で、「周囲の人間関係の空気を読んで、現場を円滑回せる」だけでは、どうにも「船が沈んでるぞ〜〜〜」という空気までは読めなかったりするんじゃないのかなぁ、と思うようになりました。

だから年々、「空気を読めずに発言する人」が重宝されている傾向にある。

みんなが思っているけどなかなか言えないこと……をズバッ!と言ってくれる人は、その嗅覚の方向性さえ間違っていなければ、良いチームを作りやすいし、ビジネスチャンスも掴みやすいものです。

しかし、我々日本人。小学校、中学校、高校、大学、会社員生活……と、長らく空気を読むことが大切だと教育され続け、その染み付いた常識を大人になった今「壊す」なんて、そうそう出来ません。


そこでオススメしたいのが

「今から、嫌いなことを話しませんか?」

という時間を作ってみること。


先日、とある会社で私がこう提案してみたところ、その場にいたみんなは「え、いいの…??」という感じで目配せしたあと、どんどん「これが実は苦手なんです」「私も、これは違うと思っていた」「ここは改善したほうがいいんじゃない?」という胸の内が、それはそれは続々と出てきたんですね。


会社で働いている人は、(いや、フリーランスの人も、経営者も)何かしらみんな少しずつ「我慢」していることが多い。でも日本人は「我慢」に慣れちゃってるから、それをみんなが許し合いながら、組織を壊さないように、空気を読み合って運営されているなぁ、と思います。

一方、そのはけ口が、ツイッターだったり、飲み会だったり、昔から言われる「給湯室」みたいな井戸端会議になったり……というのは、ありがちな話ですよね。

だけど、それでは「はけ口」にとどまってしまって、愚痴を重ねるごとに、ムカつく上司のことはどんどんムカつくようになるし、同僚とは愚痴しか言いあわなくなるし、まるで生産性がありません。

ただ「愚痴」も、居酒屋や給湯室ではなく、会議室で、ちゃんとメモをとりながら話し合ってみると、めちゃんこ意義深くなるんじゃないかなぁ、と。それぞれの「モヤモヤ」をスッキリさせた上で「じゃあどうやって変えて行けば良いのか?」と考えていけば、それはただの「愚痴大会」ではなくなります。

私はいろんな会社にちょこちょこコンサルとしてお邪魔しているのですが、みんなが「これ、おかしいんじゃない……?」と気づいていながらも、無駄なことを積み重ねてしまう組織って、本当に多いと思うんです。


「上司がずっとやってきたことだから」
「この業界の慣習だから」
「ビジネスマナーだから」

とかとか....

誰もがホリエモン氏のようにガツンと「え、無駄じゃね?」と言える訳ではない……けれども、「我慢」の棚卸しは必要。組織の健康にとっても、働く人の心と時間のゆとりのためにも。



ということで、ここから下は、私の「嫌いなこと」の話をしてみたいと思います。完全に好き嫌いの話なので、「社会的な価値」とは切り離して読んでください(笑)。

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