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ポカリスエットの少女たちが、大人になる頃



友人が風邪をひいたらしい。一人暮らしの風邪が辛いことはよく知っているが、家族でも恋人でもない人間からの「看病に行こうか?」は、ちょっと重すぎやしないかと悩ましくなる。「何か出来ることある?」だと、相手は遠慮してしまう気がするし。そんなときにちょうどいいのが「ポカリとか、買っていこか?」


これがちょうどいい。実際に買っていくのはアクエリアスかもしれないし、OS-1かもしれないが、ポカリという商品名はもはや「ちょっとした優しさ」という状態を表す言葉のように、私たちの側に寄り添ってくれている。私も、しんどい時に飲むポカリが好きだ。(ただ、ああ見えてかなりの糖分が入ってるので、寝る前に飲んだら絶対に歯磨きしなきゃいけないよと歯医者さんが言ってましたが……)



先日、この世の春を全て詰め込んだような60秒の映像がポカリスエットのCMとして世の中に放たれて、憂鬱なタイムラインが途端に華やいだ。


ポカリのCMといえば、日本の広告業界の花形中の花形。大物女性俳優の登竜門。……という期待値の高さを軽やかに超えてくる緻密で美しい映像美! 公開されるや否や、広告に携わる人、映像クリエイター、多くの知人友人がこの60秒に拍手喝采、そしてさまざまな考察が始まった。魅力的な作品は人を饒舌にするものだ。

これまで、ポカリのCMが公開されれば、「まぶしすぎる」「青春が楽しかった人に向けたCM」という囁きも少なからずあったけれど、今回は、マジョリティ側の青春像……という訳でもない。ふたりの少女が手を取り合って、脇目も振らずに駆け抜けていく表現は、これまでの王道を壊す意欲作だ。

そもそも、汗を流す機会の多い運動部や体育会系の若者たちを応援し続けてきたポカリスエットだというのに、今回運動部のユニフォームを着た生徒の群れをかき分けて逆走していく少女は、文化部的な空気を纏う。多数派に馴染めず、美術部で、運動が苦手だった私も、中学時代にこのCMを観たらきっと魅了されていたはずだ。




けれども、最後。少女の乾いた喉を潤すポカリスエットを見て、「あぁ、ペットボトルか……」と思った。残念に思ったのだ。


──



大塚製薬のポカリスエットには、たくさんの選択肢がある。ペットボトルの他にも、缶のタイプや、水で溶かして飲む粉末タイプ、さらにはそれを持ち歩くのに適したサーモスボトルなどを展開してくれている。そんな中で、私はここ数年「ポカリを買うなら、粉末」と選ぶようにしている。そのほうがずっと環境負荷が低いんじゃないか? と思うようになったからだ。


そもそもここ数年、私はポカリに限らず、出来るだけペットボトル飲料を買わないようにしている。それから、ペットボトル飲料にまつわるお仕事も、環境負荷の面を考えれば「買ってください!」と大きな声では言えないよなぁと思い至るようになり、何度かお断りしてきた。

べつに、ペットボトルだけが敵! という訳じゃあない。むしろ回収、そして水平リサイクルが比較的しやすいペットボトルは、プラ容器の中でも比較的「マシ」な分類に入るのかもしれない。

大塚製薬も、2007年にはポカリスエット(500ml)をエコボトルに切り替え、従来製品から約30%もペット樹脂を削減していることから、年々マシにはなっているし、さらには同社が掲げる「プラスチックビジョン2050」では、将来的な「化石資源由来プラスチックゼロ」を掲げている。長期的に見れば、今後はもっと環境負荷が低くなっていくのだろう。

(2050年は29年先で、私が61歳になっている未来。そこをゴールにしているということは、まだまだ長い道のりであることは想像に難くないけれど……)



しかも、ペットボトルはプラゴミ全体のうち、たった6.5%※。そこを私が個人的に買い控えたとて、さほど意味はないだろうなぁという虚しさも、あるっちゃある。より大きなものに目を向けず、身近でわかりやすいペットボトルがスケープゴートにされている……って声もある。


話は変わるが、Googleへの課金をケチっている私のGmailは、すぐに容量がいっぱいになる。そこで、最近受信した無駄なメルマガばかりを、ちまちまと削除していても日が暮れてしまう。だから動画や画像が添付された重いメールから順にソートして、そうしたものから順に削除、削除、削除。そうしなきゃ、バカみたいに手間が増えるばっかりだ。ちなみに、プラゴミの中で割合の大きなものは、包装や容器類らしい。


ぷらごみグラフ2

プラスチックゴミの分野別内訳(2017年)MASHING UPより


だからこそ、台湾のセブンイレブンやファミリーマートが実験的に始めた、リユースできる容器などは効果的なのかもしれない。容器を返却するとデポジットが戻ってくるらしく、子どもの頃、お祭りでラムネ瓶を買ってもらって、瓶を返しに行ったら小銭を返してもらった記憶が蘇る。


けれども。けれどもですよ。

ペットボトル入りのお茶やスポーツドリンクに関しては、外側や仕組みを大きく変えなくっても、環境負荷の低い手段が既にある。

ポカリには粉末があり、緑茶や紅茶には茶葉がある。目新しいことばかりがニュースになるけれど、前からあって、合理的で、環境負荷が低いのであれば、それを大きな声で「よくね?」と言いたい。


もちろん粉ポカリでも、ゴミはでる。けれども輸送コストは目に見えて低い。わざわざ遠い地域で容器に詰めた重い水分の塊をトラックでどんぶらこと送ってもらうよりも、自宅の水道から出る水をジャーッと注いだほうがずっと輸送にかかるエネルギーは少ないし、(水道料金の地域差はあるけれど)コスパも良いし、環境負荷も低かろう。

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(手のひらサイズの1箱で、なんと5リットル分も作れてしまう!)

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(ブルックリンの集合住宅に住んでいた頃は、
水道水があまり美味しくなかったので、浄水器をつけていた。)


こういう話をしていると、「子どもの頃は、粉のポカリも飲んでいたなぁ」という話が出てきたりもする。確かに子どもの頃は、親が麦茶やポカリを作ってくれて、それを水筒に入れて持ち運んでいた……という思い出が私の中にもある。(銅製の水筒が錆び付いている場合などは、酸性のポカリを入れることはNGらしいので要注意)


けれども一人暮らしをする人が増え、コンビニが普及して、食生活もすっかり変わった。コンビニでチキンを買って、歩きながら腹を満たす時代に、わざわざコップとスプーンを使って粉ポカリを薄めて飲む手間は、手間なのだ。

そんな時代の最中でも、去年と今年は様子が違う。ステイホームがまだまだ強いられる中で、お茶やコーヒーを自宅でゆっくり淹れる機会が増えた人も多いだろう。そうしたタイミングだからこそ、屋外飲食に便利なペットボトルをあえて推すのではなく、「粉末って便利だし、環境負荷も低いよね!」というCMがあれば良いのにと、一縷の望みを抱いてしまうのだ。

大塚グループでは、環境の取り組みにおける重要項目の一つとして「資源共生」を設定しており、その中でも、特に近年、世界規模で深刻な課題となっているプラスチック資源循環や海洋プラスチックゴミに関して、当社としても喫緊に取り組むべき命題だと考えております。

プラスチックステートメント|大塚ホールディングス


……と、「喫緊に取り組むべき命題」だと掲げるのならば尚のこと。



けれども、ヒット商品を間接的に否定するような、そんなテレビCMを見れる機会は、そうそう訪れはしないのかもしれない。もっとも、あれだけの豪華な映像、つまり潤沢な予算が充てがわれるというのは、ペットボトル飲料が沢山売れる便利な商品であるからに他ならない。


クリエイターにとって、これほど視覚表現に振り切った「作品」とも呼べるものに、潤沢な予算を出してくれるクライアントは、そうそういない。もはやパトロンと呼んで良いほどの存在なのかもしれない。多くのクリエイターが持てる技術を最大限に注ぎ込み、多くの若者が「あんな映像を作りたい!」と未来を描いただろう。ここであらためて、もう一度CMを観ておきたい。(私は既に10回は観てしまった!観すぎて酔った)


脳裏に焼き付くのは、美しい10代の若者の希望や未来。

けれども彼女らは、上の世代が積み上げてきた負債を「押し付けられる」側の世代なのだ。同社が「化石資源由来プラスチックゼロ」を掲げる2050年、その中枢として社会の責任を担うのは、40代半ばに成長した今の中高生たちだ。

若者たちに美しくて自由な未来を本当に手渡したいのであれば、綺麗なものを綺麗だねと愛でるだけではなく、綺麗なものの裏に隠されたものを探し続けなきゃいけない。自分が完璧ではないことを自覚して、それでも少しずつマシになるように、行動を変えていかなきゃいけない。

私は、美しい作品が好きで、美しい作品を作る人たちのことも好きだ。だからこそ美しい映像作品は、現実から目を背けるための道具であって欲しくないと願うのだ。








(ここからは『視点』購読者に向けたあとがきです)

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。