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アメリカに来て、日本人だと自己紹介をする中で、浮き彫りになってきたこと

(8月3日 10:50 全体的に加筆しました)



「NYに行ったら何をするの?」
「あなたは、何をしにNYに来たの?」



何百回とそう聞かれて、ずっと答えに迷っていました。

「パートナーが移住したがっていて……ついてきました」だなんて答えた後には、主体性のない自分に少しガッカリしてしまい……。


大学時代にアートマガジンを作った時も、会社員時代にクリエイティブのPRにジョブチェンジした時も、これまで、あらゆる仕事を「なんで、これがないんだろう? おかしくない???」という疑問からスタートさせていた私なので、悲しいかな、疑問がない状態ではモチベーションも湧かない。


でもNYでいろんな人種、国籍の人と話していると、自己紹介の段階であちらから「え、なんで??」の質問の嵐になる。そうすると、だんだん私にも疑問が生まれてくる。


たとえば、こんな感じ。



「あなたジャーナリストなの?※ どんな記事を書いてるの?」
「ジャンルは様々なんだけど、新しい領域を開拓したり、先進的な働き方をしている人たちを取材しているの」
「いいね!なんでそういったテーマにしようと思ったの?」
「えっ…………現状、それが出来ていない社会があるから、かな……??」
「それはなぜ?」
「えっと、日本では……」



という時や、


「どうしてマイは今の働き方をしているの?」
「仕事が忙しすぎて、体調を壊してしまった時期があって……」
「え、なんで?!辞められないの?!」


……という時も。

※私の仕事は(記事広告も作るし、PRもするし)日本で言うジャーナリストとは少しずれてる気がするんだけど、Blogger=ライフスタイルやファッション系メインだと思われがちで、Writer=作家だと思われがちで、やっていることを全てアメリカ人に説明したら「それはつまり、Freelance Journalistだよね?」と言われたので、ひとまずそうしてます。アメリカでの適切な肩書きを知りたい…!


自己紹介をするだけなのに、「日本は……」とネガティブなことを紹介してしまう自分にうんざり。素晴らしいことや、ポジティブなことを伝えたくてメディアを始めたはずが、これじゃ日本のネガティブキャンペーンじゃないですか……と。


そんな時に、LGBTにまつわる生産性の話や、東京医科大の受験問題を見て、深いため息が出てしまう。


でも「残念だな」「悔しいな」という思いでいっぱいになるよりも、「じゃあ、自分が良いと思ったものを伝えてくべきでは???」というモチベーションを掻き立てられる。


当たり前だけれども、NYにはありとあらゆる人種がいて、価値観も様々。働き方も多種多様。ふと移動中の車で相乗りした人だって、私にとっては魅力的な取材対象者になります。(LyftやUberで相乗りした人と普通にすごく喋ったり、Instagramのアカウント交換したりする……アメリカすごい)


出会うのはもちろんアメリカ人だけじゃなくって、世界中の(少し欲深くってビジョナリーな)人が、そこらじゅうで生活している。誰の話を聞いても、みんなそれぞれ違う。え、この状況、めちゃくちゃ面白くない???? とドキドキしてくる。


あらためて、記事を書けて、それを発信できることの嬉しさを再確認する。


私はNYで様々な働き方をする人や、マインドを取材することも出来るし、それを日本語で伝えまくることが出来る。

「自分に羽根はないのに、なぜか文章には翼がある。」

あらためてこのフレーズをキラキラと思い出してしまう。



ネガティブなことばっかりじゃない。


日本人だと自己紹介をすると「TOYOTAの車ヤバいよね、壊れないよね!」だんて話を何度も聞く。(むしろ壊れる車ヤバくない?)

ANAもJALもロストバゲージがめっちゃ少なくて感動する。(むしろロストバゲージ前提なのもヤバくない???)

そのたびに、日本って、すっばらしいなぁ、品質最高だなぁ、と嬉しくなり、誇らしくもなる。


日本はクレーム大国だけれども、それ故に息苦しいところも山ほどあるけど、逆にそれで磨かれている製品強度や品質があることも事実。ここで最所あさみちゃんのnote『日本が「世界のデパート」を目指すべき理由』を引用させてください。


例えば、掃除機で有名なダイソンが、新商品を本国より先に日本市場に投下するという話は有名です。

日本の消費者は品質への要求レベルが高く、日本人に受け入れられさえすれば、どの国で販売しても受け入れられるというのがその理由なのだそうです。

ちなみにこれは卵が先か鶏が先かという話と同じで、日本のあらゆるプロダクト・サービスのレベルが高いために消費者の「当たり前」レベルが上がり、それにあわせてさらに商品やサービスが改善されていく、というスパイラルの成せる技なので、急にどこかの国が真似しようと思ってもなかなか真似できるものではありません。

この「簡単に真似できないこと」をきちんと強みとして自己認識し、その強みが発揮される環境を整えることは、個人だろうと会社だろうと国家だろうと等しく重要な考え方です。

大手メーカーだけじゃなくて、日本の職人(クリエイター)のレベルは異常に高いらしい。

私のパートナーは学生時代、チームラボのインスタレーション作品の音や音環境を作ったりしていたのだけれども、それをNYのクリエイティブプロダクションの人なんかに伝えると、「チームラボにいたの? じゃあ、あなたの技術力は安心できる!」と認識されることもあるらしいのです。

こちらのアートギャラリーなんかを巡っていると、インパクトやコンセプトが強烈な作品は多いけど、とにかく作りが雑だったりする。「品質」に限って言えば日本のアートはぶっちぎりに精度が高いな……と思わされます。(もちろん、それは作品を構成する一部でしかないとは思うのですが……この話はmilieuでアーティストのAKI INOMATAさんが書いてくれています)


NYのアート作品は、一見すると作りが雑でビックリするけれど、とてもパワフルで、重層的な意味を内包するものが多い。自国の政治的な状況を踏まえ、社会問題への提起となっているような、ポリティカルで力強い表現が多いのにも、圧倒されている。


もっと言えば、電車のシステムなんて、私が住んでいた東京や大阪の方が、NYよりもよっっっぽど先進的。そもそもNYはその知名度や評価の高さにあぐらをかいている点が多々ありすぎて……(特に公共機関の質の低さには毎日キレそうになるんだけど、このあたりを愚痴りだすと1万文字くらいになるのでやめときます……)



と、色々と書いてみたのですが。まだ本格的に移住して1ヶ月。何を現段階でエラそうに……という感じですよね。そうなんですよね……。


でもきっと、会社に馴染んでいない新入社員の「金魚鉢理論」というものがバズっていましたが……

①水槽に金魚がいます。水槽は会社。金魚は社員。

②水槽の真ん中に透明な板を入れ、金魚を片側に寄せます。

③しばらくして板を抜いても、片側へ行く金魚はいなくなります。
※社員は既成概念に囚われて動かなくなってしまう。

④新しい金魚を入れると、”何も知らない”がゆえに自由に泳ぎ、残りの金魚もつられて移動するようになります。
若いパワーが組織を柔軟にする!


私はNEW金魚、もとい新参者であるからこそ強く感じる違和感もあるし、慣れていない今、無知である今の状態から見える世界は、今のうちに書き留めておきたいなぁ、とnoteを爆速で書いてみています。


さて。ここからは、クローズドな内容になります。この疑問を抱いた状況で、これから具体的にやりたいことを全部書いてます!

milieuやnote含め、各メディアの計画と、住み分け、マネタイズ(これをちゃんと考えないと、ビジョンだけで進むと半年で貯金が尽きて帰国しなきゃいけなくなる……)について。コミュニティだと言われまくっている編集界隈ですが、私の理想とするギルドについても書いています。


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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。