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『映画字幕翻訳者と殺人狂スパイと幽霊の声』 第6話「生きものたち」

 カンカンと足音を響かせながら一階へ下りる。そこは建物の裏側で、誰もいなかった。表に回り込み、駐車場を突っ切る。銃声は外にも聞こえたのか、あるいは逃げだした人々が伝えたのか、周囲には野次馬もいなかった。警察の姿もまだ見えない。車道を挟んだ向こう、車を停めてあるコインパーキングを目指す。そのとき、パーキングの入り口横のコンクリートブロックに貼られたポスターに黒い点が打たれる。警視庁、都道府県警察が取り締まる銃器犯罪の対策ポスターだ。ピストルに赤い禁止マークが重ねられ、『拳銃110番報奨制度』を伝える文章が書かれていた。弾痕はピストルの銃口の先にうがたれていた。悪い冗談だ。いま通報すれば、お金がもらえるのか?
「やつだ」
 うしろを見る。わたしから数メートル離れた、職業安定所の駐車場に銃を構えるスキンヘッドがいた。こちらとにらみ合った状態で互いに制止している。クラウスは弾切れだ。どうすれば……。

 助けは天から降ってきた。そう、降り注いできたのだ。カラスが禿げ野郎の頭にフンを落とした。むき出した白い肌にべちゃりと粘液が付着する。彫られたタトゥーが描くマーク――どうせ危険思想を主張したものに違いない――を鳥獣の排泄物がどろりと覆う。カッとしたやつは上空を旋回する黒い鳥に銃を向け、呪いを込めた鉛の塊を何発も放ったが、命中せずに弾が尽きたようだった。そこへ、カラスが急降下し、やつを襲いはじめる。さらには、それまでどこにいたのか突如、空に出現した何羽ものカラスたちも襲撃に加わり、白い頭は黒の羽飾りに包まれた。

「いまだ! 走るぞ!」
 千載一隅のチャンスに感謝し、クラウスとわたしは駆けだす。希望を抱いたわたしはクラウスの背中を追うように車道を渡り、コインパーキングに足を踏み入れた――そのとき、小さな丸い影が足元に現れ、そのまま前を進んでゲートバーも越えていく。頭上を何かが通過したのだ。その何かはちょうど、わたしたちが目指す車のフロントガラスに落ちて跳ねる。正体はすぐにわかった。真っ黒なパイナップル。手榴弾!
 急に首が絞まり、うっと声が漏れる。コートの襟をうしろから強い力で引っ張られた。クラウスがわたしをゲートバー横の清算機裏に引きずり込む。直後、轟音が耳を襲う。クラウスはわたしに覆いかぶさる。すっぽり包まれたことで何も見えなくなったが、突風と無数の塊が押し寄せ、清算機と雨よけテントに暴風雨を浴びせたことはわかった。いまの爆発は人間が生み出した科学兵器によるものだが、まるで地上から生じたいかずちの音と、水平に降り注ぐ雹みたいだった。軍隊の兵士はこんなものを体にいくつもぶら下げ、戦場で互いに投げ合っているなんて理解が及ばない。

「出るぞ!」
 クラウスの声がする。彼の覆いが外され、再び夕陽がわたしを赤く染めた。パーキング内は粉塵が舞い、清算機やその他、あらゆるものに破壊の跡があった。わたしたちの車もフロントガラスは砕け散り、運転席は完全に破壊されていた。他の利用者がいなかったことは幸いしたが、駐車されている数台の車すべてが被害を受けていた。
 斜め向かいの安定所のほうを見ると、スキンヘッドがフン害の注意看板裏から出てくるところだった。地面には、切り刻まれたカラスたちの骸が転がっていた。
「走れ!」
 わたしたちは丁字路の直進道路に向かい、安定所とやつの前を横切って走りだす。丁字路の突き当たりにある薬局には、破片を受けて運転を誤ったと見られる大型の輸送トラックが突っ込んでいた。車道を斜めに横断して壁をつくるように停止しているトラックに後続の車が追突を重ね、混乱状態に陥っていた。偶然だが、結果としてスキンヘッドの進路を塞ぐ形となり、わたしたちの進行方向は開かれていた。突破口だ!

・・・
 
 手榴弾の炸裂から難を逃れたあと、全速力で逃げだした(その際、可能な限り周囲に目を走らせたが、巻き込まれた人たちにどれだけの被害が及んでいるのかはわからなかった)。
 火の玉のような夕陽が落ちていき青黒くなりつつある空は、斑点みたいな雲と相まって青あざを思わせた。その下で行き交うパトカーの群れ。わたしたちは彼らに発見されないよう、気をつけながら走っていた。定まった目的地があるわけではないが、立ち止まるのは危険だとクラウスに言われ、移動しつづけた。職業安定所で手に入れた情報を精査するためにも落ち着ける場所を見つけたかった。

 ドブ川にかかる橋の中央に来たとき、クラウスとわたしは足を止めた。橋を渡った先にタカシがいたのだ。どうやって回り込んだ? あいつはこの街の地理を熟知しているのかもしれない。うしろを向くとやつの兄貴がいた。絶妙なコンビネーションだ。挟み撃ちの状態になってしまい、しかも禿げ野郎はこちらに拳銃を向けている。
「飛び込むぞ」とクラウスはさも当然のように次のルートを指示した。橋からドブ川までは二、三メートルほど。
「無理だよ」
「死にはしない」
「ダメなんだって」
「何を言ってる?」
「……この川は有毒物質が垂れ流されてて、落ちたら死んじゃう」
「そんなバカな話あるか。仮に有害でも、あとで洗い流せばいい。さあ――」
「やめて!」
 体をつかむクラウスをわたしは暴れるように振りほどいた。落ちたら死ぬドブ川なんて大ウソだ。場所の問題じゃない。状況からも飛び込むべきなのはわかっている。だけど、このわたしに飛び降りるなんてできるわけがない!
 体を震わせるわたしを彼は当惑した表情で見つめていた。

「なら、ここで勝負をつけるか」
 クラウスは橋の欄干に貼り付けられた看板を力任せに引き剥がす。『火気厳禁』と書かれていた。
「君はここで頭を守ってしゃがんでいろ」
「それを楯にして立ち向かうつもり?」
「ああ」
 そんな板切れみたいなもの、防弾になるわけない。あいつの銃なら――そこで気づく。スキンヘッドが持つ拳銃はオートマチックピストルではなく、リボルバーだった。銃にはチェーンみたいなものがぶら下がっている。たぶん、この街の警察官から奪ったのだろう。
「日本の警官が持つ拳銃は、一発目が威嚇のための空砲らしいよ」
「本当か?」
「……自信はない」
「じゃあ、最悪を想定しておくよ。あのニューナンブ……いや、サクラだな。全弾装填されているとして、五発か」
 彼はそう言うと、貧弱な楯を両手で持ち、スキンヘッドのほうを向く。

 タカシはその場を動かず、こちらの様子をうかがっているようだ。兄貴が撃った弾が当たらないようにするためだろう、わたしと同様にしゃがんでいた。
 クラウスは走りだす。スキンヘッドは狙いを定めるように銃を構え直した。そして、発砲する。いきなり弾が出た。クラウスは看板でそれを弾き返す。二発目も弾いた。よくは見えないが、彼は楯をテニスのラケットさばきのように使い、弾を流すように弾いているのだ。三発目も弾き飛ばすが、その際に楯を落としてしまった。幸いにして、禿げ野郎も弾が尽きたようで銃を捨て、腰からナイフを取り出した。直後、クラウスは斜め前方にジャンプし、橋の欄干に足をかけると、さらに飛び上がり、三角蹴りみたいな動きでやつに渾身のキックを食らわせた。彼の硬いブーツが男の頬にめり込み、首が百八十度回転するんじゃないかと思うくらいに後方へ曲がり、そのままやつは倒れた。クラウスはすぐさまこちらを振り向き、早足で戻ってくる。

「殺したの?」
「確かめてはいないが、死んだはずだ。あそこまで首が曲がってるんだからな。ナイフ小僧を片付けてから、ちゃんと確認するよ」
 クラウスはスキンヘッドに背を向け、わたしもそうした。けれど、クラウスは殺気を感じ取ったとでもいう表情をし、禿げ野郎のほうを再び見た。やつは立ち上がっていた。目線はかろうじてこちらを向いているものの、頭部は首を回す体操の途中で止めたみたいに斜めうしろに反る異様さで、その巨大な体躯と相まって神話に登場する怪物を想起させた。ふらふらと上半身が左右に揺れており、口からよだれも垂らしているが、両の目は燃える野獣だった。生きているのが信じられない。男はレザージャケットの内側に手を入れると――手榴弾を取り出した! この距離だ、あいつだって爆発に巻き込まれるはずなのに。もう自爆もいとわない、やぶれかぶれなのか……そして、やつはピンに指をかけて――。

 銃弾が人体に食らい込む瞬間はもう何度も目にしてきたが、人が矢で射られるところを見るのは初めてだった。音もなく、針で突いたような静けさ。脇腹のあたりに矢が刺さったスキンヘッドは、見えない妖怪に生命力を抜き取られでもしたかのように膝をつき、、へなへなとその場に座り込んだ。手榴弾がコロコロ転がり、欄干の隙間から下に落ちる。直後、轟音と共に巨大な水柱が立ち上がり、雨を降らせた。まるで水神ミズチが現れたように思えた。
 矢を放ったのは学生だった。まだ中学生くらいの子供だ。アーチェリー部に所属しているのか、洋弓を持ち、上下ジャージ姿。ショートカットで、少年か少女か区別はつかない。その小さな狙撃手は、やったあとに自分のしたことを理解したようだ。矢を放ったままの姿勢で、呆然とした表情で立っていた。

 彼らはやってきた。ステンカラーコートを着た中年の男、ライダースジャケットを羽織る若い女、ブルーのツナギ姿でドレッドヘアの青年、ハットを頭に載せ、ベストにネクタイ、背広をきっちり着込む紳士もいれば、買い物袋を手に提げたラフな服装の主婦らしき女たちもいた。彼らはこの街を構成する細胞の一つひとつだ。生まれては死ぬを繰り返し、寄せ集まって〈街〉という巨大な有機体を成す彼や彼女。街は決してコンクリートジャングルではない。汗をかき、涙を流す、肉と情念が生い茂る熱帯雨林だ。いま、不要な異物の除染作業が始まった。

「兄貴!」
 タカシが呼びかける。群集の一人、ハットを載せた小柄な紳士が憎しみの環から離れ、こちらを向く。彼の顔――増女の能面が張り付いているように見えた――は見る者を戦慄させ、百戦錬磨の戦士であるクラウスすらも息をのんで硬直した。タカシは子犬のような鳴き声をかぼそく発したあと、わたしたちに背を向けて逃げだした。それから、紳士はまた憎悪の環の中に戻っていく。

「お前がやったんだろう!」
「動画で見たぞ」
「あんたが息子を殺したんだ!」
「許さねえ!」
「他に武器がないか確かめろ」
「マッパにしちゃえ!」

 スキンヘッドは殴られ蹴られしながら身ぐるみを剥がされ、ブーツ以外は下着も含めて脱がされた。この場にいる誰よりも大柄な巨人――駅前で暴虐の限りを尽くした悪鬼――は体を丸めて血と涙を流し、助けを請う哀れな家畜へと成り下がっていた。
 怒りと憎しみの環はさらに広がる。警備員は警棒、飲食店で働くコックは肉切り包丁。皆、職業に応じた武器を手にしている。ワイヤーの敷設作業をしていたとおぼしき労働者の凶器は銅線だ。スキンヘッドは肉を打たれ、関節を折られ、刃物で突かれ、皮むき器で生皮を削り取られる。白い肌は無数の裂傷で赤黒い裂け目が走り、おびただしい血で自身の体を赤く染め上げていた。丸まったその姿勢はさしずめ表面に飴がけをした豚の丸焼きだ。

「ゴーメンナサイ、ゴーメンナサイ!」
 スキンヘッドがたどたどしい日本語で謝罪を繰り返す。しかし、小麦色の肌をした赤毛で青眼の男が「日本語はわかんねえんだよ!」と英語で返した。
 鈍器が肉を打つ嫌な音。不快な生々しさという意味では、銃弾や矢よりも気分が悪くなる。主婦らしき女が手にした木製バットが白人男の頭頂部に勢いよくたたきつけられ、家畜は地面に横倒しになる。死んだのか? わずかの静寂。皆の加虐の手が止まる。が、家畜は全身をぴくぴく震わせ、舌を突き出し何ごとかわめく。生きていた。それは彼らにとって朗報だったのかもしれない。なぜなら、まだ痛みと恐怖を与えつづけることができるのだから。

「おれたちを舐めるなよ!」
「白豚が!」
「今日、結婚式だったのに……あんたたちのせいで!」

 憎しみで結束した、この街の人々の前で、外界からやってきた犬畜生などは、なすがままに殺処分されるしかない。
「行こう。彼らの獲物だ」
 わたしと同じく、呆気に取られてリンチを眺めていたクラウスが声をかけてくる。わたしはうなずき、彼らに背を向けて駆けだす。
 怒りと悲しみが入り混じった女の叫びと共に、電動ドリルらしき機械のうなり声が上がる。そして、生きものの悲鳴が街じゅうに響き渡った。

(第7話に続く)

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