見出し画像

寺尾聰の名曲『ルビーの指輪』を人気若手バンドが演奏している模様をたまたまNHKでちょっと目にした時にふと思ったことがあります。

これだけの売上があって、この実績があってといわゆる多くのファンを持つとされる人物や多種メディア関連のソフトがあります。
そうした数字を根拠にソフトファンに迎合した作品づくり、オマージュとは違うあくまでも‘売れるモノ’を目指して作られるカバーコンテンツについて正直、残るモノにまずなりにくいと言ってしまえば、現場の人間は企画を通す為に悩み多き日々を過ごしているのも確かなのです。

とはいえ、例えば音楽分野における企画モノで嘗ての名曲を現在の若手アーティストによるカバーは冒頭のNHKのケースを含めて数多あり、もしかすると手堅く数字を稼げる見込みがあるとの皮算用の連続なのだろうと理解できます。
しかし原曲のファンの同意を得るのは至難の技で、その観点の不足が概して見込み違いに終わることに気が付かない現状も継続されているように思えてなりません。

このプロセスへの理解、成功法則があるならば以下のパターンに倣う必要があるかと思います。

・原曲とカバーする側の関係性(拘り、人間的繋がり)が上手くインフォメーションされている。
・カバーする側の方向性への共感
・カバーする側が圧倒的なバリューをもったアーティスト
・カバーする側、される側、双方のファンである場合

以上のパターン以外でそれなりの数字を残すのは微妙と思われます。
そもそもの市場戦略として‘二兎を追う’という観点から始まっているからです。原曲ファンと現在アーティストのファンの獲得を目論む作戦です。これぞまさに‘二兎を追うもの一兎を獲ず’の諺どおり、思う程の成果を残せず終わるケースに該当する可能性をはらんでいます。

名曲には既に確立された格とファンの思い入れが尋常ではない点は見逃せません。
そこにどのように食い入る余地を模索できるのかが鍵で、流行りのトリビュートアルバムですが私は参加者の背景をよく調べるのですが、一番言ってはならないコメントを紹介します。

「◯◯をカバーしてみないかというお話しをいただいて」

これを見た瞬間、私は興ざめします。
つまり前提が何のためのトリビュートなのかと、最低限リスペクトや大ファンである基本ベースは共通項であって欲しいと思います。
トリビュートされる側がこの人に歌って欲しいというケースも御大クラスになるとよくあるパターンですが、営業企画と逆に分かってしまう結果、食わず嫌いに陥るのです。

その意味でトリビュートには見せ方、伝え方は重要だと感じます。良くも悪くも原曲イメージの固定化を崩す事に他ならないからです。
テレビ的には一過性の‘歌い継ぐ名曲’というテーマの番組はあって良いとは思いますが、アーティスト側のコメント次第で良し悪しは逆に見極められてしまう両刃の剣でもあります。

冒頭のNHKの若手バンド、それはそれとして、私にはやはり『ルビーの指輪』原曲の演奏が観たくなったという事です。井上鑑、山木秀夫、高水健司、今剛の珠玉のアンサンブルをバックに颯爽と歌い流す寺尾聰の飄々としたAOR感は、当時12歳のワタシも魅了されていました…まさにフィードバック現象です。

そんなことを思い出してしまうワタシはある意味、番組の意図に沿ってしまった視聴者だったのかもしれません。

6/4 野口五郎・福岡公演の模様です。
ソーシャルディスタンスを保ちながらの公演でしたが、会場の熱気は五郎さんの熱演に引っ張られるように始終感動で充満していました。意外なカバーも披露されました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?