映画の好きと面白いと嫌いとつまらない


映画紹介のYouTubeをしている(https://www.youtube.com/channel/UC_z3meRdSPkm-Ol6-emoYWA)なかで、
好きな映画であるか?
楽しい映画であるか?
面白い映画であるか?

という部分と

嫌いな映画なのか?
楽しくない映画なのか?
面白くない映画なのか?

の表現が難しい。ストレートにその言い方をすれば良いのかもしれないがそれはそれでつまらなくなってしまうことも考えてしまったりもする。

ただ、褒める…というより高評価を伝える場合は個人的主観での表現で十分だが、マイナス意見を言う場合は、映画の制作現場を実際に何度か観た経験から、感情論的かつ理由も述べずに「つまらない」とは言えない心境になることも事実。
それは映画の制作現場の一つ一つが真剣勝負であり、あの空気感をしれば、どのシーンにも全力で取り組む人たちが多くいるから。


本当の多様性は寛容性


単純に「面白くない」と思っても、それは個人の主観であることは忘れてはならない。加えて「面白くない」という意見を言う人の周りに「面白くないに同意する人」が一定数いると、自分の感想が「万人が思う正しい感想」と勘違いしてしまう場合もある。これは集団心理ともいわれるもので、そういった場所に「いや面白いよ」とは言いにくい雰囲気になる。これは同調圧力。

結局は映画の「面白い」「面白くない」はそれぞれの比率はあるものの、反対の意見や感想を持つ人もいることを考えなくてはならない。それは「配慮」というものであり「気遣い」とも言える。

自分が知る限りだが、
40年ほど前でも「映画好き」「映画マニア」の人たちは観た作品に対して
「ここがだめだった」
「あそこの表現はダサい」
「シナリオがツッコミどころ満載」
といったように「悪いところ」を押し並べて語り、その映画全体の評価を下げる傾向が強い人が一定数いた。それは今も変わらない。

その作品を見た上で「良かったところ」「面白かったところ」を語るよりも「悪かったところ」を語ることで、「映画通」であることを誇示しようとするように見える人も多い。これらの悪評を意識的に行っている人は、より強く「悪いところ」を言う傾向が見られる。

その「悪かったところ」を語る上でよく出てくるのが「重箱の隅をつつく」ような事案であったりする。でもその些細な事が、語っている当事者に取って許せないことの場合もあるだろう。


これが漫画原作の映画となるとその「許せないポイント」がいちょうの木のように枝分かれして収集がつかなくなる。
・あのエピソードがない
というのはもちろんだが
・あのカットは原作と同じ でつまらない
・あのカットは原作と同じ で良かった
と同じシーンでも賛否出ることが少なくない。
この1シーンや1カットだけで、その映画の評価そのものを決める人もいる。


その一方で聞いている側は、話している側の「些細なこと」はどうでも良かったりすることも少なからずある。
その映画に1mmでも興味ある人は
「そういった細かなことではなく、映画作品として面白かったのか、面白くなかったのか?」
を聞きたい人もいるだろう。
自分も興味という好奇心を刺激されたときに聞きたいのは、その人の『おもしろくなかった』ところよりも「見どころ」と「ポイント」と「事前知識がどれだけいるのか?」であったりする。もちろん人によって求める部分は違うのは大前提だ。

一方で鑑賞後だと
・自分の中で咀嚼できなかったところ、
・理解できなかったところ
を補完してくれる会話であったり情報だったりする。

さらに
・つならなかったところ
に集団心理が働くと
「自分がおもしろくなかったところは正しいんだ」
という安心感が手軽に手に入る。

しかしそこには成長はない。
・違う視点
・違う考え方
・違う感想
これらを受け止めて理解でき、受け入れることができてもベストだろう。これは「視野の広がり」にもつながることになる。

反対意見、反対の感想に過剰に反応する人もいるが、そういった人は自分勝手な正義感でしかなく、感情の許容量が少ない人だとは思う。
その結果が過剰な反応であったり過激な対応につながる人もいるが、そういう人に足りないのはネットリテラシーでもある。



SNSをはじめネット情報の「功罪」


SNSをはじめネット情報は「功罪」ある。
功績でいえば、共感する人たちとのつながりを構築できることだと思うが、罪状でいえばネタバレなどはその最たるものだろう。

そこに映画に対する「個人的主観が『過ぎる』感想」。それが特に悪評であったり低評価が目立つ傾向がある。

映画は1900円という(個人的に)高い料金を支払って観るものだからこそ「面白くない映画は観たくない」という心理は当然。それ故に「面白くない映画は面白くないとはっきりいうべき」という考えもある意味正しい。

でも「面白くない」情報の比率が多くなれば映画そのものを観なくなる人も増えてしまう可能性もある。そうなると映画作品そのものが作られなくなることにも繋がり、映画というカルチャーそのものにも影響が出る可能性がある。
一方でファンの感情的な発言が一番その映画を語っている場合が少なくない。最近のYouTubeでの反応をいただいたのが、松坂桃李くんと横浜流星くんのファンの方々。
ファン心理としてとても素直でストレートな感想やDM。リプライをいただけたのは記憶にも新しい。
そういった方々のファンである俳優が出演している映画や舞台の感想ほどシンプルかつ判りやすいものはない場合がある。
その際の感想動画 https://www.youtube.com/watch?v=ZLKMKl87p5k

発信する側、受け取る側


それぞれにネットリテラシーとモラルとマナーが高まることが、より良い映画が作られる土壌になっていくと思う。いっときの感情や感覚で、その人の評価に対して過剰に反応するのではなく、スルーすることも大切。

もっとも自分のYouTubeチャンネルでも、作品をアップするごとに低評価を入れるユーザーがいる。よっぽど暇なのか、よっぽど短絡的なのかはわからないが…自分には理解できない部分でもある。
低評価を入れるくらいなら観なければいいのに…と思うのだがこれはこれで自分の個人的な感想と対応策ではある。(個人的にはYouTubeを編集しアップをする大変さが分かるからこそ、どんな映像であっても低評価入れないスタイルです)

しかし、
映画を作る側。特にお金を出す側にも変わってほしい部分があるのだが、それはまた別のお話です。

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