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廣川麻子さん(映画『こころの通訳者たち』出演者インタビュー Vol.4)

「"舞台手話通訳"に"音声ガイド"をつける」という前代未聞の挑戦を追った映画『こころの通訳者たち』。そこには多様なバックグラウンドをもつ、魅力あふれる人たちが、知恵と想いを寄せ合い参加していました。

映画だけでは伝えきれない、出演者の方々お一人お一人のライフヒストリーや普段のご活動、今回の音声ガイド作りの感想などを、インタビューでお聴きしました!

今回ご紹介するのは 特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(TA-net) 理事長の廣川麻子(ひろかわ あさこ)さんです。

<廣川麻子さんプロフィール>
1994年、日本ろう者劇団入団。2009年9月~2010年9月、ダスキン障害者リーダー 育成海外派遣事業第29期生として英国の劇団Graeae Theatre Companyを拠点に 障害者の演劇活動をテーマに研修。 2012年12月 観劇支援団体「シアター・アクセシビリティ・ネットワーク」設立。2018年より東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野にてユーザーリサーチャーとして芸術文化におけるアクセシビリティを研究中。

ーーまずは、廣川さんのこれまでについて聞かせてください。先天性の聴覚障害をお持ちで、でも小さい頃は手話を知らなかったそうですね。

廣川:私の家族は皆耳が聞こえて、家庭の方針で私は口話だけで育てられました。相手の口の形から何を話しているか読み取って、自分も声を出してしゃべる、というようなコミュニケーションの仕方です。

小学校の途中で引越しをしたのですが、転校先で難聴学級に入って初めて、日常的に周りに自分と同じ聞こえない子どもたちがいる環境になったんです。そこで難聴学級の先生が手話をしているのを「見」ました。

ーーそこからどうやって手話を身に着けられたのでしょうか?

廣川:高1の時に地域の手話サークルに通い始めました。大学では情報保障(※1)として手話通訳をつけて学ぶことができると聞いていたので、その前に手話を勉強したいと、ある意味家族への“口実”にして学び始めました。

ただ、そのサークルは聞こえる人が中心で、声もしっかりつけてのコミュニケーションだったので、手話よりも口の形を見てしまっていましたね。週に一度、2時間程度の限られた時間でもあったので、手話をしっかりと学ぶことは難しかったです。それでも、手話に触れることができる、当時の私にとっては貴重な時間でした。

大学に入ってから、手話ができる先輩たちに出会って、毎日のように手話で話す生活になりましたが、それも「日本語に対応する手話」がほとんどでしたね。

※1 情報保障:聴覚・視覚などの身体的な障害により聴覚的・視覚的な情報を収集することができない人に対して、手話、字幕、点字、音声ガイドなどの代替手段を用いて情報を提供すること。

ーー「日本語とは別の言語としての手話」もあるのですか?

廣川:はい、「声を使わない、日本語とは別の言語としての手話」と「音声日本語にあわせた手話」があります。

私は大学4年の時に日本ろう者劇団に入り、そこで初めて声を使わない手話に出会いました。俳優さんたちが、声のつかない大変美しい手話を使っているのを見て、私も磨いていきたいと思いましたね。

同時に、ろう文化についてより理解を深めたいという気持ちも強くなりました。手話が文化や歴史を含んだ言語であるということを皆さんにも知っていただきたいなと。

国立能楽堂での日本ろう者劇団による「手話狂言」の公演
写真右側、武士の格好をしているのが廣川さん
(中央に座っているのは映画『LOVE LIFE』にも出演している砂田アトム氏)

ーー今回の映画で、手話が差別を受けてきた歴史にも触れられていましたが、廣川さんご自身はそういったご経験はありますか。

廣川:私自身は、手話によって差別を受けたという経験はありません。ただ小さい頃、父と本屋に行ったときに、私が手話の本を欲しがったら、父に「あなたには手話は必要ないよ」と言われて、寂しく感じたことは強く記憶に残っています。でも、当時はまだ手話を表に出さないようにしていた時代だったこともあると思いますね。

また、私より年上の先輩方の話を伺うと、差別はあったんだろうなと感じます。

ーー廣川さんが長年携わられている演劇についてもお聞きしていきたいのですが、最初に演劇と出会ったのはいつ頃ですか?

廣川:本格的に舞台に立つようになったのは小学校2年生の時です。難聴やろうの子どもを集めた劇団ができたから入らないかとお誘いいただいて。ただ、そこに入ったのは、ろう者の友達が欲しいという気持ちが強かったからだと思います。当時、小学校では聞こえる子たちのクラスで、私だけが聞こえなかったので。ろうの友達と話せる場所があるのがとても嬉しかったんですよね。

両掌を合わせて握った「友達」の手話をする廣川さん

ーーその後、高校、大学と演劇を続けてこられたのですよね。

廣川:そうですね。高校の時は演劇部に入っていました。顧問の先生が、私がどうしたら参加しやすいか一緒に考えてくれる熱心な方だったこともあって、演劇に打ち込んだ時期でした。

そして大学時代に所属していたサークルでは、文化祭の時に手話を使いながらの演劇を伝統的にやっていたんです。その時初めて、手話と演劇が結びつくと、ろう者がとても理解しやすくなることを実感しました。

ーー小さな頃からずっと演劇に関わってこられて、何か変化を感じることはありますか?

廣川:振り返ってみると、小学校の時に入っていた、ろうの子どもたちの劇団は、どうしても「ろう者である子どもたちが声を出して一生懸命取り組んでいる」様子を、聞こえる人たちが見て、すごいねって認めてくれるような場所だった印象があります。ただそれも、当時の社会的背景から考えたらダメなことではないと思いますし、親子皆で一つの作品を作り上げていくプロセスは素晴らしい経験でもありました。

一方で、先日岐阜県で見た子どもたちのミュージカルは、耳が聞こえない子、聞こえづらい子と一緒に、聞こえる子が手話でのびのびと演じていました。誰が聞こえる子なのか聞こえない子なのかわからないくらい、一体となっていたことに感動しましたし、「社会は大きく変わった」と強く感じましたね。

ーー日本ろう者劇団での活動を経て、1年間ロンドンで演劇研修を受けられたことが、現在理事長を務める特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(以下TA-net)を立ち上げた一つのきっかけだったそうですね。どんな経験だったのでしょうか?

廣川:ロンドンで「レ・ミゼラブル」の舞台を観た時に、初めて舞台手話通訳付きの公演を体験したんです。イギリスの手話は当時まだ習得していなかったので全ては理解できなかったのですが、何かグッと胸に伝わってくるものがありました。

それまで演劇を観にいく時は、台本を借りて、公演中は台本と舞台をそれぞれ見ながら内容を追っていました。でも暗いから台本がよく見えなくて、だんだんどこをやっているのか追えなくなってしまう。それに台本を事前に読んでいるので、話の展開がわかっているんですよね。だから心から感動もしづらいですし、満足感を得るのは難しかったんです。

でも、字幕や手話でのサポートがあれば、あらすじも何も知らない状態で、初めから最後まで「この次に何が起きるんだろう」ってドキドキしながら観られるし、リアルタイムで「わかる」ことができる。

それまでは何もサポートがない状態で観劇するのが「当たり前」だと思っていたんですけど、ロンドンで「これが“わかる”ということなのか!」という経験をしてから、ろう者が本当に演劇を楽しむためのサポートが必要だと思うようになりました。

ロンドンでの Graeae Theatre Company におけるワークショップにて
左から2番目が廣川さん

ーーそのご経験から立ち上げられたTA-netでは、具体的にどんなことに取り組んでいらっしゃるのでしょうか?

廣川:TA-netは「みんなで一緒に舞台を楽しもう!」を合言葉に、観劇サポートを行う公演の情報発信や、サポートを行いたい劇団・団体等への支援、観劇支援に関わる提言などを主に行っています。近年は舞台通訳者の育成、実践にも力を入れています。

ーー今回の映画と関連する「舞台手話通訳」について詳しくお聞きしたいのですが、舞台手話通訳にもいくつか種類があるそうですね。

廣川:舞台手話通訳は作品への「関与度」と「立ち位置」で大別することができます。関与度で言うと、作品にあまり関与せずに行う「額縁型」と、作品にかなり関与しながら行う「内包型」があり、立つ位置では、ある場所から動かずに行う「固定型」と、俳優等の動きに合わせて移動する「ムーブアラウンド型」があります(※2)。

内包型やムーブアラウンド型は、通訳者が状況に応じて舞台を移動しながら通訳をしていくことになるため、通訳者が自然な形で舞台上に存在できる一方、俳優の動きやセリフをより詳細に覚える必要があります。その分練習にも多くの時間を費やしますし、通訳者の稽古費用もかかります。

一概にどれがよいとは言いがたく作品にもよると思いますが、どの方法にするのかは、演出家と相談しながら決めていきますね。ちなみに今回の映画に出てくるのは内包型かつ固定型ですが、一部ムーブアラウンドが含まれるパターンでした。

※2 参考文献:萩原彩子, 廣川麻子, 米内山陽子「舞台演劇における手話通訳パターン分類」『日本手話通訳士協会・日本手話通訳学会 2019年度研究紀要』17巻79-81ページ, 2020-03

額縁型の舞台手話通訳つきで行われた
劇団銅鑼の公演「いのちの花」(2021年)

映画『こころの通訳者たち』の劇中演劇「凜然グッドバイ」での
内包型兼ムーブアラウンド型の舞台手話通訳。
一番手前に舞台手話通訳者の加藤真紀子さんが立ち、
加藤さんから斜め後方に他の演者たちが並んで一緒に演技をしている。

ーー額縁型と内包型で、ろう者の方の情報の受け取り方に違いはあるのでしょうか。

廣川:ムーブアラウンド型の方が見やすいという意見が多いですね。でもすべての劇でやるのは大変なので、固定型であってもなるべくストレスのない観劇になるよう工夫しています。たとえば俳優さんたちと同じ衣装にしてもらったり、部分的に額縁から中に入り込むシーンを作ったりと、監修から色々な形を提案します。それが演出の新しいアイデアに繋がることもありますね。

ーー情報保障という枠を超えて、演出家が一人加わる感じですね!劇団や演出家の方など、舞台を作る方からの反応で印象的だったことはありますか?

廣川:以前は「手話通訳があることで違和感が生まれてしまうから、なるべく見えないようにして欲しい」って言われることもあったんです。でも最近は、やってみると面白いと感じていただける方が増えましたね。「もう一人演者がいて、サポートしてくれるような感覚になる。心強い」「作品が広がり、より深まった」などと感想をいただくようにもなりました。

こうした反応が増えてきたのも、社会の状況が変わってきたおかげかなと感じています。以前は手話通訳というと福祉だったり、どこか堅いイメージを抱かれていたと思うのですが、ここ3〜4年ぐらいで手話への関心や興味が少しずつ広がっていると思いますね。

ーーそうした広がりがある一方で、まだ通訳がついていない舞台も多いと思います。どんなところがハードルになっているのでしょうか。

廣川:大きな課題は人材不足です。手話通訳と舞台手話通訳では必要なスキルが違うので、まだ後者をできる人は少ないですし、舞台の演出も意識した手話監修ができる人はもっと少ないです。また、必要な人や団体を繋ぐコーディネーターも不足しているので、人を育てていく必要があります。

もう一つの課題として、ろう者の間に演劇の存在がまだ広がっていないという実情もあります。舞台は2時間くらいかかるものが多いですし、チケットも値が張ります。そうしたハードルを超えて観にきてくれる人を増やすには、通訳がついたらこんなに面白いんだということをもっと伝える必要があると思いますし、面白いと思ってもらえるような工夫を私たちも続けていかなければと思っています。

右手の親指と人差し指で作った輪っかを、目の前に掲げた「見る」の手話をする廣川さん

ーーここからは、今回の映画についてのお話も聞かせてください。今回の映画の舞台であるシネマ・チュプキ・タバタとはもともとどんな繋がりがあったんでしょうか?

廣川:私がTA-netの活動を本格的に始めたのと同じくらいのタイミングで、チュプキがオープンされたんですね。ユニバーサルな取り組みをされる映画館を応援したいと思って交流が始まり、今に至ります。

ーーチュプキでは上映する映画のすべてに音声ガイドと字幕をつけていますが、今回の「手話に音声ガイドをつける」ことは大きなチャレンジだったと思います。TA-netさんはこれまでにこの「手話に音声ガイドをつける」試みをされたことはありましたか?

廣川:私たちにとっても、見えない方に手話をどうやって伝えるかという取り組みは初めてでした。

ただ、私が大学で所属していたサークルは、色々な障害を持つ学生が集まって交流する場所だったので、私も目が見えない学生に手話を教えたことはあったんです。今回はそのときのコミュニケーションをより深めていくようになるだろうというイメージはありましたね。

ーー手話を声の言葉にしていくプロセスで、緊張感のある場面もあったと思います。皆さん、「最終的に廣川さんがゴーサインを出してくれたことで前に進めた」と仰っていたのですが、廣川さんご自身はどんな気持ちだったのでしょうか。

廣川:私は大学のサークルの時の経験もあって、全員が納得するのは無理だなって思っていたんです。同じ目が見えない人、耳が聞こえない人であっても、考え方や受け取り方は一人一人違うので。この方はOKだけど他の方はダメっていうことが、どうしても出てきてしまう。

だったら、とにかくやってみることがまず大事だと思うんです。とにかく色々な意見を交わして、やってみて、一つの例として提示する。それをもとに、また他の人たちも巻き込んで意見を交わして……という感じで、だんだんアイデアが増えて盛り上がってくれたらいいなと。

あとは、そういう私たちの想いをきっと感じてくださるのではないかと、観てくださる方々を信頼しました。

映画『こころの通訳者』内の一場面
手話通訳士も含め10人近い人たちで会議をし、音声ガイドを考えた

ーー障害について、「当事者以外は触れてはいけないんじゃないか」と避けてしまうような意識も世の中にあるのではないかと思います。今回の映画は、そこも超えていくような挑戦に感じました。

廣川:今回は、視覚障害の人たちが「ぜひ知りたい」と言ってくれたからこそ実現したものだと思っているんです。最初の「こんなことやらない?」っていう提案は障害がない平塚さん(シネマ・チュプキ・タバタ代表)からでしたけど、もしそれに対して見えない人たちが「いらないよ」と言っていたら、この企画はなかったと思います。だから当事者の声を聞くことが一番大事だと思いますね。

ーー今回の映画を、どんな人に観てもらいたいですか。

廣川:特に若い方、中高生などの学生さんに見て欲しいです。伝えることを諦めないことや、コミュニケーションに”正解”はないこと、表現方法の可能性には広がりがあることを、若い方々に感じていただきたいなと思います。

自分と似ている人とだけで固まってしまうことってどうしても多いと思うのですが、自分と違う色々な人と出会って、コミュニケーションをとることを怖がらないで欲しい。もっと色々な人と会ってみたい、話してみたい、とこの映画を通して思ってもらえたら嬉しいです。

あとは、歳を重ねて、なかなか新しい考えを受け入れにくくなっている方もいらっしゃると思うので、高齢者の方にも観ていただけたら。

ーー今回の映画や廣川さんの活動は、障害のあるなしに関わらず、文化表現活動が人々に求められているということでもあると思うんです。その理由は何だと思いますか。

廣川:常識や人々の”普通”に対する意識は、思いこみから生まれるものですよね。その思いこみについて、改めて感じたり捉え直したりできる場が、文化表現活動だと思うんです。そして改めて考えることで、大事なことに気づき、自分や社会の常識が変わるきっかけになる。観劇などの文化表現活動を通じて、皆さんにそういった気づきとの出会いを経験をしてもらえたらと思います。

開いた左手を水平に、その上に開いた右手を添えて「ありがとう」の手話をする廣川さん

(Interview:アーヤ藍、Text:原田恵)

廣川さん、ありがとうございました!

ドキュメンタリー映画
『こころの通訳者たち What a Wonderful World』は、2022年10月1日(土)よりシネマ・チュプキ・タバタにて先行公開、10月22日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次公開します!

映画をご覧いただいたあとに、この記事を読み返していただくと、映画の裏話もさらにお楽しみいただけるのではないかと思います。

それでは、皆様のご来場をお待ちしております!

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