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「苦手なこと」を考えていたら、おのずと「好きなこと」が見えてきた件

わたし、手芸とか、絵を描くとか、料理をつくるとか、そういうの、とても苦手なんです。

こもってる期間で、いろいろと作っている人がとてもうらやましい。

「つくる」のは好きなんですが、
下処理とか、
下描きとか、
下準備とか、
そういうのが嫌いなんです。っていうか、できない。

布とか切るのも、とりあえず切っちゃいたいし、
絵の具とかも、とりあえず塗っちゃいたいし、
料理とかも、とりあえず塩ぶっかけちゃいたいし、

なので、いろいろ作っている人をみて、本当にうらやましいのです。
よく、「シネコヤ作ってるじゃない〜」と言ってもらえるのですが、

自分の「手」は使っていないし、
生み出した感はあまりない。
むしろ、生み出せる人の「手」を借りている、という気がする。

自分は本当に、この「手」から何も生み出せないなぁ、と思って、
打ち明けたら、こんなことを言われました。

「 “つくる”のは形のあるものだけではないよ。
空間、時間、想い、そしてご縁。鵠沼海岸の地にかけがえのないものをつくってくれたのだと思います。これからもずっとらコツコツとつくり続けて。」

生み出せない自分の「手」を眺めて、なんだか悲しい気持ちになったりして、恥ずかしいなと思いました。

得手、不得手があるのは当然だと思うし、みんなで寄り集まって、でこぼこを埋めるように重なり合うからこそ、おもしろいのだと感じる。
だから、クリエイティブな人たちが集まる空間を作りたいのかもしれないなぁ、なんて思ったりした。

わたしが「つくる」ものは、いろんな人の“手”から生み出されたものを、融合して「空間をつくっていくこと」なんだな、と思う。
そして、その“空間”で過ごす「時間」を届けること。

それこそが、わたしの「つくる」作業なんだなと思います。

けれども、長きにわたり「シネコヤ」ができるまで、一緒に“時間”を共にしてくれた人たちとの繋がりひとつひとつが、
今の「シネコヤ」の“空間”になっていることも忘れてはいけない。

それが、お店を持つということなのかもしれない。

と、窓からさす光を眺めながら、思ったりしている。

シネコヤは、街の中に《本》や《映画》の文化的な空間を残していくことを目指しています。生活の身近なところに、《本》《映画》が与えてくれる豊かな時間を、お届けできたらと思っています。そんなお店の仕組みづくりをしています。